蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

梅雨の中休み 「井口喜源治記念館」へ

2006年06月25日 | 安曇野とその周辺
22日曇天のなかにこんな景色を見つけました
たわわに実った小麦と雲がどんどん上昇している光景ですが、撮影技術悪くて残念です
それでも1句
■雲昇る 小麦も香る 梅雨休み
句作の技術もないのですが、昇ると香るがリズミカルに連動するかと素人は自画自賛???



JR穂高駅から東へ穂高神社を越えた角に、「テーラー井口」というデザイン文字の古い看板があります。
以前から井口喜源治の関係宅ではと思っていましたが、正解でした。
その南に財団法人「井口喜源治記念館」があり、地味ながらその功績絶大なる「人物」と「研政義塾」を紹介しています

写真下:入口そばの紫陽花


以下記念館チラシから抜粋
明治・大正・昭和のはじめまでの34年間に800人近くの人々を世に出した私塾です
荻原碌山も学びました。
アメリカ・シアトルに渡った70数名、
外交評論家として活躍した清沢洌
ワシントン靴店の創始者
農村にとどまった哲人斎藤茂
ほか「自由と独立」を基に「よき人」であれと説いた人格教育により、個性に満ちた教え子たちがいる
新宿中村屋の創始者相馬愛蔵とその兄、臼井喜代らの支援を受けて創立したものの、経済的困窮は大きかったが、骨身惜しまず教育に励んだという。
館内には喜源治の師・内村鑑三(キリスト者)が”穂高の聖者ペスタロッチ”と称し、草深い穂高を3回も訪れ講演し激励した、と語りかける古い写真があります

館内入口近くに
写真左:相馬黒光の嫁入り道具のオルガンで長女俊子の入学時に寄贈された。机は当時のもの
写真右:館内ベンチに置かれた座布団とうちわ(鑑賞に疲れたらごゆっくり?)

辞する時、現在の社会環境や昨今の教育のありようを考える宿題をもらった気分でした
駐車場の入口が小さいので、見落とさぬよう注意! 記念館すぐ東の草むらです
電話:0263-82-5570
コメント
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