蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

緊急渡印・さようなら

2016年12月09日 | 海外旅日記
ホテルで待機中に、
バラナシ在住の女性から「23日午後3時にお亡くなられました」とメールが来た。
そして
「乗る飛行機がキャンセルになったことが、なんだか必然的だったように思えます」とも。

ご臨終には立ち会えませんでしたが、インドの空を見上げてお見送りができました。

そして
24日の葬送の様子も知らせてくれました。
「午前中プージャーには沢山の人が集まりました。
みんなの見送りの中、花で飾り付けられたトラックに乗ってサルナートなどを巡り、
火葬場へ向かいました。50人以上の人達が燃えていくのを最後まで見守りました。
ご住職の身体はすっかり燃え尽くされてただ真っ白な灰だけが残っているだけでした」

帰国後
24日に活動仲間だった方からメールをいただきました。
「地方紙に訃報記事が掲載された」と、現地の知人からの転送メールでした。

「地元紙が訃報記事を書くほどの存在感だったのだなとあらためて思っています」とも。

私も同じ思いです。
(12/13下記一部訂正と補足)
曹洞宗の僧侶からインドへ渡り40数年。
小さいながらお寺を建て、貧しい子供たちの日曜学校とお菓子やパンの施食行。
寄付を集めながら宗教・身分にかかわらず、寺子屋のような無料中学校を始めたのが1993年。
私がインド旅行2回目にご住職に出会ったのが1994年。
()

今では立派な中・高等学校になっています。
滞在中のある朝、懐かしい学校へお寺の小坊主君の登校について行きました。
相変わらず大勢の朝礼風景


校内を案内してくださった先生は「タウザンド○○ムニャムニャ」と説明。
私の知る限り解散前2013年は800名ほどだったので、またまた増えているのだ。

一緒に登校したノマージ君の教室の前にて


お寺にいる小坊主君は3名。
地方からやってきて、修行しお手伝いをしながら中学校へ通学させてもらっているのです。
彼らは食事も自分たちで作っていました。

【さようなら ご住職】
長年の愛車。2度の転倒から体力を落としてゆかれた。


2010年テレビ東京系列「世界を変える100人の日本人」の一人として紹介されました。

「教育は一生の宝となる」が口癖でした。

中学と高校が落ち着いたころから、
貧しい子供たちを対象に無料の小学校が、お寺の中の教室で始まりました。

年齢はバラバラ。

今も続いていました。
この子達に幸あれと祈る
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2 コメント

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後藤住職 (ちびまるこ@今は、千葉)
2017-01-07 15:27:12
そうなんですね、亡くなられたんですね。緊急渡印は、必然だったのかもしれませんね。「輪廻転生」・・・仏教徒の後藤さんなら、もうインドで生まれかわっているのかも?そんな気がしました。ご冥福をお祈りします。
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思い出しますね (蔵くら)
2017-01-07 21:30:36
まるこ先生、インドを卒業できるかなと思います。
あの頃の旅は面白かったですね。
ご住職も、変わったメンバーの旅人たちを懐かしがっておられることでしょう。

@千葉の件、承知しました。今後ともよろしくです。

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