尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

葉室麟「天翔ける」と松平春嶽

2018年05月18日 23時47分44秒 | 本 (日本文学)
 2017年12月23日に惜しくも亡くなった時代小説作家、葉室麟の「天翔ける」(角川書店)を読んだ。発行日は12月26日付で、没後に出た本は他にもあるけど、遺作と言ってもいいだろう。この小説は幕末の賢候と言われた大名、越前福井藩松平慶永(号は春嶽)を描いている。小説という意味では、「天翔ける」はあまり面白くない。幕末史の解説みたいな話である。でも、この本は「明治150年」にあたって、多くの人に読まれて欲しい本だから簡単に紹介しておきたい。

 葉室麟には直木賞受賞の「蜩ノ記」(ひぐらしのき)のような素晴らしい作品がある。最近も直木賞候補作「秋月記」を読んだけどすごく面白かった。それらに比べると、フィクション度の低い「天翔ける」は、少し歴史に詳しい人なら知ってる話ばかりじゃないかという感じ。幕末を描く小説では、薩長の側から見た英雄史観が多い。薩摩藩の西郷隆盛大久保利通、あるいは長州藩の高杉晋作、薩長を結び付けたとされる土佐藩脱藩の坂本龍馬などがよく主人公として描かれる。

 一方、佐幕側の英雄として、新選組もよく出てくる。また、幕府を超えた発想ができた勝海舟などの開明的幕臣もかなり扱われる。立場の違いを別にして、確かに興味深い人生を送ったこれらの人々は、身分的には皆「下級武士」と言っていい。上層の大名レベルでは、「最後の将軍」徳川慶喜以外はあまり出てこない。もちろん、薩摩の藩主の父(国父)島津久光や会津藩主松平容保(かたもり)などは脇役として必ず出てくる。でも幕末を一番騒がせた長州藩の殿さまの名前と言われても、すぐには出てこないんじゃないか。(毛利敬親である。)

 幕末史に「四賢侯」と言われた人がいる。薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内容堂、宇和島藩の伊達宗城(だて・むねなり)、そして越前福井藩の松平春嶽である。歴史の教科書にもちょっとは出てくると思うけど、どんな人でどんな人生を送ったのか、詳しく知ってる人は少ないと思う。小説の主人公は「過激」というか「極端」な方が面白い。マジメで穏和な人は主人公になりにくい。以上の4人の中でも、豪快な酒豪で腹黒い山内容堂は土佐藩ものに悪役として出てくるけど、開明派の春嶽はあまり出てこない。そんな人を主人公にしたことが面白い。
 (松平春嶽)
 松平春嶽(1828~1890)は御三卿の一つ、田安家の8男に生まれた。10歳の時に福井藩主が後継ぎを残さず急死して、後継に立てられた。(越前松平氏は、家康の次男結城秀康から続く徳川一族の名門である。)まあ細かな出来事は省略するけど、13代将軍家定は病弱で後継ぎ誕生の可能性がなく次をどうするかがもめた。ペリー来航以来の「国難」時代に、血統よりも能力を重視するべきだと考え、島津斉彬や松平春嶽は後継に一橋慶喜(水戸藩主徳川斉昭の7男で、御三卿の一橋家を継いでいた)を推した。斉彬の家臣西郷隆盛や、越前藩の橋本左内などが裏で活躍したが、井伊直弼が大老となり14代将軍には紀州藩の徳川家茂が選ばれた。

 井伊直弼は一橋派の大弾圧に踏み切り、「安政の大獄」で春嶽は強制的に隠居させられ蟄居となった。また家臣の橋本左内が捕らえられ殺された。左内を失ったことが生涯の悔いになった。それがこの小説のキーポイントになっている。しかし、この小説で面白かったのは、結局は慶喜は「小才子」であり、「私」を捨てられない人物だったと描かれることだ。それに対し、若くして亡くなった14代将軍家茂の方が誠実この上ない人柄だった。井伊直弼も「私」を押し出す人物で、安政の大獄こそが幕末のテロリズム時代の幕を開けてしまった。直弼と慶喜、島津久光などは皆「天下」よりも「私」を優先させたとする。

 薩長による内戦路線、慶喜の幕府独裁路線に代わる「雄藩連合による開国路線」を春嶽はめざした。それが歴史的に可能だったかはともかく、「別の明治維新はありえたか」は「明治150年」の今こそ考えるべき問題で、今も意味がある。それは「天皇制絶対主義」以外の近代化がありえたのかということでもある。それにしても、なんと多くの有能の士が無念のうちに倒れていったか。その多くはテロによるものだ。150年前の日本はテロリズム社会だった。「そんな時代もあったね」と今の日本人は言えるけど、150年後のシリアやイラクでも同じように言えると思いたい。
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