教科書は何のためにあるのだろうか。授業に当たっては「教科用図書」を使用しなければいけないと学校教育法で決められている。もともとは学校ごとに決めていたものが、教科書無償制度(1963年から学年進行で実施)の実施とともに「採択地区ごとの採択」に変えられた。
ちなみにユネスコの「教員の地位に関する勧告」(1965年)には「教員は、生徒に最も適した教具及び教授法を判断する資格を特に有しているので、教材の選択及び使用、教科書の選択並びに教育方法の適用にあたって、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えられるものとする」と書かれている。専門職である教員の意向を聞かずに教育行政が教科書を決めるシステムには問題があるわけである。
それはそれとして、実際の教科書にはどんな意味があるのか。あるいは中学校の勉強は何のためにするのか。タテマエではいろいろ言えるけれど、現実の中学教員なら「高校受験」を無視できない。もちろん受験のために勉強があるんじゃないとは言うけれど、ほとんど全員に関係する高校受験を無視して中学教育を語れない。
中学の社会科は1・2年で地理と歴史、3年で公民をやるので、受験勉強時には歴史の授業はない。私立希望なら3教科でいいが、公立高は大体5教科だ。公立希望者は歴史の基礎知識を復習しないといけない。学習塾に行けない生徒もいるわけだから、教科書や教科書準拠の問題集の役割は大きい。だから現場的には「高校受験に役立つ教科書」がいい。
小中の教科書は基本的に基礎自治体(市町村)ごとに設置された教育委員会が行う。(小中学校は基礎自治体が設置するものなので。)しかし、公立高校はほとんどは都道府県立である。「高校受験に役立つ」と言われても、どの教科書も基本は学習指導要領に規定されるので大きな違いはないはずだ。だが「不利にならない」教科書ならあり得る。それは「近隣市町村と同じ教科書」にすることだ。そういう意識もあるのか、近年は東京書籍の寡占化が進んでいる。前回は歴史、公民ともに5割を超えていて、恐らく今回も圧倒的にトップのシェアになると思われる。
(東京書籍の歴史教科書)
それが望ましいと思うわけではないのだが、そういう現実がある。しかし、教科書専門他社もそれぞれ工夫があるわけで、一定の採択(10%程度)は確保する。教科書は価格が統一されていて、中学歴史の場合は775円と決まっている。よく「教科書はつまらない」「もっとエピソードを多く記述して面白く読めるようにして欲しい」などという人がいるが、税金で支払う教科書代を大きく増やさない限り不可能である。それでも最近の教科書を見たことがある人は、カラーグラビアがいっぱいで驚くだろう。文庫本程度の値段で出来るもんじゃないと思う。僕は教科書の採算分岐点を知らないけれど、多分教科書だけで採算が取れる会社は東京書籍ぐらいじゃないか。
じゃあ何で教科書会社が存在できるのか。それは「指導書」や「問題集」があるからだし、教育雑誌などもあるからだと思う。つまり教科書じゃなくて、問題集などがメインの商品なのである。中学教師の多くは副教材として、教科書準拠の問題集を買うことが多い。休暇もあれば出張もあるし、「ハッピーマンデー」のせいで各クラスの授業時数に差が出来る。生徒にやらせておける問題集は必須のものだろう。そういう副教材の充実度は、長く教科書作成に携わってきたの方が圧倒的に高い。僕は全然知らないけれど、扶桑社や育鵬社、自由社はどれほど教科書以外のサポート態勢が出来ていたのだろうか。
また社会科は新知見が多い。政治経済はもちろん、地理や歴史も新しいニュースがよく報道される。そういう新教材も教科書会社がまとめて送ってきたりする。東京書籍などはやはり充実していて、使ってない学校にも配布してくれる。地理では圧倒的にシェアが大きい帝国書院の世界各国の情報なども授業に役だった。「どこの教科書でも同じ」と様々な意味で主張する人もいるが、学校現場からすればそうではない。もちろんイデオロギー的な問題もあるけれど、各教員へのフォローアップ態勢が実際は大きな意味を持っている。
今回は「コロナ禍」の中の採択となった。育鵬社の採択が減ったのは教育委員の顔ぶれが変わったと言った要因もあるだろうが、それだけでもないと推測している。要するにオンライン授業などでの使い勝手の悪さがあったのではないだろうか。教科書専門会社は学校ごとに細かく回っていたものだが、コロナ禍でそれはできない。しかし、デジタル教材などの案内が育鵬社より明らかに充実していると(ホームページを見る限り)思う。多分それだけでなく、いろんな新工夫を提供しているのではないか。そういう意味もあって、また学校閉鎖、オンライン授業になっても使いやすい教科書、という選択もあったのではないだろうか。
ちなみにユネスコの「教員の地位に関する勧告」(1965年)には「教員は、生徒に最も適した教具及び教授法を判断する資格を特に有しているので、教材の選択及び使用、教科書の選択並びに教育方法の適用にあたって、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えられるものとする」と書かれている。専門職である教員の意向を聞かずに教育行政が教科書を決めるシステムには問題があるわけである。
それはそれとして、実際の教科書にはどんな意味があるのか。あるいは中学校の勉強は何のためにするのか。タテマエではいろいろ言えるけれど、現実の中学教員なら「高校受験」を無視できない。もちろん受験のために勉強があるんじゃないとは言うけれど、ほとんど全員に関係する高校受験を無視して中学教育を語れない。
中学の社会科は1・2年で地理と歴史、3年で公民をやるので、受験勉強時には歴史の授業はない。私立希望なら3教科でいいが、公立高は大体5教科だ。公立希望者は歴史の基礎知識を復習しないといけない。学習塾に行けない生徒もいるわけだから、教科書や教科書準拠の問題集の役割は大きい。だから現場的には「高校受験に役立つ教科書」がいい。
小中の教科書は基本的に基礎自治体(市町村)ごとに設置された教育委員会が行う。(小中学校は基礎自治体が設置するものなので。)しかし、公立高校はほとんどは都道府県立である。「高校受験に役立つ」と言われても、どの教科書も基本は学習指導要領に規定されるので大きな違いはないはずだ。だが「不利にならない」教科書ならあり得る。それは「近隣市町村と同じ教科書」にすることだ。そういう意識もあるのか、近年は東京書籍の寡占化が進んでいる。前回は歴史、公民ともに5割を超えていて、恐らく今回も圧倒的にトップのシェアになると思われる。
(東京書籍の歴史教科書)
それが望ましいと思うわけではないのだが、そういう現実がある。しかし、教科書専門他社もそれぞれ工夫があるわけで、一定の採択(10%程度)は確保する。教科書は価格が統一されていて、中学歴史の場合は775円と決まっている。よく「教科書はつまらない」「もっとエピソードを多く記述して面白く読めるようにして欲しい」などという人がいるが、税金で支払う教科書代を大きく増やさない限り不可能である。それでも最近の教科書を見たことがある人は、カラーグラビアがいっぱいで驚くだろう。文庫本程度の値段で出来るもんじゃないと思う。僕は教科書の採算分岐点を知らないけれど、多分教科書だけで採算が取れる会社は東京書籍ぐらいじゃないか。
じゃあ何で教科書会社が存在できるのか。それは「指導書」や「問題集」があるからだし、教育雑誌などもあるからだと思う。つまり教科書じゃなくて、問題集などがメインの商品なのである。中学教師の多くは副教材として、教科書準拠の問題集を買うことが多い。休暇もあれば出張もあるし、「ハッピーマンデー」のせいで各クラスの授業時数に差が出来る。生徒にやらせておける問題集は必須のものだろう。そういう副教材の充実度は、長く教科書作成に携わってきたの方が圧倒的に高い。僕は全然知らないけれど、扶桑社や育鵬社、自由社はどれほど教科書以外のサポート態勢が出来ていたのだろうか。
また社会科は新知見が多い。政治経済はもちろん、地理や歴史も新しいニュースがよく報道される。そういう新教材も教科書会社がまとめて送ってきたりする。東京書籍などはやはり充実していて、使ってない学校にも配布してくれる。地理では圧倒的にシェアが大きい帝国書院の世界各国の情報なども授業に役だった。「どこの教科書でも同じ」と様々な意味で主張する人もいるが、学校現場からすればそうではない。もちろんイデオロギー的な問題もあるけれど、各教員へのフォローアップ態勢が実際は大きな意味を持っている。
今回は「コロナ禍」の中の採択となった。育鵬社の採択が減ったのは教育委員の顔ぶれが変わったと言った要因もあるだろうが、それだけでもないと推測している。要するにオンライン授業などでの使い勝手の悪さがあったのではないだろうか。教科書専門会社は学校ごとに細かく回っていたものだが、コロナ禍でそれはできない。しかし、デジタル教材などの案内が育鵬社より明らかに充実していると(ホームページを見る限り)思う。多分それだけでなく、いろんな新工夫を提供しているのではないか。そういう意味もあって、また学校閉鎖、オンライン授業になっても使いやすい教科書、という選択もあったのではないだろうか。