尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ヒロシマ・ナガサキ」ー「戦争と文学」を読む③

2020年08月10日 22時34分38秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫の「戦争と文学」を毎月読むシリーズ。8月は原爆文学を読んだ。できれば6日、そうじゃくても9日には書きたかったけど、750頁を超える大冊なので読み終わらなかった。この本を読むと、原爆投下から75年、ずいぶん多岐にわたる文学表現が積み重ねられて来たことが判る。原著は2012年に出たので、2017年に亡くなった林京子のインタビューが掲載されているのも貴重だ。この一冊は最低限の基準として読んでおきたいと思う本だった。
(カバー=石内都「ひろしま #43」)
 最初の「Ⅰ」に「被爆者」自身によって書かれた3作が納められている。そのうち2つは前に読んでるので、今回は「Ⅱ」「Ⅲ」を先に読んだけど、やはり順番に書いていきたい。原民喜の「夏の花」は、昔から名高くて、今も新潮文庫、岩波文庫に入っているから入手しやすい。次の大田洋子屍の町」は名前は有名だが初めて読んだ。170頁もあって、案外長いので驚いた。二人ともすでに文学活動をしていたので、原民喜は「アッシャー家の崩壊」を思い出している。大田洋子も妹によく死体を見られると問われて「人間の目と作家の目で見ている」と答えている。
(原民喜)
 この2作はとりわけ「証言」的性格が強い。その時点では「原子爆弾」だと判っていた人はいなかった。あれこれデマや間違った治療法が出てくるが、当時の人は判らなかったので、それを克明に報告している。しかし、まさに爆心直下にいた人々は即死しているので、「証言」できない。残されたものは全て「生き残った人々」の証言なのである。すでに戦争末期で物資不足の中、周辺の村に住む人々は広島に救援に行っている。しかし、それらの「二次被爆者」が一ヶ月経った頃から続々と死んでしまった。「放射線」の被害など皆知らなかったから、被爆直後に広島へ入ってしまったのである。そのことが核兵器の恐ろしさだが、当時の人々の恐怖が伝わってくる。
(大田洋子)
 「屍の町」では被爆後に一家で村の方へ疎開している。バスがなかなか来なくて、移動も大変だ。当然広島で起こったこと全部を知っている人はいない。部分的な証言しか出来ないわけだが、その意味では「屍の町」はある時点で広島市内の様子は途中で終わってしまう。その代わりにその秋に「枕崎台風」を初め水害が相次いだということなど、この作品で知った。水源地の山林地帯が戦時下に荒れてしまい、全国で水害が多かったという。
 
 長崎の被爆証言文学は少ないが、1975年になって現れた林京子祭りの場」は「原爆証言文学」の最高の達成だと思う。先の2作は占領期に書かれて、世に広く事態を知らせた意味は大きかった。しかし、今となってみると「途中で終わってる」感じが強い。「祭りの場」は被爆30年を経って、「感傷はいらない」と書かれた稀有の記録文学である。
(林京子)
 僕は発表当時に読んで非常に大きな影響を受けた。時間が経って判ったことも書かれている「祭りの場」の意味は大きい。戦後の日本文学にあって「原爆文学」は独自の位置を占めているが、いま改めて林京子の業績を再評価する必要があると思う。著者は高等女学校生で三菱の兵器工場に動員されていて被爆した。勤労動員の実情を伝える意味でも大きな意味がある。長崎を史上最後の「被爆都市」にするために、全世界の人々に核兵器の被害の恐ろしさを伝えていく必要がある。取りあえず、日本人はまず「祭りの場」を読んで欲しい。

 被爆直後の凄惨な様子はここでは引用しない。僕が伝えきれる問題ではない。「Ⅱ」では、まず川上宗薫の「残存者」があって驚いた。川上宗薫は芥川賞候補に5回選ばれて受賞できず、その後「官能小説」で有名になった。それしか知らなかったけれど、長崎で母と二人の妹を失った。主人公が初めて長崎に帰る設定の小説で、被爆後の様子を描いている。中山士朗という知らない作家の「死の影」は、被爆後の広島にハエが増大して死体にウジがたかる様子を冷徹に見つめている。動けない身体にウジが湧く描写はちょっと想像したくないぐらいの迫真性があった。

 井上ひさし少年口伝隊一九四五」はさすがの筆力で感動的。井上光晴夏の客」、後藤みな子炭塵のふる町」は広島、長崎の被爆者が差別的に見られた現実を描く。金在南暗やみの夕顔」は長崎で被爆して、釜山で暮らしている女性と娘の暮らしを描いて衝撃的。名前も知らなかった作家だったが、今回一番衝撃的で深刻な「韓国における被爆者問題」を突きつけている。美輪明宏」もあまり読んだ人はいないと思うけれど、実によく出来ているので是非。
 
 芥川賞作家、青来有一は長崎に生まれて、被爆体験はない世代だが原爆を描き続けている。「」という小説は、生まれた直後に被爆して親兄弟も知らず、拾われた女性の養子として生きてきた男性を主人公にしている。いま被爆体験のエッセイを書こうとしているが、妻が屋根に何かいるという。夫婦関係や義理の親子関係などを丹念に描いていて、「原爆」は一瞬だったがその後の何十年の生活が人間にはあると実感する。非常に優れた文学的達成で、読み応えがあった。小説的には一番出来がいいと思った。
(青来有一)
 続いて最後に第五福竜丸事件の橋爪健死の灰は天を覆う」、原発問題が絡む水上勉金槌の話」、核兵器の実験地を取り上げる小田実『三千軍兵』の墓」、祖母の生を探る若い孫を描く田口ランディ似島めぐり」など多彩な問題が扱われる。中では小説的には大江健三郎アトミック・エイジの守護神」が圧倒的に面白い。60年代の大江の才能は輝いていた。他に詩、俳句、短歌、川柳を収録。長いけれど、読んで良かった。ただし長すぎて、最初の方で読んだことを忘れてしまう。いろんなことをもっと考えたと思うんだが、最後は何とか読み終えることを目標とするようになってしまった。ちょっと収録作品が多かったかもしれない。
コメント
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