尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ミロス・フォアマン、高畑勲、崔銀姫-2018年3・4月の訃報②

2018年05月05日 23時31分30秒 | 追悼
 映画監督などの訃報をまとめて。ミロシュ・フォアマン(1932~2018.4.13、86歳)は、もともとチェコの映画監督で、1968年のワルシャワ条約軍のチェコスロヴァキア侵攻以後にアメリカに渡った。旧ソ連圏を離れて欧米で活躍した人は多いけど、フォアマンはアカデミー監督賞を2回受賞したんだから、もっとも成功した人である。「カッコーの巣の上で」(1975)と「アマデウス」(1984)の2作だが、どっちも作品賞も受賞してる文句なしの傑作だった。

 チェコ時代の監督作品も映画祭などで上映されている。「ブロンドの恋」(1965)や「火事だよ!カワイ子ちゃん」(1967)は、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。どっちも政治的、社会的な映画というより、自由で伸び伸びしたタッチで作られていて、「カッコー」のジャック・ニコルソンや「アマデウス」のモーツァルトに通じている。大体チェコ・ヌーヴェルヴァーグには軽妙な映画が多く、ポーランド映画の重厚さはなかった。そこがアメリカで開化した理由でもあるだろう。「アマデウス」は最初フォアマンが? と思ったけど、モーツァルトの交響曲38番は「プラハ」だし、チェコとモーツァルトは縁が深かったということだろう。(同じハプスブルク帝国の支配だったし。)この2作以外は見逃しが多いけど、「カッコーの巣の上で」をもう一回見たいな。

 高畑勲監督はその日に一度書いているけど、この前新文芸座で追悼特集を見た。「赤毛のアン グリーンゲイブルスへの道」はテレビ作品をまとめなおしたものだけど、カナダ、スイス(ハイジ)の風景美は「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」につながるものがある。そして高畑にとっても宮崎駿にとっても原点と言える「太陽の王子ホルスの大冒険」。アイヌ民話的要素は少なく、グルンワルドやヒルダといった人名は「北欧的」だ。どうもスタジオジブリには北方ロマンティシズムが多い。すごく面白いけど、60年代民衆抵抗史観という感じ。声優も平幹二郎、東野英治郎、市原悦子、三島雅夫など60年代名作っぽい。大島渚の「忍者武芸帳」と二本立てで見てみたい。

 イタリアのタヴィアーノ兄弟の兄の方、ヴィットリオ・タヴィアーニ(1929~2018.4.15、88歳)が死去した。今はベルギーのダルデンヌ兄弟、アメリカのコーエン兄弟のように、兄弟で映画製作をするのも珍しくないけど、70年代にタヴィアーノ兄弟の映画が紹介されたときは、そんなのもありなのかと思った。芸術は個人に属すると思ってたからだが、映画はもともと共同性が高い。でも各シーンを交互に演出したというのは珍しいんじゃなかろうか。
 (右がヴィットリオ)
 77年のカンヌ最高賞「父パードレ・パドローネ」のサルデーニャ島の荒涼たる風景が忘れられない。戦時下のレジスタンスを扱う「サン・ロレンツォの夜」も素晴らしかった。日本では「グッドモーニング・バビロン!」(1987)がグリフィスの大作無声映画「イントレランス」製作に参加したイタリア人兄弟を描いてベストワンになるほど評判になった。僕は「カオス・シチリア物語」(1984)というピランデッロ原作の映画化もシチリアのローカル色が面白かった。イタリア映画は昔はよく見たもので、タヴィアーニ兄弟も「復活」や「塀の中のジュリアス・シーザー」も見たが、80年代までが全盛期。

 韓国の女優、チェ・ウニ崔銀姫、1926~2018.4.16、91歳)が亡くなった。夫のシン・サンオク(申相玉)とともに作った映画で主演を務め、50年代、60年代の大スターだった。でも多分、1978年にキム・ジョンイルの指示により北朝鮮に拉致されたことで記憶されるだろう。その時は離婚していたシン・サンオクも拉致され、北で映画を作った。チェ・ウニも主演女優として「活躍」したが、映画祭で東欧にいた時に米大使館に駆け込んだ。その当時のことは、キム・ジョンイル時代を考えるときに重大な証言になる。しかし、そういう問題は置いといて、韓国映画史上ものすごく重要な女優だ。日本映画で言えば、大映の京マチ子、山本富士子、若尾文子を全部合わせたような役柄を演じていて、独立から朝鮮戦争、復興へと至る時代を象徴する大女優だった。
  (右は若いころ)
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