尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「誰がハマーショルドを殺したか」

2020年08月19日 22時19分42秒 |  〃  (新作外国映画)
 渋谷のシアター・イメージフォーラムで「誰がハマーショルドを殺したか」という映画を上映している。ここは駅からずっと歩くので、猛暑の中敬遠していたら週末からレイトショーになってしまう。お昼の上映をやってるうちに見に行くことにしたのは、ダグ・ハマーショルドという名前に反応したからだ。2代目国連事務総長で、現職中に亡くなった唯一の事務総長である。1961年にアフリカ中部の「コンゴ動乱」の調停に向かう途中で飛行機事故で死亡した。

 そのハマーショルドの死因は事故ではなく、謀殺であるという立場で調査したドキュメンタリー映画が「誰がハマーショルドを殺したか」である。と一応言えるんだけど、少し不思議な作りになっていて、どこまで本当なのか今ひとつ判らない。世の中には「フェイク・ドキュメンタリー」(記録映画みたいな作り方をしている劇映画)もあるし、UFOマニアなどを追う「トンデモ」ドキュメンタリーもある。しかし、この映画は一応マジメにハマーショルド謀殺説を論証しようとする過程を記録する映画ではあるらしい。だが二人の秘書に調査結果を記録させながら進行するなど、どこか不穏なムードが漂う構成である。

 監督はデンマークでジャーナリストとして活躍しているマッツ・ブリュガーという人で、共同で調査しているヨーラン・ビョークダールは長年ハマーショルド事件を追い続けてきた。彼の調査に参加する形で撮影を開始し、これまで以上に渾身の取材ルポをまとめた作品である。途中でハマーショルド事件からどんどん離れて、アフリカをめぐる世界の陰謀の海の中に入り込んでいく。そもそもコンゴベルギー領だったが、資源が豊富なので国際的な資源争奪に巻き込まれやすい。アパルトヘイト体制下の南アフリカの謎の組織サイマー、イギリスやアメリカの情報機関などが浮かび上がってくる。世界を調査し多くの人に会うが、証拠はなかなか得られない。
(事故現場を調べる監督とビョークダール)
 調査員のビョークダールは父の代から追っているということだが、事故が起きたザンビアのンドラで見つけたという「飛行機のかけら」(実は調査したら違った)など、どうもトンデモ調査員っぽい。追い続ける中で、どんどん陰謀が膨らんでゆくが、じゃあ「誰がハマーショルドを殺したのか」という以前に、暗殺事件かどうかの確証もはっきりしない。しかし、アフリカに存在する謀略の罠のような迷宮に入り込む映画だ。恐るべき陰謀の数々に驚くばかり。
(ダグ・ハマーショルド) 
 ハマーショルドはスウェーデンの外交官で、1953年にトリグヴ・リーに続く2代目の国連事務総長に選ばれた。リーはノルウェー出身で、当初は北欧出身者が続いた。現在は一期5年で2期までが慣例化しているが、当時はそのようなルールはなくハマーショルドは53年からずっと続けていた。1960年にコンゴ共和国(後にザイール、現在はコンゴ民主共和国)が独立したが、直後に旧宗主国ベルギーなどの支援を受けて南部カタンガ州が独立を表明した。ルムンバ首相はソ連に接近したが、クーデターが起こってルムンバ首相は殺害された。2000年には「ルムンバの叫び」という記録映画も作られている。

 1961年9月17日深夜、ハマーショルドを乗せた飛行機が墜落して乗員15人全員が死亡した。僕がニュースに関心を持つようになったのは、ビルマ出身の3代目事務総長ウ・タント時代だった。ハマーショルドは前任者だったから、その悲劇的な生涯はよく知られていた。当時から単なる事故ではないと言う説はあったと思うが、詳しくは知らなかった。2013年になって、パン・ギムン事務総長によって新たな調査委員会が作られたという。2017年に出た報告書では外部犯行説が示唆されているらしいが、それは要するにはっきりした証拠が見つからなかったということだろう。
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