2021年8月16日(月)降ったりやんだり
見出し画像は今朝焼けたパンです。
まずまずの形にできましたがいつもよりちょっとふくらみが少ないな。
先週の前半は猛暑が続いたけど土曜日くらいから
気温は低いも低い20度を下回ることも。
ホームベーカリーでのパン作りでも気温が関係します。
昨晩、仕込むときに25度以下かな、と温度計をちらりみました。
25度以上だと冷水を使いますが25度以下だったので
冷蔵庫の牛乳と常温の水で仕込みました。
8月15日の全国戦没者追悼式LiveをTVで見ました。
菅総理の式辞は物足りないな~~~
短いのはいいけど、あっけなかった。
安倍前総理の継承とはいえ。菅総理のポリシーは?
やはり、政権維持だけなのかと・・・。
戦没者、その家族、命は助かったけど
空襲に逃げ回った人たち、
アジアの諸国人たちへの加害者としての
お詫びと反省の気持ってないのかな??
私の父は1914生れ、
召集令状で一兵卒となり中国南部、
一時帰国のあとはトラック島へ派兵され、
移動時は目隠しだったとか。
トラック島で敗戦となり復員。
復員できたのは奇蹟的のようだ。
父と母はアジア太平洋戦争末期に結婚。
詳しく聞いたことがないが、たぶん、
トラック島へ派兵される前に一時帰国(休暇?)、
結婚したのではと。
勿論結婚式などなかった。
父はトラック島でどのようなことが起こっていたのか
情報は知らされなかったようだ。
戦後、80年代にNHKのドキュメンタリー番組で
トラック島の海底に眠る旧日本兵の遺骨を見て、
相当ショックを受けたようだ。
私は戦争のことを父から聞きたかったけど、
ついに聞けなかった。
8月14日にTBSの膳場貴子さんの報道番組でトラック島海底の
遺骨についての報道を見て、父のことを思い出した。
この番組で知ったことは1980年代の初めまでは、
戦争で亡くなった兵士の遺骨収集をしていたが、
それ以降はやめた。
海底に眠ることが一番安らぎの場所と位置づけたようだ。
(なんだか勝手な定義だな~~~)
ところが昨年から海底の遺骨収集に予算を付け開始したとのことだった。その背景は水中文化遺産保護条約で100年を経過した時点で自動的にすべて水中文化遺産となり、移動することはできなくなることにあるらしい。
第二次世界大戦中に沈没した艦船や海没遺骨はすべて、2045年以降に水中文化遺産となる。
刻々と戦争中の資料が明らかになっているようなので、
アジア太平洋戦争が風化しないように報道することは大切なことだと思う
2021年の8月15日だった。