2020年の米国アカデミー賞で女優部門にノミネートされた「スキャンダル」(Bombshell)はロードショーで見逃していたんだけど、池袋の新文芸座でやっていたので見に行った。暑いからといって家にいるだけじゃ良くないし、作品のテーマというか、まあ舞台となったアメリカのテレビ界と「セクハラ」問題に関心があったからだ。ここでは前に見て書いてなかったフランス映画「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」と合わせて簡単に紹介しておきたい。
「スキャンダル」はアカデミー賞でも、ゴールデングローブ賞でも主演女優賞(シャーリーズ・セロン)と助演女優賞(マーゴット・ロビー)はノミネートされたが、作品賞、監督賞などにはノミネートがない。そういう映画はやはり作品的には弱いことが経験的に判っている。見てみれば、やはりメイクしたそっくりさん女優の「顔芸」で見せるテレビ的な作品だった。社会派的映画としては、登場人物の描きこみが弱く迫力に乏しい。告発映画でありつつも、もう結果が出たことが判って作られた映画なのである。(対象の人物は死亡している。)
保守系メディアのFOXテレビの内情を細かく描かれているのは驚く。時は公開時の3年前の2016年。大統領候補トランプの女性蔑視発言との闘いも出てくる。資本的にはルパート・マードックに支配されながら、実権を創業者の社長が持ち続け、絶対的権力を背景に「セクハラ」を続けてきた。実在の女性キャスター、メーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)とグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が中心になるが、写真を見ると驚くほど実在人物に似ている。シャーリーズ・セロンのメイクを担当したカズ・ヒロがアカデミー賞を受賞した。(「ウィンストン・チャーチル」でアカデミー賞を得た辻一弘が米国籍を取得してカズ・ヒロと名乗っている。)
そして架空人物のケイラ(マーゴット・ロビー)が絡む。マーゴット・ロビーは「アイ、トーニャ」のトーニャ・ハーディングや「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のシャロン・テートをやった人。これからのし上がろうとしていて、セクハラとどう向き合うか悩んでいる。FOXテレビ内部の事情を描きながら、果たしてグレッチェンが起こしたセクハラ裁判に社内が揺れていく様を胸が痛くなるほど見つめている。「トランボ」のジェイ・ローチ監督は屈しない人間描写にたけている。
ベルリン映画祭銀熊賞の「グレース・オブ・ゴッド」は、フランスを揺るがせたカトリック教会による児童への性虐待事件を扱っている。男児への虐待が何十年も見過ごされて、さらに隠蔽されてきた。ここでは相手が未成年なので、「児童虐待」という犯罪になる。映画の出来は「スキャンダル」よりいいと思うが、全体的に暗鬱なムードが漂うし、日本人からすれば身近な社会問題ではないので記事は書かなかった。(日本でもカトリック教会による性的虐待事件は起こっているが。)フランソワ・オゾン監督の手腕は見事だが、何だか重苦しいのは仕方ないか。
どうして両方の映画に触れたかというと、「セクハラ」というと「女性被害者」の問題に限定して考えてしまう人が多いのではないかと思うからだ。性的な被害を受けるのは、大人の女性ばかりではなく、子どもも多いし、男性もある。「性的」に止まらず「暴力」によって心に傷を負う体験だと考えると、「自ら闘うこと」の重要さが判ってくる。「強いものとの力関係」を変えていくには勇気が必要だ。どちらの映画も、闘うことの大切さを教えてくれる。
そして、どっちの映画も実在の事件を劇映画にしている。そのことで映画製作者も闘っている。日本映画も実在人物を描くこともあるが、それはほとんど「表彰映画」である。こんな素晴らしい人がいたという映画なら作れるけれど、現実の問題を告発する映画はほとんどない。記録映画にはいくつもあるが、もっと多くの人に届く告発映画がなかなか作られない。日本社会には「現実と闘って変えていく」ことへの抑圧がある。ちょっと前の事件と真っ正面から取り組む映画が作れるアメリカやフランスはやはりすごいなと思った。
「スキャンダル」はアカデミー賞でも、ゴールデングローブ賞でも主演女優賞(シャーリーズ・セロン)と助演女優賞(マーゴット・ロビー)はノミネートされたが、作品賞、監督賞などにはノミネートがない。そういう映画はやはり作品的には弱いことが経験的に判っている。見てみれば、やはりメイクしたそっくりさん女優の「顔芸」で見せるテレビ的な作品だった。社会派的映画としては、登場人物の描きこみが弱く迫力に乏しい。告発映画でありつつも、もう結果が出たことが判って作られた映画なのである。(対象の人物は死亡している。)
保守系メディアのFOXテレビの内情を細かく描かれているのは驚く。時は公開時の3年前の2016年。大統領候補トランプの女性蔑視発言との闘いも出てくる。資本的にはルパート・マードックに支配されながら、実権を創業者の社長が持ち続け、絶対的権力を背景に「セクハラ」を続けてきた。実在の女性キャスター、メーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)とグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が中心になるが、写真を見ると驚くほど実在人物に似ている。シャーリーズ・セロンのメイクを担当したカズ・ヒロがアカデミー賞を受賞した。(「ウィンストン・チャーチル」でアカデミー賞を得た辻一弘が米国籍を取得してカズ・ヒロと名乗っている。)
そして架空人物のケイラ(マーゴット・ロビー)が絡む。マーゴット・ロビーは「アイ、トーニャ」のトーニャ・ハーディングや「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のシャロン・テートをやった人。これからのし上がろうとしていて、セクハラとどう向き合うか悩んでいる。FOXテレビ内部の事情を描きながら、果たしてグレッチェンが起こしたセクハラ裁判に社内が揺れていく様を胸が痛くなるほど見つめている。「トランボ」のジェイ・ローチ監督は屈しない人間描写にたけている。
ベルリン映画祭銀熊賞の「グレース・オブ・ゴッド」は、フランスを揺るがせたカトリック教会による児童への性虐待事件を扱っている。男児への虐待が何十年も見過ごされて、さらに隠蔽されてきた。ここでは相手が未成年なので、「児童虐待」という犯罪になる。映画の出来は「スキャンダル」よりいいと思うが、全体的に暗鬱なムードが漂うし、日本人からすれば身近な社会問題ではないので記事は書かなかった。(日本でもカトリック教会による性的虐待事件は起こっているが。)フランソワ・オゾン監督の手腕は見事だが、何だか重苦しいのは仕方ないか。
どうして両方の映画に触れたかというと、「セクハラ」というと「女性被害者」の問題に限定して考えてしまう人が多いのではないかと思うからだ。性的な被害を受けるのは、大人の女性ばかりではなく、子どもも多いし、男性もある。「性的」に止まらず「暴力」によって心に傷を負う体験だと考えると、「自ら闘うこと」の重要さが判ってくる。「強いものとの力関係」を変えていくには勇気が必要だ。どちらの映画も、闘うことの大切さを教えてくれる。
そして、どっちの映画も実在の事件を劇映画にしている。そのことで映画製作者も闘っている。日本映画も実在人物を描くこともあるが、それはほとんど「表彰映画」である。こんな素晴らしい人がいたという映画なら作れるけれど、現実の問題を告発する映画はほとんどない。記録映画にはいくつもあるが、もっと多くの人に届く告発映画がなかなか作られない。日本社会には「現実と闘って変えていく」ことへの抑圧がある。ちょっと前の事件と真っ正面から取り組む映画が作れるアメリカやフランスはやはりすごいなと思った。