尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

モリコーネ、デ・ハヴィランド、A・パーカーー2020年7月の訃報①

2020年08月05日 22時40分54秒 | 追悼
 2020年7月の訃報では、日本の映画監督森崎東を独立して書いたので、他の人について書きたい。李登輝を別に書きたいので、3回になる。まず外国の映画関係者から。イタリアの映画音楽家、エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)が7月6日に没、91歳。2018年にフランシス・レイ、2019年にミシェル・ルグランが亡くなり、今度エンニオ・モリコーネが亡くなった。これでもう、ヨーロッパ映画の風格を感じさせる映画音楽の巨匠も皆いなくなったのか。
(オスカー受賞のモリコーネ)
 エンニオ・モリコーネと言えば、「マカロニ・ウエスタン」である。日本で「マカロニ」、アメリカでは「スパゲッティ」を付けて呼ばれたイタリア製西部劇は、当時は残虐描写で非難されたがモリコーネの音楽はヒットした。「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」などは、映画は知らなくても音楽を聴けば知ってる人が多いと思う。その時代の映画では、最近リバイバルされたセルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」で壮大にして叙情的な音楽を堪能することが出来た。しかし、よく履歴を見てみれば「アルジェの戦い」やパゾリーニ監督の作品、ベルトルッチの大作「1900年」などイタリア映画の傑作、名作をいくつも手掛けていたのだった。
(「ニュー・シネマ・パラダイス」)
 モリコーネの映画音楽といえば、新人監督ジュゼッペ・トルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」を思い起こす人が多いのではないだろうか。これはモリコーネ音楽がなければ、ずいぶん印象が違ったと思う。その後もトルナトーレ監督とは組み続けて、音楽の魅力を伝えた。70年代後半からは、アメリカ映画もずいぶん手掛けた。「天国の日々」「アンタッチャブル」が代表作だと思う。2016年になってタランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」でアカデミー賞作曲賞を受賞したが、これは生涯功労賞みたいなものだろうか。

 世界的にも映画音楽のあり方が変わって、美しいメロディを誰もが口ずさむ映画音楽というのも、なくなりつつある。ディミトリ・ティオムキンヴィクター・ヤングジョン・バリーモーリス・ジャールなど有名な人がいっぱいいた。今では名前がすぐ出てくるのは、ジョン・ウィリアムス久石譲ぐらいだろう。 

 アメリカの女優、オリヴィア・デ・ハヴィランド(Olivia de Havilland)が7月25日に死去した。なんと104歳だった。アカデミー賞主演女優賞を2回受賞した名優だが、あまりに大昔の人で名前も知らないという人が多かっただろう。妹のジョーン・フォンテインも「断崖」でアカデミー賞を受けていて、今のところ姉妹で受賞した唯一の例になっている。妹は2013年に96歳で亡くなったが、その時に姉はまだ存命であるとここで書いたと思う。しかし、もうそんなことは忘れていて、オリヴィア・デ・ハヴィランドはまだ生きていたのかとビックリした。この姉妹は不仲で有名だったそうだが、どちらも宣教師をしていた父の任地、東京で生まれた。
(オリヴィア・デ・ハヴィランド)
 オリヴィア・デ・ハヴィランドが受けたアカデミー賞というのは、「遙かなる我が子」(1946)と「女相続人」(1949)という映画である。もう70年以上も前の映画だが、ワイラー監督「女相続人」はミニシアター全盛期にリバイバルされたことがある。ヘンリー・ジェームズ原作の本格的心理ドラマで、大いに見応えがあった。しかし、今でも記憶されているのは「風と共に去りぬ」だろう。スカーレット・オハラの友人、メラニーを演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされた。妹の方はスカーレット役をねらっていて、メラニー役を逃したという。受賞は黒人メイド役のハティ・マクダニエルで黒人の初受賞だったが、現在改めて人種問題の描き方が問題になっている。今でも見られている映画が少なく、その点で現在の知名度が薄れたかもしれない。

 イギリス出身の映画監督、アラン・パーカーが7月31日に死去、76歳。そういう人が多いと思うけれど、僕はこの人の名前を「小さな恋のメロディ」(1971)の脚本家として覚えた。マーク・レスターとトレーシー・ハイドは今どうしているのだろうか。その後「ダウンタウン物語」(1976)で監督に進出。これは子どもだけを使ってギャング映画のパロディを作ったもので、すごく面白かった。ジョディ・フォスターはこれで覚えた。そして1978年の「ミッドナイト・エクスプレス」でアカデミー賞作品賞、監督賞にノミネートされた。これはトルコの劣悪な囚人処遇を告発した映画だが、いくら何でも欧米的視点からのみ描いている違和感があった。
(アラン・パーカー)
 その後、「フェーム」「ピンク・フロイド ザ・ウォール」「バーディ」「ミシシッピ・バーニング」「愛と哀しみの旅路」「ザ・コミットメンツ」「エビータ」「アンジェラの灰」など、安定した力量で社会派的映画や音楽映画(ミュージカルなど)を作り続けた。60年代の公民権運動中に殺された学生を描く「ミシシッピ・バーニング」で再びアカデミー賞作品賞、監督賞にノミネートされた。あまり大成功した映画が少ない中で、代表作はそれではないかと思う。
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