東京の府中でも40年前までは田んぼや畑が沢山あった。今は家だらけな府中本町(ふちゅうほんまち)駅の西側には家は殆ど無かったのだ。そんなせいか知らないが田んぼのある風景が好きだ。
写真を撮ったところは佐久市だけど合併前は浅科村だった。ここの米は美味しいという評判で高い値段で取引されている。それだけに減反に応じる農家は少ないようで 「 減反に応じろ 」 「 いやだ 」 という問題が絶えない。上手い米を作ったところでそうでない米だのミニマム米と一緒くたにされるんじゃぁやってらんないってところだろう。
減反されてないので一面田んぼが広がって、その向こうに浅間山。目障りな電線も目に入らない。これぞニッポンの風景って感じだ。この景色も良いが撮影地点より更に後ろ、集落のちょっと上の小高いところからの景色がまた良い。
原発などで放射能漏れが起きる。でも健康には問題無い、という発表。何かが起きる。市民やマスコミが騒ぐ。でも健康には問題無いという発表。そして基準の5倍の農薬が入った米は健康に問題無しだという。
それは安全のために厳しい基準のお陰、ってそうだろうか。日本の基準は世界的に厳しいので安心とよく言うけれど、厳しい基準だから多少守らなくても大丈夫、と思われてるんじゃなかろうか。
道路を走ってて40km/hを守って走ってる車はどのくらいあるだろう。パトカーだって1割2割増しで走ってる。誰も守ってない。日本の規則って皆こんな感じだ。守らなくても大丈夫だから守らない。そんな一面もあるような気がした。
しかし事故米事件はというと、日が経つにつれて色々な事が次から次へと出て来るとそんな規則の厳しさがどうのという話とはまるで関係無さそうだ。
食の安全ってことでは念のために回収ってのは分らないでもないが、これじゃぁ検査って何なのって感じだ。検査は科学的にやっててもデータを扱う側が全然科学的でない。毎度のことながら念のための大量廃棄は勿体ない。
車内が全く見えない高級車と事故を起こしたとする。修理という解決方法では解決しない。ささいな凹みでも新車を買うはめになったりする。念のため回収ってそれと同じ、って言ったら糞味噌かなぁ。
汚染米で作ったからとカミングアウトするのは良いが消費者に胸を張れるメーカーならその前にどの程度汚染されたのか測り、それで何ともないのなら問題ないような、そんな気がする。じゃぁお前はこんな事があった食品を食べるかと聞かれれば強いて食べる必要はないなんて感じで逃げちゃうけどね。
ラーメン屋なんかだと調理してる様子が見えるんだけど、それを見ているとオイオイ野菜のそんな部分も使っちゃうのかい、なんてのを目撃する。この事故米も大相撲の大麻騒ぎもほんの偶然の出来事から発覚した。まだまだこんな酷い話は沢山あるんじゃないのかな。でも何も起きてないからこれでもいいのか?
無洗米って言葉、何だか洗ってない汚い米のように聞こえる今日この頃。