ファッションデザイナーの山本寛斎が7月21日に死去、76歳。普通誰もが「やまもと・かんさい」として知っていると思うが、本名は「のぶよし」と読むんだという。装苑賞を受賞した後、コシノジュンコなどの下で働き、1971年に独立してロンドンで日本人初のファッションショーを開いた。そこで認められデヴィッド・ボウイのステージ衣装を手掛けた。外国旅行へ行くのも大変だった時代に世界の主要都市に進出したのは、まさに高度成長時代の青春だった。
(山本寛斎)
次第にイヴェント・プロデューサーのような仕事を手掛けるようになり、2005年には愛知万博の開幕イヴェントを担当した。演劇やコンサートを盛り込んだ「スーパーショー」を企画し、1993年にはモスクワで12万人を動員した。なんてことが記事には書かれているけれど、僕は全く知らない。強烈な色彩感覚で知られたと言うけど、僕にとっては名前を知ってただけだった。
歌人の岡井隆が7月10日に死去、92歳。僕は短歌や俳句の世界をほとんど知らないので、岡井隆の訃報がすごく大きいのに驚いた。というか、それは新聞の話だから、テレビやネットニュースではどうなのかは知らない。医者だったというし、なかなかドラマチックな人生を送った人のようだ。短歌では寺山修司、塚本邦雄とともに「前衛短歌の三雄」と言われた。しかし、1992年に歌会始の選者を引き受け、さらに皇族の和歌御用掛を務めたことを「転向」と批判されたという。僕は元々の事実を知らないので、そういうことがあったんだと思った。代表作とよく出てくるのは、「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」。60年安保の時の歌。
(岡井隆)
歌手の弘田三枝子が7月21日に死去、73歳。そう言えば「ヴァケーション」や「夢見るシャンソン人形」などの曲があった。60年代前半のことで、僕は世代的に直接は知らないんだけど、ラジオでよくかかっていた。底抜けに明るくて、ちょっぴり切ないアメリカのポップスを多くの人が聞いていた時代だ。その後低迷するが、1969年に「人形の家」が大ヒットした。同時にダイエットブックを出版し、ベストセラーになった。そう言えば、そんなこともあったなあ。ヒット歌手としてはその頃で終わった感じだが、その後も歌手は続けていたようだ。
(弘田三枝子)
7月21日に俳優・歌手の三浦春馬が自殺したと報じられた。30歳。新聞ではそんなに大きくないけれど、ネット界、テレビ、週刊誌などでは一番大きく報じられた訃報だろう。もっとも僕は名前と顔が判る程度で、テレビドラマをほとんど見ないので、あまり書くことが出来ない。映画も「恋空」「奈緒子」「永遠の0」など僕が見てない映画が多い。(「東京公園」という映画を見ていることを調べて知ったが、全然主演者を覚えてなかった。)舞台でも活躍していたので、今後が期待される俳優だった。背景に何があったのか知らないし、知りたいとも思わないけれど。
(三浦春馬)
・飯島周(いたる)が18日に死去、89歳。ほとんど知らないと思うけれど、僕はこの人の本をずいぶん読んでいる。それはチェコ語学者で、カレル・チャペックの本をいっぱい翻訳してるからだ。平凡社新書で「カレル・チャペック 小さな国の大きな作家」というとてもいい本も書いている。
・旭堂南陵(きょくどう・なんりょう)が30日に死去、70歳。講談師だが、僕が知っているのは1989年の参院選に兵庫から出馬して当選したから。リクルート事件の年で、社会党から出馬して一期務めた。その頃は旭堂小南陵だった。89年はトップ当選だったが、95年は社会党を離れて「平和・市民」という小グループから出て惨敗した。
(山本寛斎)
次第にイヴェント・プロデューサーのような仕事を手掛けるようになり、2005年には愛知万博の開幕イヴェントを担当した。演劇やコンサートを盛り込んだ「スーパーショー」を企画し、1993年にはモスクワで12万人を動員した。なんてことが記事には書かれているけれど、僕は全く知らない。強烈な色彩感覚で知られたと言うけど、僕にとっては名前を知ってただけだった。
歌人の岡井隆が7月10日に死去、92歳。僕は短歌や俳句の世界をほとんど知らないので、岡井隆の訃報がすごく大きいのに驚いた。というか、それは新聞の話だから、テレビやネットニュースではどうなのかは知らない。医者だったというし、なかなかドラマチックな人生を送った人のようだ。短歌では寺山修司、塚本邦雄とともに「前衛短歌の三雄」と言われた。しかし、1992年に歌会始の選者を引き受け、さらに皇族の和歌御用掛を務めたことを「転向」と批判されたという。僕は元々の事実を知らないので、そういうことがあったんだと思った。代表作とよく出てくるのは、「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」。60年安保の時の歌。
(岡井隆)
歌手の弘田三枝子が7月21日に死去、73歳。そう言えば「ヴァケーション」や「夢見るシャンソン人形」などの曲があった。60年代前半のことで、僕は世代的に直接は知らないんだけど、ラジオでよくかかっていた。底抜けに明るくて、ちょっぴり切ないアメリカのポップスを多くの人が聞いていた時代だ。その後低迷するが、1969年に「人形の家」が大ヒットした。同時にダイエットブックを出版し、ベストセラーになった。そう言えば、そんなこともあったなあ。ヒット歌手としてはその頃で終わった感じだが、その後も歌手は続けていたようだ。
(弘田三枝子)
7月21日に俳優・歌手の三浦春馬が自殺したと報じられた。30歳。新聞ではそんなに大きくないけれど、ネット界、テレビ、週刊誌などでは一番大きく報じられた訃報だろう。もっとも僕は名前と顔が判る程度で、テレビドラマをほとんど見ないので、あまり書くことが出来ない。映画も「恋空」「奈緒子」「永遠の0」など僕が見てない映画が多い。(「東京公園」という映画を見ていることを調べて知ったが、全然主演者を覚えてなかった。)舞台でも活躍していたので、今後が期待される俳優だった。背景に何があったのか知らないし、知りたいとも思わないけれど。
(三浦春馬)
・飯島周(いたる)が18日に死去、89歳。ほとんど知らないと思うけれど、僕はこの人の本をずいぶん読んでいる。それはチェコ語学者で、カレル・チャペックの本をいっぱい翻訳してるからだ。平凡社新書で「カレル・チャペック 小さな国の大きな作家」というとてもいい本も書いている。
・旭堂南陵(きょくどう・なんりょう)が30日に死去、70歳。講談師だが、僕が知っているのは1989年の参院選に兵庫から出馬して当選したから。リクルート事件の年で、社会党から出馬して一期務めた。その頃は旭堂小南陵だった。89年はトップ当選だったが、95年は社会党を離れて「平和・市民」という小グループから出て惨敗した。