小諸なる古城のほとりといえば島崎藤村の詩なんだけど、俺の頭の中では島崎藤村はふじむらとうそんになっている。勿論島崎藤村という文字を見ればしまざきとうそんなんだけど、その字が消えると頭の中は藤村とうそんに入れ替わる。そしてとうそんってどんな字だっけか、と。それにしても名前が藤村って変じゃないか、と難癖を付ける。
佐久にあるお寺、貞祥寺(ていしょうじ)の境内の中に藤村の住んでいた家がある。といっても小諸にあった家をここに移築したもの。それを最近になって知ったので湧き水を汲んだ帰りにちょっと寄ってみた。家は直ぐにあった。
それまで山だと思ってた所はお寺の境内だった。10mほど入ると樹齢ウン百年以上はありそうな木が何本もあり、ちょっと別の世界って感じだった。またその木陰の中は過ごし易い。上の写真、階段を登り切ったところの左側に見える屋根の家だ。
藤村(とうそん)の家を見に境内の中に入るとこんな石碑があった。日本語で何か書いてあるらしいけど読めん。時と共に石が風化して、ということではない。草書っていうのかな、それが読めない。
前にも小諸で藤村の詩が書いたものを見たんだけど3割くらい読めなかった。読めたところだって詩を少し覚えてたからだ。こういう書体を書けないにしても読めないのもなぁと時々感じて情けない。
この佐久という地名を知ったのはそんなに古くない。フリークライミングを始めてまだ1年経つか経たないかという頃、今から10数年ほど前に岩登りに来て初めて佐久という地名を知った。
それまでは清里と小諸の間には人が住んで居ない場所だと漠然と思ってた。勿論町や村なんてのは無く、八ヶ岳連峰が南北に連なるように野辺山の辺りから浅間山の手前まで無名の山々があるんだと思ってた。
小諸というと島崎藤村の詩のせいで良いイメージがある。知名度も佐久よりはずっと高い。小諸に住んでる年輩の人がここはスイスの何処ぞの渓谷と似ててナンタラと言っていた。形は確かにその通りだと思う。しかしちょっと高い所から見下ろしてもなんだかゴミゴミしてる街に見える。特に千曲川の右岸(川下に向かって右側)の方。
実際街の中、特に国道18号を通ると、ってそこだけじゃないんだけどケバケバしい看板ばかりでそんな良いイメージは吹っ飛ぶ。少なくとも50年前だったら良い風情だったろうけどねぇ。もし藤村が今の時代に住んでたらあのような詩は生まれなかったと思う。
それまでは清里と小諸の間には人が住んで居ない場所だと漠然と思ってた。勿論町や村なんてのは無く、八ヶ岳連峰が南北に連なるように野辺山の辺りから浅間山の手前まで無名の山々があるんだと思ってた。
小諸というと島崎藤村の詩のせいで良いイメージがある。知名度も佐久よりはずっと高い。小諸に住んでる年輩の人がここはスイスの何処ぞの渓谷と似ててナンタラと言っていた。形は確かにその通りだと思う。しかしちょっと高い所から見下ろしてもなんだかゴミゴミしてる街に見える。特に千曲川の右岸(川下に向かって右側)の方。
実際街の中、特に国道18号を通ると、ってそこだけじゃないんだけどケバケバしい看板ばかりでそんな良いイメージは吹っ飛ぶ。少なくとも50年前だったら良い風情だったろうけどねぇ。もし藤村が今の時代に住んでたらあのような詩は生まれなかったと思う。