尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

文書問題、学校の場合

2018年05月22日 23時53分59秒 | 社会(世の中の出来事)
 森友文書改ざん問題に関して書いたが、そう言えばなんだか書き足りないような気がした。何かと思えば、「学校の文書」の問題を通して、この問題を考えたいと思っていたのだが、他のことを書いてるうちに忘れてしまっていた。僕が最初にこの問題を聞いたときに、これは他の役所でも似たようなことをやってるんじゃないかと感じた。なんでかというと、「文書の差し替え」は学校でも何回かは経験したと思うから。「パソコン作成」と「情報公開」の時代である。公開請求をされてから「チト、まずいな」と思って書き直して公開する。そんなことがなかったとは思えない。

 今は文書は仕事場にあるパソコン(インターネットとLANに接続されたもの)で作るだろう。昔はもちろん違った。テスト問題などは手書きだった。中には問題集をコピーして使いまわす教員もないではなかった。(今なら著作権に反するからありえない。)でも、まあほとんどの人は手書きで作って、それを印刷した。すぐに印刷できる理想科学工業の「リソグラフ」が80年代半ばに登場した。製版・印刷一体型だからすごく便利で、あっという間に全国に広がった。理想科学は1977年に「プリントゴッコ」という家庭用孔版印刷機を発売して大ヒットしていた。僕もそれを買って年賀状を作っていた。その会社がこんな便利なものを作ったのかと思った記憶がある。

 リソグラフができる前は、基本的には「ガリ版」だったと思う。ロウ紙をやすりに置いて鉄筆で文字や絵を書き、穴のあいたその紙を印刷機に張り付けてインクを乗せてローラーで押す。一枚一枚手で押して作るのである。1894年に堀井新治郎父子が発明した近代日本の大発明で、正式には謄写版といった。僕はこれを自分で持っていて、自分で文集を作ったことがある。ガリ版というのは、鉄筆で字を書くときにガリガリと音がするからで、僕はこのガリ切りが結構うまかった。板書(黒板に書く文字)はヘタだけどガリ切りは得意で、初任校が道徳教育推進校だったときに、発表会資料の正誤表のガリ切りを頼まれた覚えがある。
  (ガリ版のセットと印刷の様子)
 このガリ版印刷は近代史の史料のベースである。労働運動や学生運動のビラはガリ版で作られ、紙の劣化とともに読めなくなりつつある。また映画やテレビの台本をよく展覧会で見るのだが、70年代までのものは大体はガリ版で作られている。非常に大事なものだったけど、若い人は見たことも聞いたこともないんじゃないか。でも、これで印刷するのはすごく手間がかかる。教員が全部やるのは大変だから、大きな学校では印刷専門のアルバイトがいた。僕が出身高校に教育実習に行ったら、同級生がバイトしていて研究授業の指導案を刷ってくれたのを覚えている。

 70年代後半の大学では、ゼミの発表資料などは「ガリ版」や「青焼」で作っていた。今僕らが普通にコピー機と呼んでるものもあったと思うが、高くて利用が大変だった。だから、レジュメを作るときは「青焼」で作った。これはウィキペディアを見ると、「ジアゾ式複写法」と書いてあって、よく判らないんだけど化学反応で文字を浮き上がらせるものだった。時間はかかるし、濡れているので大変だった。しかも時間が経つと文字が消える。だから大事なものはガリ版でするが、非常に大事なものは特別に和文タイプライターで別に作る。官庁の決裁文書はそうやっていただろう。

 文書改ざん問題発覚後、「文書の訂正は、間違い部分を二重線で消して、文書の上に〇字削除(または加筆)と書くと教えられた」という人がいた。そういう文書は僕も知っている。官庁の文書は知らないけど、昔の法廷記録はそうなっていた。拘置所で拘禁されている人と文通すると、そんな手紙が時々あった。拘置所側の「検閲」があるから、当局側が消したんじゃないということを示すためだろうと思う。また80年代に学校が荒れた時代、事件が起こって教師全員が空き時間に警察で調書を作ることになったことがある。勝手にどんどん調書を書いていくから、署名前に訂正を求めたら、やはり訂正部分を消して紙の余白に「〇字削除」と書いていた。まあ、パソコンがない時代に全部書き直すのは大変すぎるから、そういうルールだったんだろう。

 80年代後半になると、「ワープロ」が出てくる。「ワードプロセッサー」の略である。パソコンの文書作成機能専用機である。すでにパソコンを使っている人も少数いたけれど、それは私物持ち込みで、半分趣味で成績処理をしてた。ワープロも学校に1台とか2台で、それも学校ごとに「Rupo」(東芝)、「書院」(シャープ)、「OASYS」(富士通)、「文豪」(NEC)など別々に買い込んでいた。互換性がなかったから、異動すると困ってしまった。学校にも少ないので、試験問題は家で作って学校で印刷するとか、私物ワープロを学校に持ち込むなどで対応していた。富士通のオアシスには「親指シフト」という特殊なキーボードがあって、僕はこれを覚えたんだけど、今でも一番速く打てるんじゃないかと思ってる。

 20世紀の間にはワープロで文書作成をすることが多かったが、21世紀になるとパソコンになった。というか、マイクロソフトの「Word」で文書を作る。インターネットで情報を得るのが当たり前になり、学校でも一人一台のパソコンが支給された。そうなると逆に私物パソコン、ワープロを持ち込むのは「問題行動」になってしまった。(ワープロは印刷機につながなくても印刷ができるので、テスト問題作成などでは便利なんだけど。)何にせよ、ワープロやパソコンでテストを作ると、印刷された問題集のような体裁になる。職員会議に出る文書も、ほぼ全部パソコン作成になった。

 そんな時代になるとともに、何でも記録を残せ文書を起案せよと言われるようになった。それまでは「やっただけ」だった各種委員会、例えば「修学旅行業者選定委員会」なんて教員にはどうでもいいような組織でも議事録を整備せよと言われる。後でやればいいと放っていると、監査があるから作りなおせとか言われる。何でも起案せよということで、「期末考査の実施について」とかいう文書を教務主任が起案したりする。(さすがにそんなのは東京ぐらいだと思うけど。)

 起案文書が多すぎるから、生徒の名前の間違いなんかがどうしても出てくる。後で気づけば、監査の前に文書を差し替えにする。そんなことはあることだと思う。パソコン作成になったから、文書は後で差し替えが効くようになった。起案段階まで行ってるんだから、もう文書の趣旨を変えることはありえない。単純ミスを見つけたから直しておいて、もう一回決裁権限者の印鑑を取り直す。そんなに珍しいことだろうか。日本中、どんな役所でもあることじゃないか。そしてほとんどが単純ミスの訂正だろうから、大きな問題はない。今後は大きな変更に際しては、「文書の書き換えに付いて」という別の文書を作って自己防衛するのがいいんじゃないかと思う。
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