

女子レスリング
ウェア
投げキッス
着替え
48kg級と55kg級の予選を観てたんだけど、試合が終った後握手もせず去ってくんだね。握手してたのは2組くらいだったかなぁ。こういうのって他の格闘技では見たことない。
ウェア
選手が来てる物を見るだけで時代が分かる。大昔は男の水着もけっこう生地を使ってたが競泳ではどんどん小さくなって行った。ところが最近は男でも全身を覆うかのようなのが増えた。
それとは逆に陸上女子はどんどん生地が小さくなって上の方はゼッケンよりやや大きい程度に進化(?)した。マラソンなんかを見ていると腹に顔の絵でも書いといたらけっこう面白いと思うのだが市民マラソンだと既にそんな事をしてる人は居るんだろうか。
投げキッス
陸上女子800m予選を観ていたら選手紹介の時にカメラを向けられると投げキッスする選手がいた。5~6人はいた。その後もそうなのかと期待したがそれほどでもなかった。予選1組だけが特に多かった。
傾向としてはアフリカ系の人はあまりやらず髪の色がブロンドの人が多い。中にはアッカンベェをする選手がいたんだけど、それは砲丸投げの選手。
ロシアとか北欧の選手が多いのかと思ったが女子800m予選1組はヨルダン、ロシア、コロンビア、英国、豪州、ナミビア、ポーランドと色々。国による傾向はあまり無いみたいだ。ところで投げキッスを見て喜んだり無関心だったりする人種の傾向ってのはあるんだろうか。
着替え
韓国中央日報が注目のフォト・動画ってコーナーでスペインの女子水泳選手が観客席の中でバスタオル巻いて着替えてる所の写真を載せた。しかも4駒構成。さすがはレイプ率No.1な国のマスコミだけある。
この記事を取り上げてるブログが幾つもあったけど写真付きで紹介ってのは微妙なところだ。書き方によっては下品さレベルが同じになってしまう。
岩登りの話だけど、欧州では女の人が平気で着替えてて驚いたなんて話を思い出した。日本ではそういう光景は残念ながらまだ見たことないが、その辺りの感覚は違うのかな。
ボッケニャンドリ家の贔屓は金を取った谷本選手と銀の塚田選手。塚田は最後に投げられちゃったけど、ゆるフンじゃなかった、だらしないというか小ずるいゆる帯相手にめげずによくやった。しかも終了間際、時間稼ぎすれば確実に金だったのに攻め続けるという感動的な柔道をした。
男子100kg超級の石井選手の試合も良かったけど、観てて力が入った試合は塚田選手の方だった。そんな試合をしたというのに速報とはいえこの素っ気無い記事は気に入らない。これで記事全文だ。世界第二位でもこれだけ。拝金主義そのまんまだ。そりゃ勝つに越したことはないけど、名勝負という言葉はマスコミの中では死語?
物事はある程度制約があった方が良い事がある。格闘技にK-1とかプライドとか色々なのが出てきた。プロレスとボクシングはどっちが強いのかから始まったというのがあるけど結局勝つのはルール次第。すると今度はルールが段々と何でもアリ的になる。そうなるとえげつない勝ち方になり見てて面白くなくなる。突き詰めれば指の関節や急所攻撃になっちゃう。
柔道はまだそういう状況ではないけれど、仮に試合をシルエットで観たらレスリングじゃん、って試合が増えた。実際欧州では柔道のことをジャケット・レスリングって言ってるらしい。柔道をそういう風に理解してきた証拠だ。この先どうなるかは今後の指導者次第だろうね。ちなみに塚田選手の立ち技、何時見ても相撲の浴びせ倒しに見えちゃうんだけど。
今からウン10年前、スネークマンショーってのがあって、ステージの上で Japanese gentlemen (men?), stand up please と絶叫するコンサートネタがあった。
開会式で自分の国を代表する選手が登場したら送り出す側は敬意を持って応援したい。日本と北朝のおエライさんだけが座ったままの観戦だったと石原都知事が指摘した。せいぜい発言にも言及した。この人トンデモな事も言うけどこういうスルドイ指摘もたまにある。でもこれを報道した新聞社はインターネット上では少なかったなぁ。
この人、国を代表する人達にもこんな態度だからねぇ、一般民衆に対する態度は察するものがある。せいぜい任期満了までがんばって欲しい、というより潔く解散して総選挙して欲しい。それが国民のためってもんだ。
随分前、南アルプスの北岳(きただけ)に行った時のこと。肩の小屋のテント場でテントを張って中にいると何だか爆発音が聞こえた。こんな時間に工事のダイナマイトってことはないよな、と思いながら稜線に出ると遠くの方で花火を打ち上げていた。駒ヶ根辺りだろうか。
それまで山から見た花火はどんなだろうと思ってたけどその時は余りにも遠過ぎて1円玉くらいの大きさでポンッと弾けるだけ。しかも1回打ち上げると次のがなかなか打ち上がらない。しまいには寒くてテントの中に入った。
昨夜、旧隣村の花火大会があった。今年は家の北側の窓から花火を見たんだけど、6号以上でないと高く上がらないので木に隠れて見えない。だからスターマインなんかは全然。一番大きいのは尺玉。これは高々と上がるので良く見えるし破裂音も迫力。でも花火が上がるペースはのんびりで1分に1回くらいだろうか。打ち上げの間には花火の大きさとスポンサーの紹介がある。中には結婚おめでとうなんてのもあった。
選手の耳には…人たちの声援もっていうけどスエマエとかフェンシングで銀メダル取った人なんて騒がれるまで知らなかったんだけど。だいたい選手団を前にして 「 まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください 」 って言った人だからねぇ。それって声援?
だいたい声なき声って、既に色々な声を発してると思うんだけどそれは取り敢えず無視? だいたいそういう声を発したい人がメルマガ読める環境っていうのかな、持ってないような気がする。
柔道には色々な技があるけど、履歴書の得意技欄に書ける技、って履歴書にあるのは特技だったか。そういう技は背負い投げとか女子63キロ級谷本選手が優勝を決めた内股で立ち姿勢からの投げ技だ。
ところが北京では聞きなれない技がよく出る。朽木倒し、もろ手刈り、これってレスリングのタックルのようなものでこれを得意技だと言う日本選手は居ないだろう。これらは試合の流れの中で反射的に出て来る技で最初から狙うのは柔道の精神には無いと思う。でもそういう気持ちまでは外国に伝わってなかったようだ。
だいたい狙う姿は前傾姿勢になり正にレスリング。下手すると柔道対レスリングのような異種格闘技戦みたいになりそう。まぁでもどちらの技も正式な技。試合開始早々使っちゃダメなんてことは何処にも書いてない。国際化ってのはこういう事なんだなぁ。
ところが北京では聞きなれない技がよく出る。朽木倒し、もろ手刈り、これってレスリングのタックルのようなものでこれを得意技だと言う日本選手は居ないだろう。これらは試合の流れの中で反射的に出て来る技で最初から狙うのは柔道の精神には無いと思う。でもそういう気持ちまでは外国に伝わってなかったようだ。
だいたい狙う姿は前傾姿勢になり正にレスリング。下手すると柔道対レスリングのような異種格闘技戦みたいになりそう。まぁでもどちらの技も正式な技。試合開始早々使っちゃダメなんてことは何処にも書いてない。国際化ってのはこういう事なんだなぁ。
よく使う鍋は小窓のところに吊るしておくんだけど困るのは蓋。鍋と離れた場所に置くくらいなら鍋と蓋は一緒の方が良い。でも体を屈めて一々引き出しなどから出すのも面倒。
試しに太めの針金にかけてみたらそこそこ使えた。この針金のところを最初は紐でやってみたんだけど紐が蓋の重みで簡単に外に押し出されて蓋を支えられない。針金は固いので大丈夫ってわけだ。
肉は冷凍庫にしまってある。固まりのバラ肉もある。使ってる冷蔵庫、肉を包丁で切れる程度に冷凍することが出来る。でも使い方がよく分らないし保存期間も短くなりそうなのでその機能は封印。
カチカチに凍った肉を切るにはレンジで解凍すれば簡単だけど、全部食べるわけではないので解凍はしたくない。結局何時も力づくで切っていた。本当は買った時に小分けしとけばいいんだけどついそのまま冷凍庫に入れてしまう。そしてカチカチの肉を切るというアホな展開。
肉を見ててふと思った。出刃包丁を振り下ろしたらどうなるんだろう、と。そんな包丁の使い方は通り魔くらいしかしない。やってみるとそんなに勢いをつけなかったのに思ったより刃が食い込んだ。半分も食い込めば後は少ない力で切れた。
カチカチに凍った肉を切るにはレンジで解凍すれば簡単だけど、全部食べるわけではないので解凍はしたくない。結局何時も力づくで切っていた。本当は買った時に小分けしとけばいいんだけどついそのまま冷凍庫に入れてしまう。そしてカチカチの肉を切るというアホな展開。
肉を見ててふと思った。出刃包丁を振り下ろしたらどうなるんだろう、と。そんな包丁の使い方は通り魔くらいしかしない。やってみるとそんなに勢いをつけなかったのに思ったより刃が食い込んだ。半分も食い込めば後は少ない力で切れた。
小諸なる古城のほとりといえば島崎藤村の詩なんだけど、俺の頭の中では島崎藤村はふじむらとうそんになっている。勿論島崎藤村という文字を見ればしまざきとうそんなんだけど、その字が消えると頭の中は藤村とうそんに入れ替わる。そしてとうそんってどんな字だっけか、と。それにしても名前が藤村って変じゃないか、と難癖を付ける。
佐久にあるお寺、貞祥寺(ていしょうじ)の境内の中に藤村の住んでいた家がある。といっても小諸にあった家をここに移築したもの。それを最近になって知ったので湧き水を汲んだ帰りにちょっと寄ってみた。家は直ぐにあった。
それまで山だと思ってた所はお寺の境内だった。10mほど入ると樹齢ウン百年以上はありそうな木が何本もあり、ちょっと別の世界って感じだった。またその木陰の中は過ごし易い。上の写真、階段を登り切ったところの左側に見える屋根の家だ。
藤村(とうそん)の家を見に境内の中に入るとこんな石碑があった。日本語で何か書いてあるらしいけど読めん。時と共に石が風化して、ということではない。草書っていうのかな、それが読めない。
前にも小諸で藤村の詩が書いたものを見たんだけど3割くらい読めなかった。読めたところだって詩を少し覚えてたからだ。こういう書体を書けないにしても読めないのもなぁと時々感じて情けない。
この佐久という地名を知ったのはそんなに古くない。フリークライミングを始めてまだ1年経つか経たないかという頃、今から10数年ほど前に岩登りに来て初めて佐久という地名を知った。
それまでは清里と小諸の間には人が住んで居ない場所だと漠然と思ってた。勿論町や村なんてのは無く、八ヶ岳連峰が南北に連なるように野辺山の辺りから浅間山の手前まで無名の山々があるんだと思ってた。
小諸というと島崎藤村の詩のせいで良いイメージがある。知名度も佐久よりはずっと高い。小諸に住んでる年輩の人がここはスイスの何処ぞの渓谷と似ててナンタラと言っていた。形は確かにその通りだと思う。しかしちょっと高い所から見下ろしてもなんだかゴミゴミしてる街に見える。特に千曲川の右岸(川下に向かって右側)の方。
実際街の中、特に国道18号を通ると、ってそこだけじゃないんだけどケバケバしい看板ばかりでそんな良いイメージは吹っ飛ぶ。少なくとも50年前だったら良い風情だったろうけどねぇ。もし藤村が今の時代に住んでたらあのような詩は生まれなかったと思う。
それまでは清里と小諸の間には人が住んで居ない場所だと漠然と思ってた。勿論町や村なんてのは無く、八ヶ岳連峰が南北に連なるように野辺山の辺りから浅間山の手前まで無名の山々があるんだと思ってた。
小諸というと島崎藤村の詩のせいで良いイメージがある。知名度も佐久よりはずっと高い。小諸に住んでる年輩の人がここはスイスの何処ぞの渓谷と似ててナンタラと言っていた。形は確かにその通りだと思う。しかしちょっと高い所から見下ろしてもなんだかゴミゴミしてる街に見える。特に千曲川の右岸(川下に向かって右側)の方。
実際街の中、特に国道18号を通ると、ってそこだけじゃないんだけどケバケバしい看板ばかりでそんな良いイメージは吹っ飛ぶ。少なくとも50年前だったら良い風情だったろうけどねぇ。もし藤村が今の時代に住んでたらあのような詩は生まれなかったと思う。
この種目で連想するのは田口だ。泳ぎ方にケチをつけられて失格なんてのが記憶にある。で、その後田口が出した1分3秒だか4秒くらいってのが世界記録だというのが頭の中にあった。
北京で優勝した北島のタイムは世界記録。その記録は58秒台って6秒も短縮されていた。ちなみに当時は10分の1秒までの計測。凄い進歩だなぁと思ったが田口が出たミュンヘン五輪って36年も前だった。
そんなに前な気がしないんだけど、そんな話をするとまだ生まれてませんなんて言われるんだろうなぁ。それにしても平泳ぎで58秒ってどうもピンと来ない速さだ。
ガーリックなどが湿気ないように煎餅買ってその中にある生石灰を使ってた。ところがこの生石灰、湿気を吸うと消石灰になって生石灰には戻らない。しかも何時変化してのか分らないので気が付いたらガーリックなどが固まっている。
出来れば何度も使えるシリカゲルが良いと思ってたら薬局で売っているのが分った。確かめてはいないけどドライフラワーを作るとかで手芸店にもあるようだ。値段も一生使えそうでいて500円しない。子袋には7.5g入ってるけど出来れば5g以下のが欲しかった。
ガーリックの生石灰は効かなくなってて一番湿ってたけど湿気はけっこう短時間に取れた。でも早速レンジでチンして再利用。粉がサラサラになったので出過ぎないようにしなきゃ。
セブンイレブンから出ると駐車場の街灯がギラギラしてる。太陽の光が反射してるのかな、と思ったがそうでもない。ん? この青空の下、電気が付いていたのだ!
街中にある郵便局のATMは今時はエアコンを効かしている。勿論中は明るいのに蛍光灯がついているが、まるで昼行灯(ひるあんどん)。最近はセブンイレブンのATMも使うようになった。ここのATMは窓際にある。勿論天井を見るとここにも昼行灯。
省エネのためコンビニの深夜営業を止めろなんて話もあるが夜だって冷蔵庫の電気が入ってるんだから大した省エネにはならないとコンビニ側は言う。まぁ何というか電灯を付けたり消したりなんて発想はコンビニには無いんだろう。コンビニはスーパーで買うより3割は高いんだけど、それでも客は来るからコストは全部、ってわけです。