何はともあれ無事帰還しました。
パキスタン滞在16日、その間8日間の北辺地域観光、前後の移動と友人宅居候で19日間の夏休み。毎日が日曜日の身分ながら・・・・図々しくも
しかも快眠快食快便=旅の基本を全うしつつ。
雨季に入っているはずなのに数回しか遭遇せず、室内は天井ファンで34度、おそらく外気温は40度だったと思う。
私が離パキ後から本格的な雨季が始まり、停電もおさまったそうです。
さてカラコルム・ハイウエイ。
インド旅行を始めてからたびたび耳にしたKKH。アジアハイウエイとともに憧れの道である。
中国からの援助や合同建設で、部分開通しながら1986年、我々でも通れる観光ルートになった。ただし国境越えは冬期は閉鎖、天候不順や崖崩れで突然の足止めもありと、なかなか難儀が予想されるが晴天に恵まれ体調も問題なかったのはラッキーだった。
私のKKH体験はイスラマバードから中国との国境クンジュラブ峠まで。
中国側のカシュガルまではとてもとても×××
目指すはクンジュラブ峠 標高4700m(ガイドブックによっては4900mとも)
ツアは、友人夫婦のアレンジにて往路はTOYOTA coaster。復路はスカルドゥ(K2登山の基地となる町)からプロペラ機で・・と8日間の予定だが、フライト不可なら1泊追加のKKH再びTOYOTA coasterの旅になる約束である。
こうしてイスラマバードを21日の早朝出発し、インダス川に沿ってひたすら走る
21日標高1000mくらいのチラース泊
22日標高2400mのフンザ泊
23日高山病に気をつけながらクンジュラブ峠まで
即折り返し、標高2450mのカリマバード泊
24日デュイカルまでジープ移動の標高2800mのホテル泊
25日ギルギットへ戻る前半の旅の始まりはじまり~
往来を疾走する電飾トラック
重心が高いので、デコボコ道では車体がゆれる。荷物は建築資材や木材、じゃがいもや小麦と思われる野菜などを満載。
HINOやISUZUのトラックを改造し、大金を払って装飾する。
先輩ガイドから聞いた話だけどと前置きし「アフガニスタンでは家を飾り立てるそうな。そこでパキスタンでは車に好きな女性や目や花などを描くようになったのではないか?」相当の経費がかかり、専門のデザイナーも勿論いる。
改造現場を見学したいね。
乗り合いタクシーもこの通り
ハイウエイといっても日本の高速道路を想像してはいけない。北へ進むにつれ薄いアスファルト道はあるもののデコボコ、砂道、落石ごろごろ、はては雨後の山崩れに道がふさがれ、男性数人で手作業除去といった具合である。
ドライバーは50歳くらいのベテランだが、話し方がラリっているように聞こえる。
ある時後ろ席の女性が「ドライバーが居眠りしているようにバックミラーに映っているぅ」と注意するが、どうもまぶたが下がり気味なのか、顎をあげて運転するので、そのように見えたらしい。
大丈夫です。
崩れ落ちた石の山をエイ!!と乗り越え拍手喝さいでした。車体が大きく揺れ重石代わりの私達も大きく左右に揺れた。
派手派手タンクローリーをわき目に、小さな町を通過し、
路肩すれすれの細道で、窓のガラス越しに下をみるとタイヤが見えないので怖い!
まるでジェットコースターだ。
写真左:川の向い側、山の中腹に昔のシルクロードが見える。中国から僧たちがガンダーラへ通った道だ。大きな石に彫られた磨崖仏がいくつか残されている。カラコルムハイウエイは山間の谷にインダス川を眺め、シルクロードに沿って走っているのです。(右下の白い帯は見なかったことに・・・・)
写真上右:橋のないところではゴンドラが活躍。向かいの中腹で運転しているようだ。おそらく手漕ぎギアだと思う
家は見えないのに、どこからともなく人が現れ歩いています
重石を使ったエコな検問所のバー
ひたすらクンジュラブ峠をめざす
大地が開けてきた。用意の酸素ボンベを使うことなく・・・・・
昨夜のホテルでは、高い中国製の缶ビールを飲み、ぐっすり眠る。
今日は、粉末アクエリアスを溶いた水をちびりちびり飲みながら、高山病を予防する。
到着しました! この先は中国です
予想したほど寒くなかった
小石をポケットに偲ばせ、もと来た道をカリマバードへ戻りました。
まだ行ったことはないが、四国巡礼をバスでめぐるのに似てる
■このあとゆるゆると「山、ホテル、おじいさんと子ども、ラホール」などに続く
パキスタン滞在16日、その間8日間の北辺地域観光、前後の移動と友人宅居候で19日間の夏休み。毎日が日曜日の身分ながら・・・・図々しくも
しかも快眠快食快便=旅の基本を全うしつつ。
雨季に入っているはずなのに数回しか遭遇せず、室内は天井ファンで34度、おそらく外気温は40度だったと思う。
私が離パキ後から本格的な雨季が始まり、停電もおさまったそうです。
さてカラコルム・ハイウエイ。
インド旅行を始めてからたびたび耳にしたKKH。アジアハイウエイとともに憧れの道である。
中国からの援助や合同建設で、部分開通しながら1986年、我々でも通れる観光ルートになった。ただし国境越えは冬期は閉鎖、天候不順や崖崩れで突然の足止めもありと、なかなか難儀が予想されるが晴天に恵まれ体調も問題なかったのはラッキーだった。
私のKKH体験はイスラマバードから中国との国境クンジュラブ峠まで。
中国側のカシュガルまではとてもとても×××
目指すはクンジュラブ峠 標高4700m(ガイドブックによっては4900mとも)
ツアは、友人夫婦のアレンジにて往路はTOYOTA coaster。復路はスカルドゥ(K2登山の基地となる町)からプロペラ機で・・と8日間の予定だが、フライト不可なら1泊追加のKKH再びTOYOTA coasterの旅になる約束である。
こうしてイスラマバードを21日の早朝出発し、インダス川に沿ってひたすら走る
21日標高1000mくらいのチラース泊
22日標高2400mのフンザ泊
23日高山病に気をつけながらクンジュラブ峠まで
即折り返し、標高2450mのカリマバード泊
24日デュイカルまでジープ移動の標高2800mのホテル泊
25日ギルギットへ戻る前半の旅の始まりはじまり~
往来を疾走する電飾トラック
重心が高いので、デコボコ道では車体がゆれる。荷物は建築資材や木材、じゃがいもや小麦と思われる野菜などを満載。
HINOやISUZUのトラックを改造し、大金を払って装飾する。
先輩ガイドから聞いた話だけどと前置きし「アフガニスタンでは家を飾り立てるそうな。そこでパキスタンでは車に好きな女性や目や花などを描くようになったのではないか?」相当の経費がかかり、専門のデザイナーも勿論いる。
改造現場を見学したいね。
乗り合いタクシーもこの通り
ハイウエイといっても日本の高速道路を想像してはいけない。北へ進むにつれ薄いアスファルト道はあるもののデコボコ、砂道、落石ごろごろ、はては雨後の山崩れに道がふさがれ、男性数人で手作業除去といった具合である。
ドライバーは50歳くらいのベテランだが、話し方がラリっているように聞こえる。
ある時後ろ席の女性が「ドライバーが居眠りしているようにバックミラーに映っているぅ」と注意するが、どうもまぶたが下がり気味なのか、顎をあげて運転するので、そのように見えたらしい。
大丈夫です。
崩れ落ちた石の山をエイ!!と乗り越え拍手喝さいでした。車体が大きく揺れ重石代わりの私達も大きく左右に揺れた。
派手派手タンクローリーをわき目に、小さな町を通過し、
路肩すれすれの細道で、窓のガラス越しに下をみるとタイヤが見えないので怖い!
まるでジェットコースターだ。
写真左:川の向い側、山の中腹に昔のシルクロードが見える。中国から僧たちがガンダーラへ通った道だ。大きな石に彫られた磨崖仏がいくつか残されている。カラコルムハイウエイは山間の谷にインダス川を眺め、シルクロードに沿って走っているのです。(右下の白い帯は見なかったことに・・・・)
家は見えないのに、どこからともなく人が現れ歩いています
重石を使ったエコな検問所のバー
ひたすらクンジュラブ峠をめざす
大地が開けてきた。用意の酸素ボンベを使うことなく・・・・・
昨夜のホテルでは、高い中国製の缶ビールを飲み、ぐっすり眠る。
今日は、粉末アクエリアスを溶いた水をちびりちびり飲みながら、高山病を予防する。
到着しました! この先は中国です
予想したほど寒くなかった
小石をポケットに偲ばせ、もと来た道をカリマバードへ戻りました。
まだ行ったことはないが、四国巡礼をバスでめぐるのに似てる
■このあとゆるゆると「山、ホテル、おじいさんと子ども、ラホール」などに続く
「美人の日本人連れさられる」の報道が出ないか心配していました。
つづきを楽しみにしています。
ご心配かけました。
「はい、おかげさまで無事に・・・」と言っても訪ねてみてわかっことは、日本における世界情勢の報道は画一的だなあと。
パキスタンでも毎日あちらこちらで自爆テロがあるわけでもないし、車の洪水箇所で信号はなくても、自己責任で走り回っていました。