蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

メイン・バザールは今でも燃えている

2007年09月23日 | 海外旅日記
IT大国や、経済発展目覚しいといっても、それは限られた層の話。
庶民の日常は変わっていない、特に田舎ではノンビリと時間が進みます
左:サイクルリクシャ   右:物資を運ぶ婦人(いずれもサールナートにて)

さすがに繁華街の闊歩牛は減っていました

観光客相手の喜捨要求も旺盛だった。真夏の観光客、それも主力カモである日本人が少ないので狙われやすい。すり抜けながらの撮影でした。立ち止まると手が目の前に・・・
さてデリーの一番面白いスポットはなんといってもメイン・バザール。
今も変わらぬ賑やかさだ。外国人老ヒッピーもお愛嬌だった。若い頃の衣裳そのままだが白髪なびかせ、おまけに老カップルという人も・・・・
ヒッピーと言ってどの世代までがわかるのだろうか?
では、はっちゃかめっちゃかな雑踏風景から
左:鉄道デリ-駅前からバザールは始まるが、横断に一苦労。インド人に続いてすり抜け渡る
右:神様グッズの旗がひらめく。寛大なインド人ならでは

左:道幅6メートルに乗用車、営業車、オートリクシャ、写真のサイクルリクシャがひしめく
右:1本脇道なら喧騒は少ない

左:今でも写真撮ってくれとせがまれる。彼は清掃の仕事をしていると茶髪で笑う。
すぐ見せてとせがむのは、すでにデジカメは承知。昔ならポラロイドカメラだった
右:同じように若者向け衣服ショップの店員にせがまれるが、彼はe-mailで送ってと名刺を出す
やっぱり返信がきた。日本の山や街の写真を送れと言ってくる。そのうち日本で働きたいと言ってくる。引き時を・・・・

左:埃も一緒に混ぜて売るスナック菓子屋
右:2階から笑顔がこちらを見ている。1階は生地と洋服の店舗、2階は縫製室。しかし昼間なのに暗い

バザールの中間あたりのスパイス屋
オヤジさんがここで調合する有名な店。言葉が通じなくなると近くの息子の店を紹介する。息子は、配合説明や使用法を簡潔に日本語でしたためたボードを差し出し、英語と日本語で対応する
観光客プライスの店だからインド人客は当然いない

こんなこともあった
若い女性と行き違った。夕食を一緒にと話がまとまり入りかけた店の前で「あらっ、ひょっとしてどこかで逢った人!」
一人旅をしているとよくある話で、彼とはラオスであったことが判明。再会を祝し合流して「Chat House&Sonu」で会食した。
従業員氏”むちゃくちゃ旨いよ”と呼び込む。
私「”むっちゃ旨いよ”の方がウケるよ」
次に通りかかったら早速採用していました
左:若者は先進国でワーキングホリデーのあと、半年アジア各地を放浪しているって
右:むちゃくちゃ美味しい店のパンケーキはクレープで、散々待ってやっとき来たのはバナナのカットが転がっていた


おかまさんにも挨拶された
さすがに写真は遠慮したが、私の被った白い大きな帽子(日本のバーゲン品)がステキと肩を叩く。どこの国にもいるが、まだまだ化粧にセンスがみられないのが残念だ。
店は多少こぎれいになったが、ゴミは散らかっており、通行者がいても平気でほうきで掃いているか、ばら撒く。店先で扇風機用の発電機をブンブンかけるので、熱風にさらされる。
雑多な街は今でもメラメラ燃えていた
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コメント (2)
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