16日の秋空です。
こちらは 今朝の空。 美しい鰯雲ですね。(ちょっと山女魚っぽい…?)
…雨は夜のうちにあがり、天気は回復にむかっている。雲のようすを見て、みんな口々に予想をした。 気苦労の種は尽きないけれど、毎朝こんなだったら、生きているのも悪くないと感じられる。…
、、いま読んでいる本の一節。。 まだ上巻を読み終えたところだから、 本についてはまた今度、ということにいたしますね、、
雲を見上げるの好きです。 小学生のときの自由研究では《雲とお天気》の観察もやったことありました。。 上の引用のなかの「雲のようす」がどんなかはわからないけれど、、 でも 今朝のような美しい雲が見られた朝は、 ほんとうに 「生きているのも悪くない」と思えます、、
だから、、 今週末の連休も、 房総や九州や、 降らないでいて欲しい場所の大雨がないことを切に 切に願ってます、、。 私もちょっとお出かけのつもりなのだけど… 天気の予想が難しいので 今の時期、 身支度には悩みますね、、
***
…どんな大きな喜びにも、わずかな悔いが残る。 人生はいつも、なにかもの足りずにすぎていく。…
、、さきほど読んだ部分に、 こう書いてありました。。 そうなのかな… そうなのかもしれないね…
、、やり遂げた、、 満ち足りた、、 達成した、、 最高の気分…!! 、、ほんとうにそこが終着だったら、 もうその先には進めないものね、、 燃え尽きてしまうから。。 どんな大きな喜びのなかでも きっと 心のどこかに《わずかな悔い》が残るからこそ、、 また次は、、 今度は、、 これからは、、 って頭をもたげる力になるのかも… ね
「悔い」という字は 「心」と 「毎」でできているから、、 心がいつもいつも感じることが「悔い」なのかもしれない。。 くよくよするのは惨めな(心がまいってしまう)ことのように感じるけれど、、 心はいつも「悔い」ていて良いのかもしれない。。 自分に足りないもの、、 至らないところ、、 いっぱいで、 いつもいつもダメな気分になること沢山あるけれど、、 日々 悔いていても良いのかもしれない…
***
、、 この夏の読書の流れで 第二次大戦、 第一次大戦、、 出征によって大きく損なわれた人生、、 引き裂かれた物語をふたつ、 続けざまに読んだら 読書とはいえ少し心が影響されて落ち込み気味になりました。。 物語の中でも、 傷ついたり 苦しんだりする人に寄り添うのはこちらの力を試されます、、
そして、、 本当にほんとうは、、 戦争という概念とか無機質なものが人生を砕いたのではなくて、 そこに存在する(そして何処にでも存在している)邪悪な心を持った《人間》こそが 誰かの心を、 肉体を、 破壊するのだと… それがわかっているから、、 同じ人間としてのやるせなさに 心が痛くなるのです…
、、 今の本を読み終えたら 今度は 詩人の本を読もうかな、、と思っています。 詩人が書いた小説を。。
たいせつな秋の日々…
たいせつに。。
心はいつも
彼方へ… その先へ…