尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

沖縄孔子廟訴訟、大法廷へー右の「政教分離」訴訟

2020年08月01日 21時09分19秒 | 社会(世の中の出来事)
 那覇市の松山公園内にある「孔子廟」(こうしびょう)をめぐって、那覇市が敷地を無償提供しているのは憲法違反だと訴えた裁判がある。僕は全然知らなかったのだが、これは「反中国」を掲げる右派系による「政教分離」裁判なんだという。その裁判は複雑な経過をたどって、今最高裁判所に係属している。そして最高裁は7月29日に、この訴訟を大法廷に回付することを決めた。これはどういう意味を持つのかを考えてみたい。
(孔子廟)
 まず最高裁大法廷だけど、これは最高裁の裁判官15人全員で行う裁判である。普段は3つの小法廷に分かれて判決を出している。従来の憲法判断や判例に沿った判決なら、それでいいのである。だから最高裁の裁判はほとんどが小法廷で行われる。大法廷の裁判は年に1回あるかないかで、僕も小法廷は傍聴したことがあるが大法廷は見たことがない。どういうときに大法廷で裁判をするかというと、新しい憲法判断を行う場合である。それ以外でも重大な裁判は大法廷で行うこともあるが、今回は政教分離の憲法判断をするのだろう。

 この訴訟を起こしたのは、右派のテレビ番組を放送していたチャンネル桜内の『沖縄の声』のキャスターだった金城テルという人だという。孔子廟は戦災で焼失したものが2013年に再建された。当時は2000年から2014年まで続いた故・翁長雄志市長時代で、翁長氏は2014年に辺野古への基地移転反対などを掲げて県知事に当選した。(その後の那覇市長は後継の城間幹子。)訴訟は翁長市政を追及する目的があり、「反中国」を掲げて翁長知事支持勢力(いわゆる「オール沖縄」)弱体化をねらう政治的な目的があると思われる。

 一審は「原告適格性」を否定して市側の勝訴だったが、控訴審で差し戻しになった。二度目の那覇地裁判決は施設の宗教性を認めて、無償提供は違憲と判断した。福岡高裁那覇支部の控訴審も2019年4月に同じく違憲と判断した。差し戻し控訴審では、違法に徴収しなかった金額を示さなかったので原告側も最高裁に上告している。

 「孔子廟」と書いてきたが、正式には「久米至聖廟」と言って、運営しているのは一般社団法人「久米崇聖会」(くめすうせいかい)である。孔子を祀る施設もあるが、それだけではなく複数の施設があって「体験学習施設」として使用料免除になったという。でも確かに孔子を祀って宗教的儀式を行うこともあるようだ。2回にわたって、宗教性を裁判所で認定された事実は重い。

 しかし、歴史的には「伝統文化」と言える側面も確かにある。もともと中世に明国から来た職人集団などの「久米三十六姓」と呼ばれる人々が作ったのが孔子廟である。沖縄戦で失われ、元の場所は国道拡充で失われた。そこで那覇市久米にある公園で再建したもので、「宗教法人」の施設ではない歴史があるのも間違いない。「本土」なら、保守派の方が「伝統的な文化であって、特定の宗教を支援する意図はない」というレベルの建造物と言えないこともない。久米崇聖会というのも、要するに同族集団の「門中」と言われるもので、中国政府とは関係ない。

 今までの「政教分離」をめぐる裁判は、国家神道と結びついた靖国神社や、神道と天皇制の関わりなどを左から問うものだった。しかし、今回の訴訟は右から起こされたものである。今回の訴訟で、最高裁が厳格な政教分離基準を判示すると、「本土」では逆に「保守」の側が困惑する可能性もある。「市有地の無償提供」というレベルで終わるのか。今後様々な外国人が増加する中で、行政が宗教性の強い施設とどう向き合うか。(例えばムスリム住民が増えた場合、公民館などで礼拝所を作ることは認められるかなど。)大法廷に回付した以上、最高裁は何らかの本格的判断を下すはずだけど、今後に大きな影響を与えるので注目する必要がある。
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