ボッケ登山隊は7人。そのうちの1人は小学2年ということもあってのんびり歩くと山頂には丁度12時に着いた。食事をして休んでると変った現象を発見。ヨメの髪の毛が写真のように立っている。そういう自分も立っていると言われた。カメラの画面を鏡に見立てたら確かにモヤモヤと立っていた。
不思議なことに他の人にはそういう事はなかった。ヨメはというと頭がもぞもぞすると言ってたが、俺は特にそういうことはなかった。まぁ兎に角天気は下り坂、雨が降らないうちに下りることした。もう直ぐ駐車場って辺りで雷鳴が聞こえた。
シャクナゲは6月頃だったかな、標高によってずれはあるけどその頃咲く山の花だ。なのにもう花芽が出ている。これはツツジ科の特徴だそうで、庭にあるツツジだと剪定の時期が遅いと翌年花が咲かないのだとか。
道中、数箇所でシャクナゲに虫こぶが付いているのを見た。雨がザーザー降ってたのでこれ1枚だけなんだけど、色が白く飛んでしまった。実際はピンク色の部分があって本当の花のような色合いだった。
最初、県内の出来事とは分らなかった。内陸の長野で作ってるおはぎの餡子が中国産なんだねぇ。何となく田舎の手作りって印象を持ってるだけに意外だった、なんて能天気過ぎるか。それにしても味見して手足のしびれっていうけど既に異臭があった時点での味見は危険行為だと思うなぁ。中国産だよ。死んだっておかしくないんだよ。
ヨメが耐熱ガラスの食器でポテトサラダを作った。一口味見したところ小さなガラスの破片を見つけた。欠けたところを捜すとピッタリ合ったけど、その隣もザラザラしていた。もしかするともっと小さな破片が残ってるかもしれないので勿体ないけど破棄。まぁそれにしてもよく一口で偶然にもたった一つの破片が見つかったもんだ。
煙突に鳥が入らないようにするにはこのように金網で覆うのが一般的。でもシーズン中に覆ったままで手入れしなかったので金網にタールが付いてしまった。それがシーズンの終わり頃だったけど、煙が逆流してきたので金網を外した。
ストーブのシーズンが終る頃にスズメの巣作りが始まる。するとスズメが煙突によく入るようになる。入ったスズメがストーブの中まで来ると捕まえるのが厄介。ストーブの扉を開けた時に真っ黒なスズメが飛び出して家中飛び回ることがある。更に捕まえるのが厄介。
そこで煙突の一部を外して袋をかけた。入ったスズメはこの袋に居るので今度は簡単に捕まえられる。袋が不透明なので分りにくいけど煤がコップ1杯分くらい溜まっている。スズメがささやかな煙突掃除をしてくれた。
総理の次は農水相かぁ、というよりまた農水相かぁ。責任取って辞めたっていうより割の合わない仕事から逃げたって感じだなぁ。でもここでがんばれば自民党も、ってそもそも党は業界寄りなんだからどうしようもない。
そして農水次官はというと更迭。でも首になるわけでもないし、表舞台に出ずに済んでラッキーくらいかも。だからどの辞任も責任取ったなんて到底思えない。で、こんな風にどいつもこいつも簡単に辞めて済んじゃう人達を見ててZZTopっていう名のロックバンドを思い出した。
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今は米ばかり騒がれてるけど他は大丈夫なのかな。事故大豆、事故トウモロコシ、事故小麦。当然あるはずだけどこういうのはどうなってるんだろ。俺がその場にいたら塩なんだけど、花束と拍手ってのはどっちもどっちってことかぁ。
何百年も前は読み書きの出来る坊さんと庶民とでは圧倒的な教養の差があった。だから坊さんは尊敬に足る存在だったはず。今はどうだろうかというと差があるどころか坊主の方がってこともよくある話。
色々あって親父の骨を拾うことになったけど、さて何処に納骨するかという問題に直面。本人は何処でもいいって言っていた。俺は死んだ後の骨なんて千の風じゃぁないけどどうでもいいからもし母親も居なかったらこっそりうちの墓にでも入れるつもりだった。しかし母健在、骨は断固拒否。そこで親父の後妻さんが眠る寺にしたらどうかと母親が言うのでそこが一番だと思った。幸い連絡先のメモもあった。
永代供養になったけど、まぁ百万円+αなお金が消えて行く。幸いそのお金は親父が残してくれたから良かったがそうでなかったらどうしただろう。寺は佐久から遠いので骨の事は年老いた母親に丸投げ。ちなみに永代供養といっても30年くらい経ったらそういうのをまとめて供養(処分?)してしまうそうだ。30年といったら親子の歳の差だから1代か。
石室に納骨する時、2万円を石屋さんに渡して欲しいと住職が母に言ったそうだ。なんだ、今まで言ってた費用で全部じゃなかったんだと母は呆れたし、それを後で聞いた俺も呆れた。何故最初から言わないんだろうね。この後に及んで断ることもないってところだろう。そんなこんなで自分の最後は坊さんの世話に、なんて気は起きない。骨は小匙1杯程度しか残らないくらいのウェルダンにして貰えると有り難い(遺言モード)。
色々あって親父の骨を拾うことになったけど、さて何処に納骨するかという問題に直面。本人は何処でもいいって言っていた。俺は死んだ後の骨なんて千の風じゃぁないけどどうでもいいからもし母親も居なかったらこっそりうちの墓にでも入れるつもりだった。しかし母健在、骨は断固拒否。そこで親父の後妻さんが眠る寺にしたらどうかと母親が言うのでそこが一番だと思った。幸い連絡先のメモもあった。
永代供養になったけど、まぁ百万円+αなお金が消えて行く。幸いそのお金は親父が残してくれたから良かったがそうでなかったらどうしただろう。寺は佐久から遠いので骨の事は年老いた母親に丸投げ。ちなみに永代供養といっても30年くらい経ったらそういうのをまとめて供養(処分?)してしまうそうだ。30年といったら親子の歳の差だから1代か。
石室に納骨する時、2万円を石屋さんに渡して欲しいと住職が母に言ったそうだ。なんだ、今まで言ってた費用で全部じゃなかったんだと母は呆れたし、それを後で聞いた俺も呆れた。何故最初から言わないんだろうね。この後に及んで断ることもないってところだろう。そんなこんなで自分の最後は坊さんの世話に、なんて気は起きない。骨は小匙1杯程度しか残らないくらいのウェルダンにして貰えると有り難い(遺言モード)。
随分前、会社の後輩がタダで英会話習ってるんだと話してきた。宣教師は二十歳くらいの若いアメリカ人だ。実はモルモン教の教会だと聞いた時は引いた。大丈夫だよって言うので試しに行ってみた。
何回か行ってるうちに1度だけ勧誘された。モルモン教の話を聞いているともっともだという事は多い。だけど頷いてるうちにそれでは神に祈りましょうとなった。そこで俺は引いてしまう。
何故そこで神が登場する必要があるんだろう。良いと思ったことを守ってるだけじゃダメなのかな。
何回か行ってるうちに1度だけ勧誘された。モルモン教の話を聞いているともっともだという事は多い。だけど頷いてるうちにそれでは神に祈りましょうとなった。そこで俺は引いてしまう。
何故そこで神が登場する必要があるんだろう。良いと思ったことを守ってるだけじゃダメなのかな。
宗教-神=道徳や倫理 |
このニュースを読んだ時、やっぱり上手く閉まらない事はあるんだなぁ。タンクをセットした時の灯油の出口を給油口にもしてるんだけど、もし取っ手のところに給油口があったら危険なほど漏れることも少なそうだし安心感もある。
コロナのファンヒーターは何台か買った。この給油口はネジ式ではないので手も汚れないし開け閉めも簡単でとても良い。でも初めて使った時から思ってたんだけど、蓋をちゃんと閉めなかったり、ある日突然壊れてビャーッて出ないのか気がかりではあった。
迷惑メールの話は多いけど、迷惑FAXってどのくらいあるんだろ。数日前、電話に出るとピッ ピッと聞こえ、直ぐに切れるというのが数回続いた。一体誰なんだと思いつつ136を回して相手の電話番号を調べた。数字が読み上げられるうちに知ってる電話番号になってきた。
早速そこに電話するとFAXがあると思い込んで送ろうとしてた。FAXはこちらが電話を切っても切ってもリトライしてたんだけど相手はただの電話だって分らないんだろうか。この自動リトライって何処のFAXにもあるんだろうけど、番号を間違えると迷惑機能に変身する。
ヨメ職場に同名の介護士が居る。仮に仮名子とする。同名なんてのは別に珍しいことではないんだけど、その2人の事を涸れた仮名子と腫れた仮名子と言った係長が居る。
2人の特徴はというと、1人はアラフィフ(50歳くらい)で、もう1人アラサー(30歳くらい)なんだけど太ってる。その太ってるのを腫れたと表現したところが良い。しかも涸れたと腫れたで韻を踏んでいるって所が詩人だ。
ヨメがその係長にうちのがとても気に入っていると伝えるとバレるのが恐ろしいせいか忘れてくださいと言った。でもこういう事って忘れにくいので困っちゃう。そして暫くしてかれたってのは枯れたなのか涸れたなのかどっちなんだろうという疑問が浮かんだ。
ヨメがまた係長に聞いて涸の字だと分った。そして係長は再び忘れてくださいと言った。どちらにも会う機会があるだけに黙ってるのもけっこう大変。これがバレるとどうなるんだろ。2人共荒れた仮名子になっちゃうのかな。
2人の特徴はというと、1人はアラフィフ(50歳くらい)で、もう1人アラサー(30歳くらい)なんだけど太ってる。その太ってるのを腫れたと表現したところが良い。しかも涸れたと腫れたで韻を踏んでいるって所が詩人だ。
ヨメがその係長にうちのがとても気に入っていると伝えるとバレるのが恐ろしいせいか忘れてくださいと言った。でもこういう事って忘れにくいので困っちゃう。そして暫くしてかれたってのは枯れたなのか涸れたなのかどっちなんだろうという疑問が浮かんだ。
ヨメがまた係長に聞いて涸の字だと分った。そして係長は再び忘れてくださいと言った。どちらにも会う機会があるだけに黙ってるのもけっこう大変。これがバレるとどうなるんだろ。2人共荒れた仮名子になっちゃうのかな。
96回出向いても何の不正も発見できなかった検査。こんなに頻繁に来られると普通は鬱陶しくなるし、行く方だって何も発見出来なくて嫌になりそうだけどそうでもないのかなぁ。ま、行く方は出張手当も出るしで物見遊山モードなのかな。それに事前に行く事を伝えておくとケーキなんかが出て来るのかなぁ。
数日前、電気の調査がやってきたのを思い出してブレーカーの所に行くと検査証が貼ってあった。検査員に今パソコン使ってますかって聞かれたので使ってると答えたけど今思うと何か意味があったのかな。デスクトップ型だと電気を切られるとまずい事があるけど使ってるのはノート型。まぁいいです、って感じで検査続行。こういう検査はテスターなんかを使ってるからまぁ信頼出来るんだろうけど面倒臭いので3種類やるところを1つだけってのもあるのかな。
今度は4年後だっけかな。そういえば何時も突然やって来るんだけど事前に葉書か何かで通知があったかなぁ。追い返すのも何なので毎回家に入れるんだけど空き巣の下見だとしても分らないね。突然家に上がられるのも嫌なので次回はちょっと考え様、って4年先までどう覚えとくかな。
5月にユーザー車検した。ユーザー車検だと検査証は自分で貼ることになっている。それを貼り忘れてたのに少し前に気がついたんだけど貼り忘れてた。そして今度の96回検査でまた思い出した。4ヶ月くらい過ぎちゃった。まだ年度内だから擦違ったパトカーも気が付かないってことかな。今日こそ貼り替えなくては。
けっこう最近までリーマンの話が全てサラリーマンの事だと思ってたくらいの経済オンチ。サブプライムローンって良く分らないんだけど、頭金も溜められない、もしくは溜める気の無い人が最初は低利、後に高利なローン組ませたら払えっこない気がする。
リーマン・ブラザーズが破綻してお騒ぎ。でもサラリーマンの厚生年金もけっこう危ないんじゃなかろうか。年金運用での損失もそうだけど、厚生年金そのものも怪しい。こんな改竄をした会社って全体のどのくらいあるんだろう。怖くってそんなの誰も調べたくない?
日本の労働者の大半を占めるサラリーマンが破綻するってのは日本が破綻するようなもんだ。でも現実はサラリーマンになれず日雇いだなんて人達が増えている。もう日本は破綻しかかってる?
医者が処置に失敗したら
医師の腕の良し悪しを判断するのは難しい。俺が若干判断出来るかなぁってのは歯科医くらいかな。それ以外は難しいし、一生のうち1回かかるかどうかの病気を治療する医師の良し悪しなんて分らない。
入院直前の親父の病状は黄疸症状だった。これを緩和させるために胆汁を体外に出す処置が必要なんだけど、第1回目は失敗。次の週にもう1度やってみると連絡があったので承諾したが、2回目、3回目も失敗。しかも腹の外から挿した針の先端が切れて体内に残ってしまった。そして黄疸は素人目にも進んだ。
その時点で入院から約1ヶ月過ぎてしまい、肝心な精密検査が出来ないので治療計画も宙に浮いたまま。そこで近くの北里大学病院で処置することになった。医師の提案である。その処置をしょっちゅうやってる医師だからか一発で成功。しかし既に精密検査をする時期は失っていた。
全ての医師が経験豊富ということはない。どんな優秀な医師でも未熟な時期がある。担当医師はまぁ見たところ中堅ってところだが、結果的には胆汁抜き取り処置は未熟。また他の医師に委ねる判断も遅かったと思う。だけど自分はベストを尽くしたんだから仕方無いって態度が気に入らなかった。
出来ればね、色々な人が回りに居るのが良い。オヤドリ(ヨメの母)が入院した時は病気のデパートみたいな叔父がいた。この病気はあそこがいいとか、ああした方がいい、こうした方がいいと言うのが役に立った。
連休前
病気に休日は無い。だからといって担当医師に24時間体制になってくれというのは無理な話。だから休日もしくは連休前は色々なケースを想定しておくのが患者側が出来る対策だ。
7月19日(連休初日)、親父の見舞いをしたが時々顔をしかめる。どうやら痛みが出て来たようだ。担当看護婦は休みだったので居合わせた看護婦に痛みを和らげて上げたいと言った。看護婦は医師に相談すると言った。
21日(連休最終日)の朝、病院に電話してその後痛みはどうなったのか聞いた。そしたらまだ担当医師にはその話を伝えてないと言われた。今までの経緯もあるので怒る気も失せたが先が短いこともあったので病院に行くことにした。俺としては最後の日という覚悟で出かけた。そのくらいの様態だったからだ。
病院に着いて医師に連絡するように頼んだ。暫くして電話で話をすることが出来た。医師の言うには痛み止めを処方するのは命を縮める事だ。なので人為的にそういう事をするのはどうか、などと言われた。そんな事とは知らなかったが何だか安楽死はどうのと責められてる気がして不快だった。結局痛み止めを使う事はやめた。
23日、夜遅く親父はこの世を去った。俺は翌朝病院に着いた。幸い穏やかそうな表情だったので救われたがこれが痛みと戦った険しい表情だったらどうだろう。この病院、病棟と会計事務の連絡も今一つだが、休日だと看護婦が医師に連絡するのに遠慮があるようだ。ま、この病院に限らないだろうけど。
しょうもない題名にしちゃったけど、メメ(猫)は外に出せと鳴いたかと思うと直ぐに中に入れろと窓の外でせがむ。元々猫を飼う予定は無かったので家を建てる時に猫の出入り口を考慮しなかったのを悔やむ。そんな事とはお構いなしに入れろの出せのとこの猫は手間がかかる。
当初壁か玄関の扉に穴を開けてと思ったが下手な日曜大工が裏目に出ると大変だ。なので慎重にどうやろうかと考えていた。結局、戸の間に穴を開けた板をかますことにした。というのも主が留守の間は外に出しておくから鍵をかけられるとかそういう事は気にしなくても良いのだ。だったら作るのは簡単だ。
しかし現実は順調ってわけでもない。俺が見える所に居ると今までのようにか細い声で鳴く。猫ってこんなもんだ。仕方ないからここから出るんだと言いながら連れて行く。