尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

不起訴は当然、森友文書問題

2018年05月21日 23時42分55秒 | 社会(世の中の出来事)
 大阪地検は森友学園への国有地売却に関する文書改ざん問題で、佐川前国税庁長官らを不起訴にする方針と伝えられている。正式決定はまだだが、いくつかのマスコミがそのように報じている。報道してないところもあるが、恐らくはその通りだろうと思う。疑惑本体の国有地売却の背任容疑も不起訴の方向とされる。背任の方は証拠を見てないので当不当を判断できないけど、文書問題の方は不起訴が当然だと思う。

 この問題に関しては、3月に問題が発覚した時に「森友文書書き換え問題②」を書いた。その中で「本質の問題としては「偽造」に近いと思うのだが、それが違法行為かどうかははっきりと言えないと思う。(司法当局は立件しない方針と伝えられる。)」と書いた。当時から検察は立件が難しいと判断していると報道されていた。しかし、この検察の対応に納得できない人もいるかと思うので、少し僕の考えを書いておきたいと思う。

 刑法そのものの検討の前に、法や検察に関する基本的考えを書いておきたい。リベラル派は「リベラル」の定義からして、国家権力の刑罰権の発動には慎重なスタンスのはずである。だけど、「リベラル派」の中にも、反安倍の政局優先なのか、検察は強制捜査して起訴せよと思ってる人がいるんじゃないか。まあ、「リベラル」じゃなくて、実は「国家主義者」だったってていうだけかもしれないが。それでも、特定秘密保護法や「共謀罪」の時に「法律は一度できてしまえば、拡大解釈されてしまう危険性がある」と主張した人だったら、他の事例でも「法の拡大解釈はすべきでない」と主張するべきなんじゃないか。

 検察はけっして「正義の味方」ではない。多くの冤罪事件で、無実の証拠を隠して法廷に出してこない。そんなことは珍しいことじゃない。取り調べ中の録音録画を編集して、有罪の証拠として法廷に出すこともある。全部を公開すれば逆に無実の証拠になるかもしれないケースでも、「自ら進んで自白した」かのように「編集」されていたりする。取り調べ中の録音録画も「公文書」だろうから、それは「公文書変造」や「虚偽公文書作成」ではないのか。そう考えれば、検察が文書改ざん問題を起訴して刑事裁判をするなんて到底あり得ないのである。

 刑法の第17章が「文書偽造の罪」で、第155条で「公文書偽造」を規定し、その2で「公文書変造」、3で「虚偽公文書作成」を定めている。「公文書偽造」だけ引用すると、「行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した公務所若しくは公務員の印章若しくは署名を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。」

 森友文書改ざんは、まさに「公文書変造」にあたりそうに見える。一見するとそうなんだけど、実は先の条文の冒頭にある「行使の目的で」が問題なのである。一部には、情報公開や国会提出への対応で文書を改ざんしたのなら、それは「行使の目的」と解釈できるとの意見もある。でもそれは「拡大解釈」だろう。公文書偽造、変造、虚偽文書作成を罰するのは、その公文書がさらに他の実体的犯罪に利用されることを防ぐためである。例えば、偽のパスポートを作って(偽造)、犯罪者が国外逃亡を図る。学校教員がわいろを貰って成績を書き換えた調査書を発行して、上級学校の合格を有利にさせる(虚偽公文書作成)。

 そういった場合、公文書そのものより、偽の公文書を利用した「より重大な事態」の発生を防ぐのが大事なのである。今回の場合、国有地売却の「背景事情」を削ったに止まり、「虚偽公文書」とは言えない。ウソを書き加えたわけじゃないのだから。正規の決裁権限を持つ公務員が行っているのだから、「偽造」じゃないのもはっきりしている。それじゃあ、一度作った公文書を後から書き換えてもいいのか。政治的、行政的にいいかどうかは別の問題だが(僕は間違っていたと思うが)、刑法で禁じられているとは言えないと思う。

 公務員が公務に関して虚偽の文書を作っても構わないのか。それはもちろん、政治的あるいは道徳的には良くないに決まってる。公務員も人間だから、公的な仕事に関して刑法に触れる行為を犯す場合がある。わいろを貰って政策を曲げる場合も時々ある。その場合、決定文書に「わいろを貰ったため、この業者に決めた」と書く人はいないに決まってる。実はわいろを貰ってたと後で判ったら、その文書は「虚偽公文書」である。この場合、虚偽公文書作成罪に問うべきか。

 「わいろを貰ったから」とか「政治家の圧力があったから」とか「権力者に忖度したから」と、公文書に「真の理由」を書かないと犯罪になるのか。それでは憲法で認められた「黙秘権」の否定である。それが犯罪だとなったなら、どんな問題でも検察の見立てで起訴されかねない。だから、公文書の扱いはできるだけ刑法で罰しない方がいいんだと思う。

 森友文書問題は、そもそもこのように細かな背景事情を残したことが普通じゃない。「このままでは国会に出せない」と上司に思わせただろう、そういう文書をあえて作った職員の思いがどこにあったのか。文書にしておけば、歴史の中でいつかは誰かが気が付いてくれる人がいるだろうと思って作ったんだろう。それを改ざんした「政治的責任」は大きい。だけど、刑法では裁けないケースだと僕は判断するわけである。一般的に言って、国家の刑罰権は法により厳格に運用されるべきと思うから、それでいい。
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