ロシア映画「LETO」が面白かった。ちょっと前に見た「ドヴラートフ」という映画は、あまりにも暗いなあと思って書かなかったが、どちらもソ連崩壊前の「レニングラード」の文化を描いている。「ドヴラートフ」はユーロスペースでの上映は終わったようだが、一応まとめて紹介したい。
レニングラードはソ連崩壊後、帝政時代のサンクトペテルブルクに戻されたが、これは町を作ったピョートル大帝から取ったドイツ語である。首都モスクワに対抗心があったのか独自の文化風土があり、映画でも「モスフィルム」に対して「レンフィルム」では、ソクーロフやアレクセイ・ゲルマンなどの映画作家を生み出した。「ドヴラートフ」は1971年の作家たち、「LETO」は1980年代のロックンロールを描く。どちらも「アンダーグラウンド」の文化である。
「LETO」は遊び精神に満ちた映像が楽しい。モノクロ映像を中心に、ところどころカラーになる。マイクがやってる「ズーパーク」というロックバンドが、友人立ちと一緒に海(湖?)に行ったとき、ギター片手にヴィクトルが現れる。やがてマイクの妻、ナターシャとヴィクトルが仲良くなって行くが…。T・レックス、ルー・リード、セックス・ピストルズなど「西側」のロック音楽に憧れた彼ら。音楽にもセリフにも、当時のロックミュージシャンがいっぱい出てくる。
ロシアの人なら誰でも判るんだろうけど、マイクやヴィクトルは実在人物である。かつて日本でも公開された「僕の無事を祈ってくれ」(1988)という映画があったが、主演俳優のヴィクトル・ツォイは大人気のロックスターということだった。その後、1990年にラトビアで事故死した。わずか28歳だった。どうも顔つきがアジア系だなと思ったら、ヴィクトルはカザフの朝鮮族だった。日本支配を逃れてソ連領に移住した朝鮮人は、スターリン時代に極東から中央アジアに強制移住させられた。ヴィクトルを演じたユ・テオは何だか韓流スターみたいだなと思ったら、ドイツ生まれで韓国で活躍しているという。セリフと歌は吹き替えだとある。
(ヴィクトル・ツォイ)
これを見ると、地区党委員会の下にある文化組織として「ロッククラブ」というのもあった。完全に弾圧することは出来なくなって、党の統制下で一部認めたということらしい。そこでは体を揺らしてリズムを取ると、係員が注意に回っている。もちろん立ちあがって熱狂することなどは許されない。そんな「ロック」があるのかという感じだが、もし自由があったならという思いで映像を改変して楽しんでいる。監督はキリル・セレブレンニコフという人で、演劇界、映画界で活躍しつつも、アートプロジェクト資金の横領容疑で自宅軟禁になりながら映画を完成したという。政権からにらまれているらしい。「レト」は夏という意味で歌詞に歌われている。
「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」は、アレクセイ・ゲルマン・ジュニアが監督して、ベルリン映画祭銀熊賞を得た。ドヴラートフはソ連では一冊も出版出来ず、アメリカ亡命後に出版された小説で今は19世紀の大小説家につながる大作家とされているらしい。僕は名前を知らなかったが、レニングラードでは後にノーベル賞を受けた詩人ブロツキーなどと文学談義を交わすが、ひたすら飲んでいる。11月の革命記念日前後を描くが、もう雪が降っていて寒そうだ。内容も風景も寒くて、ちょっとこれは一般向きではないなと思った。
1960年代から70年代にかけて、ソ連では19世紀の作家たちの映画化作品がたくさん作られた。それは「民族文化」として西側諸国への「輸出」「外貨獲得」を名目にすれば製作しやすかったのだと思う。しかし、帝政時代の「遅れたロシア」にいらだつ知識人の姿は、明らかに当時のソ連への批判が隠されていた。今回の2作品を見ると、今ソ連末期の閉塞状況を描く意味はどこにあるのかなと思った。直接描いていなくても、統制が強くなるプーチン政権下の閉塞感が背景にあるのかと思った。ロシアの社会状況も心配しながら見たわけである。
レニングラードはソ連崩壊後、帝政時代のサンクトペテルブルクに戻されたが、これは町を作ったピョートル大帝から取ったドイツ語である。首都モスクワに対抗心があったのか独自の文化風土があり、映画でも「モスフィルム」に対して「レンフィルム」では、ソクーロフやアレクセイ・ゲルマンなどの映画作家を生み出した。「ドヴラートフ」は1971年の作家たち、「LETO」は1980年代のロックンロールを描く。どちらも「アンダーグラウンド」の文化である。
「LETO」は遊び精神に満ちた映像が楽しい。モノクロ映像を中心に、ところどころカラーになる。マイクがやってる「ズーパーク」というロックバンドが、友人立ちと一緒に海(湖?)に行ったとき、ギター片手にヴィクトルが現れる。やがてマイクの妻、ナターシャとヴィクトルが仲良くなって行くが…。T・レックス、ルー・リード、セックス・ピストルズなど「西側」のロック音楽に憧れた彼ら。音楽にもセリフにも、当時のロックミュージシャンがいっぱい出てくる。
ロシアの人なら誰でも判るんだろうけど、マイクやヴィクトルは実在人物である。かつて日本でも公開された「僕の無事を祈ってくれ」(1988)という映画があったが、主演俳優のヴィクトル・ツォイは大人気のロックスターということだった。その後、1990年にラトビアで事故死した。わずか28歳だった。どうも顔つきがアジア系だなと思ったら、ヴィクトルはカザフの朝鮮族だった。日本支配を逃れてソ連領に移住した朝鮮人は、スターリン時代に極東から中央アジアに強制移住させられた。ヴィクトルを演じたユ・テオは何だか韓流スターみたいだなと思ったら、ドイツ生まれで韓国で活躍しているという。セリフと歌は吹き替えだとある。
(ヴィクトル・ツォイ)
これを見ると、地区党委員会の下にある文化組織として「ロッククラブ」というのもあった。完全に弾圧することは出来なくなって、党の統制下で一部認めたということらしい。そこでは体を揺らしてリズムを取ると、係員が注意に回っている。もちろん立ちあがって熱狂することなどは許されない。そんな「ロック」があるのかという感じだが、もし自由があったならという思いで映像を改変して楽しんでいる。監督はキリル・セレブレンニコフという人で、演劇界、映画界で活躍しつつも、アートプロジェクト資金の横領容疑で自宅軟禁になりながら映画を完成したという。政権からにらまれているらしい。「レト」は夏という意味で歌詞に歌われている。
「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」は、アレクセイ・ゲルマン・ジュニアが監督して、ベルリン映画祭銀熊賞を得た。ドヴラートフはソ連では一冊も出版出来ず、アメリカ亡命後に出版された小説で今は19世紀の大小説家につながる大作家とされているらしい。僕は名前を知らなかったが、レニングラードでは後にノーベル賞を受けた詩人ブロツキーなどと文学談義を交わすが、ひたすら飲んでいる。11月の革命記念日前後を描くが、もう雪が降っていて寒そうだ。内容も風景も寒くて、ちょっとこれは一般向きではないなと思った。
1960年代から70年代にかけて、ソ連では19世紀の作家たちの映画化作品がたくさん作られた。それは「民族文化」として西側諸国への「輸出」「外貨獲得」を名目にすれば製作しやすかったのだと思う。しかし、帝政時代の「遅れたロシア」にいらだつ知識人の姿は、明らかに当時のソ連への批判が隠されていた。今回の2作品を見ると、今ソ連末期の閉塞状況を描く意味はどこにあるのかなと思った。直接描いていなくても、統制が強くなるプーチン政権下の閉塞感が背景にあるのかと思った。ロシアの社会状況も心配しながら見たわけである。