尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「政府見解」の背理-中学歴史教科書問題③

2020年08月31日 22時57分18秒 |  〃 (教育問題一般)
 これから育鵬社の教科書はどうなるのだろうか。もう一回大々的に採択運動を起こすのか、それとも教科書出版から撤退するのか。僕は当事者じゃないから判らないけれど、多分「明成社」みたいになるのかなと思っている。明成社と言っても判らない人が多いと思うけど、かつて1980年代に大問題になった日本会議編高校歴史教科書である。(日本史B

 これは日本会議が書いただけあって、完全に天皇中心主義的記述になっていて、中曽根内閣時に大きな政治問題になった。いろいろあって、結局中曽根首相の要請で再審議の結果、検定に合格する異例の経過をたどった。原書房から出版されたものの、高校は学校ごとの採択だから公立高校での採択はなかった。しかし、明成社という小出版社に移って、その後も細々と生き残っている。公立高では採択されないが、一部の右派系私立高校で使われているのだと思う。今回も私立中学では育鵬社の採択はあっただろうから、今後もそういう需要に応えて「小さく生き残る」のではないか。(産経新聞は経営面の問題もあり、撤退するかもしれない。)

 このように「教科書問題」は今までに何回も起こってきた。一番最初は1950年代半ばの鳩山一郎内閣当時にさかのぼると言われる。何でそのように社会科教科書に対する攻撃が何度も起こるのだろうか。教科書は当然のこととして、「日本国憲法」と「(旧)教育基本法」を受けて作られる。だから「基本的人権」や「平和主義」を特に社会科教科書では書くことになる。だが実は支配層のホンネは「人権」や「平和」が嫌いで、子どもたちにあまり教えたくない。

 戦後のほとんどの時期は自由民主党(あるいはその前身の自由党、民主党)が政権を握っていた。だから検定では公然と、あるいは隠然と、教科書の記述に介入してきた。そこで家永三郎教授による「教科書裁判」などいくつかの裁判も行われてきた。それでも憲法改正が実現しない以上、特に公民分野では政府の都合のいい記述ばかりは求められない。

 90年代になって政治状況も変わり、また現代史の実証研究も進んで、教科書にも戦争の「加害」的な事実がかなり記述されるようになった。これに反発したのが「新しい歴史教科書をつくる会」であり、政界でそれに呼応したのが自民党若手議員が結成した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(古屋圭司会長、安倍晋三事務局長)だった。21世紀になって、若手議員だった安倍氏や故中川昭一氏が小泉首相に重用され、政権を望める地位につくようになった。「つくる会」のメンバーと安倍首相のブレーン集団はほぼ同じで、政治性が強かった。

 2012年末に安倍首相が復権すると、「つくる会」と親和性がある下村博文氏が文部科学相に就任した。内閣改造でも留任したので、2015年秋まで3年近く文科相を務め続けたのである。そして朝鮮学校への高校無償化外しを立法化したり、国立大学の文系学部廃止などを求める「国立大学改革プラン」した。そしてまた、下村教育行政において、教科書検定基準の改定が行われたのである。これによって教科書は「政府見解」を書かなければいけないとされた。

 文部科学省の「教科書検定の改善等について」(平成26年4月改正=2014年)を見ると、社会科においては、「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示され、児童生徒が誤解しないようにすることを定める。」「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解や最高裁判所の判例がある場合には、それらに基づいた記述がされていることを定める。」と明記されている。
(新基準による検定結果を伝えるテレビ)
 これによって、「領土問題」「南京大虐殺の犠牲者数」「自衛隊の憲法上の位置づけ」「積極的平和主義」などが政府見解に沿ってしか記述できなくなった。様々な見解を資料とともに併記して生徒に考えさせると言った「アクティブラーニング」を文科省は推進しているんではなかったのか。社会科では違うのである。ただし、こうして「つくる会」勢力の支持する政権が実現したことによって、育鵬社の独自性が薄れてしまったのである。
(検定の前後の比較)
 2005年の採択時など、扶桑社は各地で教科書採択を求める集会を開き、当時の都教委の教育長など休暇を取って九州の集会に参加していたのである。公然と政治介入があったわけだが、当時の扶桑社版は「右すぎる」から採択が進まないと自己評価して、新しく育鵬社の教科書を作ったわけである。(「つくる会」は分裂した。)だから育鵬社版は以前の扶桑社版ほどは偏っていなくて、多少は穏健化していた。だからこそ、他社との違いが少なくなった育鵬社を採択する意味が少なくなった。

 また「政府見解を書く」という縛りが掛かったことで、「南京虐殺事件はなかった」とか「東京裁判は不当だった」などのような「政府見解に反すること」は書けなくなったのである。もともと南京事件は育鵬社も「注」では書かざるを得なかった。本文で触れるかどうかに違いはあるとしても。公民で自衛隊や領土を政府見解通りになった代わり、歴史でも政府の公的見解を書かざるを得ない。社会科教科書は何段階もの「背理」を抱えている。どうやっても右派系が完全に望むような教科書(歴史的事実を政治的主張で変えてしまうような教科書)には出来ないのである。今後の改憲運動の中で「教科書を自分で作ろう」というような運動は起こりにくいだろう。
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