「純文学」の新人賞としては、一応芥川龍之介賞に権威が認められている。まあ芥川賞を取ってない有名作家もいっぱいいるわけだが、それでも野間文芸新人賞や三島由紀夫賞など他の新人賞は得ていることが多い。僕らは全部の小説を読んでるヒマはないから、何か賞みたいなガイドがないと新人作家が判らない。どんな作品が受賞したか、どんな作家が出てきたか、一応芥川賞受賞作ぐらいは読んでみたいと思う。大体3年ぐらいで文庫化されるから、文庫を待って読む方が多い。ちょうど158回、159回の受賞作が最近文庫に入った。
2018年1月に発表された158回(2017年下半期)は、若竹千佐子という63歳の女性による「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)が話題を集めた。高齢女性の頭の中に別人格の声が聞こえてくるという語りの構造が面白い。これは今度田中裕子主演で映画化されるので、文庫も映画のカバーを掛けて宣伝している。この作品は確かに言葉の使い方が実に面白いんだけど、その老女の世界観は案外フツーだなという終わり方になった。
それより同時受賞の石井遊佳の「百年泥」(新潮文庫)が抜群に面白いではないか。たまたま若竹千佐子と同じ文学教室に通っていたという話。著者は大阪出身で、早稲田大学を出た後に東大のインド哲学に学士入学し、博士課程後期まで進んだという人である。その後サンスクリット語研究者の夫とともにインドへ行って、チェンナイのIT企業の日本語教師をした。「百年泥」は明らかにその体験がもとになっているが、もう完全に自由すぎるぐらいに発想がどんどん飛んでゆく。解説を仏教史研究の第一人者、末木文美士が書いていて必読。
チェンナイで100年に一度の大雨が降り続き、アダイヤール川が氾濫して「百年泥」が橋上に積み上がる。日本語の生徒が交通違反のボランティアで橋を清掃しているが、彼がどんどん不可思議なものを泥の中から発掘する。そこはもう過去の大阪とつながっているようでもあり、記憶の彼方から様々なものが呼び起こされてくる。折々に語られるインド人の世界観が現代日本人とはズレていて、そこに「おかしみ」のような「かなしみ」のようなものが漂う。主人公もいい加減ないきさつで日本語教師になるのだが、副主人公というべきデーヴァラージの人生のすごみには太刀打ちできない。
「語り」の力で読ませていくが、マジック・リアリズムとか異文化体験などというよりも、全体がホラ話と見る方がいいかもしれないと思った。大阪とチェンナイが姉妹都市となって、招き猫とガネーシャを取り替えっこしたという所など特に笑える。ビジネスマンが空を飛んでるなんてのもすごい発想。インド社会は果たして変わりうるのかなど、作品を離れていろんなことを考えてしまう。そんなに長くないけど、最近になく面白かった。
続いて159回(2018年7月発表)の高橋弘希の「送り火」(文春文庫)も文庫になった。続いて読んでみたが、少年時代を描くこの不穏なリアリズム作品には、ドキドキさせられた。何が起きるんだか怖いのである。必ず何かが起きるように書かれている。主人公は転勤族の父について、中学3年で青森の農村部の中学に転校したばかり。中学も浜松、東京に続き、3校目。教室の人間関係の泳ぎ方はそれなりに習熟しているつもりが、ここでは男子が6人しかいない。どうしても抜けられないし、ボスみたいな少年に従う形で副委員長を引き受けてしまう。
親や教師には判らない子ども世界の力学があるということを、これぐらいまざまざと示す小説も珍しい。「純文学」だからこそ、本格的に怖いのである。「いじめ小説」と言っていいが、構造的に少年世界を描ききったのはすごいと思った。その分読むのがしんどいかもしれないし、自分の実体験を思い出して苦しくなる人もいるかと思う。しかし筆力は確かで、他の作品も買ってしまった。短いから一度はチャレンジしてみるべき作品。
2018年1月に発表された158回(2017年下半期)は、若竹千佐子という63歳の女性による「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)が話題を集めた。高齢女性の頭の中に別人格の声が聞こえてくるという語りの構造が面白い。これは今度田中裕子主演で映画化されるので、文庫も映画のカバーを掛けて宣伝している。この作品は確かに言葉の使い方が実に面白いんだけど、その老女の世界観は案外フツーだなという終わり方になった。
それより同時受賞の石井遊佳の「百年泥」(新潮文庫)が抜群に面白いではないか。たまたま若竹千佐子と同じ文学教室に通っていたという話。著者は大阪出身で、早稲田大学を出た後に東大のインド哲学に学士入学し、博士課程後期まで進んだという人である。その後サンスクリット語研究者の夫とともにインドへ行って、チェンナイのIT企業の日本語教師をした。「百年泥」は明らかにその体験がもとになっているが、もう完全に自由すぎるぐらいに発想がどんどん飛んでゆく。解説を仏教史研究の第一人者、末木文美士が書いていて必読。
チェンナイで100年に一度の大雨が降り続き、アダイヤール川が氾濫して「百年泥」が橋上に積み上がる。日本語の生徒が交通違反のボランティアで橋を清掃しているが、彼がどんどん不可思議なものを泥の中から発掘する。そこはもう過去の大阪とつながっているようでもあり、記憶の彼方から様々なものが呼び起こされてくる。折々に語られるインド人の世界観が現代日本人とはズレていて、そこに「おかしみ」のような「かなしみ」のようなものが漂う。主人公もいい加減ないきさつで日本語教師になるのだが、副主人公というべきデーヴァラージの人生のすごみには太刀打ちできない。
「語り」の力で読ませていくが、マジック・リアリズムとか異文化体験などというよりも、全体がホラ話と見る方がいいかもしれないと思った。大阪とチェンナイが姉妹都市となって、招き猫とガネーシャを取り替えっこしたという所など特に笑える。ビジネスマンが空を飛んでるなんてのもすごい発想。インド社会は果たして変わりうるのかなど、作品を離れていろんなことを考えてしまう。そんなに長くないけど、最近になく面白かった。
続いて159回(2018年7月発表)の高橋弘希の「送り火」(文春文庫)も文庫になった。続いて読んでみたが、少年時代を描くこの不穏なリアリズム作品には、ドキドキさせられた。何が起きるんだか怖いのである。必ず何かが起きるように書かれている。主人公は転勤族の父について、中学3年で青森の農村部の中学に転校したばかり。中学も浜松、東京に続き、3校目。教室の人間関係の泳ぎ方はそれなりに習熟しているつもりが、ここでは男子が6人しかいない。どうしても抜けられないし、ボスみたいな少年に従う形で副委員長を引き受けてしまう。
親や教師には判らない子ども世界の力学があるということを、これぐらいまざまざと示す小説も珍しい。「純文学」だからこそ、本格的に怖いのである。「いじめ小説」と言っていいが、構造的に少年世界を描ききったのはすごいと思った。その分読むのがしんどいかもしれないし、自分の実体験を思い出して苦しくなる人もいるかと思う。しかし筆力は確かで、他の作品も買ってしまった。短いから一度はチャレンジしてみるべき作品。