春分の日を過ぎた頃から朝日が昇るのが早い。冬だったらぐっすり寝てる頃なのに朝日で目が覚める。春眠不覚暁ではなく春眠覚暁だ。意訳すると、春は日が昇るのが早いのでのんびりと眠れない、だ。
春眠不覚暁から始まる春暁だけど、こんな詩を書いた孟浩然の家には窓が無かったのかな。少なくともガラス窓ではないのかもしれない。だから暖かくなってついつい寝過ごしてしまうのだろう。
冬の間は日が昇るのが遅いので普通のカーテンを使ってた。だけどボチボチ東の窓は遮光カーテンにするかな。
春眠不覚暁から始まる春暁だけど、こんな詩を書いた孟浩然の家には窓が無かったのかな。少なくともガラス窓ではないのかもしれない。だから暖かくなってついつい寝過ごしてしまうのだろう。
冬の間は日が昇るのが遅いので普通のカーテンを使ってた。だけどボチボチ東の窓は遮光カーテンにするかな。
佐久の標高1000m付近に太い山姥が年下で細い旦那と暮らしている。ヤマンバってのは山婆と書くのかと思いつつ変換したら山姥という漢字が出て来た。漢字もなかなか奥が深い。
その太い山姥が10kgも痩せたなんていうのを風の噂で聞いた。こりゃぁ末期癌だなんてからかいに抜き打ち家庭訪問。車はあるが庭を歩いてても迎えに出てこない。ということは裏で何かしてるのかと思って行くとなんと薪割りをしてた。定年退職してからはこんなことばかりやってるみたいだ。
こうして見ると腹は凹んでるようだ
体型はというと、スリムになったのかと思ったらまぁデブには変らない。まぁそれでもその辺の中年よりは細いというか身体は締まってると言っても良いな。フリークライミングなんてのをやってると周りに腹の出た人は居ないのでどうも見る目が厳しくなってしまう。末期癌どころか健康そのものだった。
その太い山姥が10kgも痩せたなんていうのを風の噂で聞いた。こりゃぁ末期癌だなんてからかいに抜き打ち家庭訪問。車はあるが庭を歩いてても迎えに出てこない。ということは裏で何かしてるのかと思って行くとなんと薪割りをしてた。定年退職してからはこんなことばかりやってるみたいだ。
体型はというと、スリムになったのかと思ったらまぁデブには変らない。まぁそれでもその辺の中年よりは細いというか身体は締まってると言っても良いな。フリークライミングなんてのをやってると周りに腹の出た人は居ないのでどうも見る目が厳しくなってしまう。末期癌どころか健康そのものだった。
今燃えてるのは細い焚き木。子供の頃、風呂を炊くにしろ丸太なんてのは登場しなかった。太くてもせいぜい直径10cm程度だ。そんな焚き木は裏山から拾ってきたもんだ。火力はというと細いだけに一気に燃えるから強いくらいだ。熾火だって太い丸太ほどではないけど残る。
薪ストーブなどとわざわざ薪という文字のついたストーブ、しかもウン10万円もする高価なのが現れてからは薪は太い丸太だけとなった感がある。だから薪小屋にこんな細いのが沢山積んである家は少ない。
太い薪に比べて薪を補給する回数は増えるけど、爺婆が居る家なら大した支障にはならない。やがてボッケ家も爺婆の家になる。しかももし細い焚き木しか燃さないのならチェーンソーなんていう道具も要らない。たまに歳取ったら薪どうすんだなんて言う人はいるが、その時はその辺から細いのを拾ってくるから困らないはず。力は衰えても足腰さえしっかりしてれば問題ない。