尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「百年泥」と「送り火」ー二つの芥川賞作品

2020年08月16日 22時36分52秒 | 本 (日本文学)
 「純文学」の新人賞としては、一応芥川龍之介賞に権威が認められている。まあ芥川賞を取ってない有名作家もいっぱいいるわけだが、それでも野間文芸新人賞三島由紀夫賞など他の新人賞は得ていることが多い。僕らは全部の小説を読んでるヒマはないから、何か賞みたいなガイドがないと新人作家が判らない。どんな作品が受賞したか、どんな作家が出てきたか、一応芥川賞受賞作ぐらいは読んでみたいと思う。大体3年ぐらいで文庫化されるから、文庫を待って読む方が多い。ちょうど158回、159回の受賞作が最近文庫に入った。

 2018年1月に発表された158回(2017年下半期)は、若竹千佐子という63歳の女性による「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)が話題を集めた。高齢女性の頭の中に別人格の声が聞こえてくるという語りの構造が面白い。これは今度田中裕子主演で映画化されるので、文庫も映画のカバーを掛けて宣伝している。この作品は確かに言葉の使い方が実に面白いんだけど、その老女の世界観は案外フツーだなという終わり方になった。

 それより同時受賞の石井遊佳の「百年泥」(新潮文庫)が抜群に面白いではないか。たまたま若竹千佐子と同じ文学教室に通っていたという話。著者は大阪出身で、早稲田大学を出た後に東大のインド哲学に学士入学し、博士課程後期まで進んだという人である。その後サンスクリット語研究者の夫とともにインドへ行って、チェンナイのIT企業の日本語教師をした。「百年泥」は明らかにその体験がもとになっているが、もう完全に自由すぎるぐらいに発想がどんどん飛んでゆく。解説を仏教史研究の第一人者、末木文美士が書いていて必読。

 チェンナイで100年に一度の大雨が降り続き、アダイヤール川が氾濫して「百年泥」が橋上に積み上がる。日本語の生徒が交通違反のボランティアで橋を清掃しているが、彼がどんどん不可思議なものを泥の中から発掘する。そこはもう過去の大阪とつながっているようでもあり、記憶の彼方から様々なものが呼び起こされてくる。折々に語られるインド人の世界観が現代日本人とはズレていて、そこに「おかしみ」のような「かなしみ」のようなものが漂う。主人公もいい加減ないきさつで日本語教師になるのだが、副主人公というべきデーヴァラージの人生のすごみには太刀打ちできない。

 「語り」の力で読ませていくが、マジック・リアリズムとか異文化体験などというよりも、全体がホラ話と見る方がいいかもしれないと思った。大阪とチェンナイが姉妹都市となって、招き猫とガネーシャを取り替えっこしたという所など特に笑える。ビジネスマンが空を飛んでるなんてのもすごい発想。インド社会は果たして変わりうるのかなど、作品を離れていろんなことを考えてしまう。そんなに長くないけど、最近になく面白かった。

 続いて159回(2018年7月発表)の高橋弘希の「送り火」(文春文庫)も文庫になった。続いて読んでみたが、少年時代を描くこの不穏なリアリズム作品には、ドキドキさせられた。何が起きるんだか怖いのである。必ず何かが起きるように書かれている。主人公は転勤族の父について、中学3年で青森の農村部の中学に転校したばかり。中学も浜松、東京に続き、3校目。教室の人間関係の泳ぎ方はそれなりに習熟しているつもりが、ここでは男子が6人しかいない。どうしても抜けられないし、ボスみたいな少年に従う形で副委員長を引き受けてしまう。

 親や教師には判らない子ども世界の力学があるということを、これぐらいまざまざと示す小説も珍しい。「純文学」だからこそ、本格的に怖いのである。「いじめ小説」と言っていいが、構造的に少年世界を描ききったのはすごいと思った。その分読むのがしんどいかもしれないし、自分の実体験を思い出して苦しくなる人もいるかと思う。しかし筆力は確かで、他の作品も買ってしまった。短いから一度はチャレンジしてみるべき作品。
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追悼・渡哲也

2020年08月16日 20時29分08秒 | 追悼
 俳優の渡哲也が8月10日に亡くなっていたと発表された。78歳。もう家族葬が終わっていて、これから追悼の会なども開かれないという。コロナ禍という時世もあるだろうが、これからそういうケースが増えてくるのかもしれない。病気がちの人生だったから、あまり意外な感じはない。むしろ弟の渡瀬恒彦が先に亡くなったことことが意外だった。

 俳優として多くの映画などを見たが、それと同じぐらい「くちなしの花」の大ヒットの印象も強い。1973年の曲だが、1974年にヒットしたという。そういう細かい時代感覚は忘れているけど、毎年初夏になって近所の公園でクチナシが咲き始めると、つい「今では指輪もまわるほど」と口ずさんでしまう。花の香りとメロディや歌詞が「パブロフの犬」になっているのである。

 渡哲也(1941.12.28~2010.8.10)は、映画会社日活が生み出した最後のスター男優だった。60年代の日本映画は主に大手の映画会社が系列映画館に毎週のように新作を提供することで成立していたわけだが、日活は石原裕次郎小林旭などのアクション映画や吉永小百合などの青春映画が中心だった。俳優も年齢を重ねるから、映画界は常に新人スターを探している。日活では60年代前半に高橋英樹が登場するが、渡哲也はそれに続く新人スター候補だった。

 本人には秘密で、当時所属していた青山学院大学の空手部の仲間が日活に応募してしまったと言われる。偶然のように入社したわけだが、空手や柔道が出来たから、アクション俳優に向いていた。高橋英樹は「和服」が似合うタイプだったから、時代劇や任侠映画向きだった。しかし、当時の日活映画は「無国籍」風のギャング映画が中心だから、石原裕次郎を若くしたようなタイプのアクション俳優を求めていたのだろう。1965年の「あばれ騎士道」(小杉勇監督)がデビューだが、そこでは故・宍戸錠の弟役でレーサーだった。
(「東京流れ者」)
 1966年の鈴木清順監督「東京流れ者」では完全に一人で主役をしていて、主題歌も歌っている。過去の日活アクションのパロディみたいな楽しい映画で、多彩なセットの中で渡哲也がいろんなアクションを見せている。同年の蔵原惟繕監督「愛と死の記録」は吉永小百合との共演で原爆の悲劇をテーマにしている。吉永小百合ではなく、ここでは渡哲也の方が病気に倒れるという設定である。ブルーリボン新人賞を得るなど、渡哲也は高く評価された。原爆ドームで語り合うシーンなど忘れがたい。そして68年からの「無頼」シリーズで人気を不動にした。
(「愛と死の記録」)
 デビューからの話を書いたけれど、日本の映画スターはいろんな役を演じ分けるんじゃなくて、俳優に合った役柄を見つけてそれを演じ続けることが多い。娯楽映画だから、観客が安定して見続けられる役柄じゃないといけない。本人の人柄とも相まって、固定した役柄が作られるわけだ。渡哲也の場合は、律儀で一本気な不器用さを持つ主人公が多かった。アクション映画ではない「愛と死の記録」でもほぼ同様である。71年以後日活を離れ、東映で主演たり、石原プロ製作のテレビドラマが中心となっても、やはり似たような役柄が多かった。

 日本のスターは演技力より「存在感」が大事なのである。石原裕次郎もそうだし、高倉健もそうだった。しかし、そうやって時間が経つとともに、風格のある高齢俳優になっていく。1996年の宮沢賢治生誕百年で作られた「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(大森一樹監督)では、賢治の父を演じて助演男優賞をほぼ独占した。「時雨の記」「長崎ぶらぶら節」など吉永小百合との久しぶりの共演も悪くない。その中でも2004年の「レディ・ジョーカー」で演じた薬局の主人にして、グリコ森永事件を思わせる恐喝事件の主犯格が素晴らしく風格たっぷりの名演だった。
(「レディ・ジョーカー」)
 渡哲也は生涯に何度も病気をして、大河ドラマ「勝海舟」を途中で下りるなど残念なことが多かった。もし健康が許したならば、70年代以後もっと活躍できたのではないかと思う。しかし、石原裕次郎の死後も石原プロを守り続け、最後に後始末するように芸能プロとしての終焉が先に発表された。やることをやりきって生涯を終えたということではないか。映画で一本だけ選べば、好きと言えるレベルを超越してるが、「仁義の墓場」(深作欣二、1974)になると思う。あまりにも強烈ですさまじい「実録ヤクザ映画」だったけれど。映画スターが生み出された時代の終焉を感じさせる訃報だった。
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