私の家から25分ほど歩いて行くと小さな「美術館」があります。
原生林の中に静かに建つ美術館で、「吉田五十八賞(建築設計)」「公共建築百選(建設省)」を受賞している程の落ち着いた品のいい建物です。
今「中川一政と高山辰雄」展~その深遠な世界~を開催中です。
今日は、昨日とは打って変った秋晴れになりましたので、散歩がてら行ってきました。
中川画伯の絵は「自由奔放」といわれ、激しい情熱をぶつけた作品が多いのです。
また、創作活動も多方面に渡り、油彩・岩彩(日本画)・書・陶芸・・・・等数多くの作品が残されています。
常設展にも何回か足を運びましたが、その都度、違う作品を見ることができ興味のつきない画家です。
高山辰雄画伯は、基本的には「日本画」を描かれています。
しかし、その画風はポール・ゴーギャンに影響を受けてから変化し、後には、独自の作風が確立されました。
パンフレットによると、「西洋美術の造形性、写実性の中に、東洋絵画の精神性、空間処理の仕方を取り入れている。従来の日本画を超え、画家自身の内面を注視したその作風はまるで東洋絵画の幽玄世界を感じさせます」と書かれてありました。
理屈や、理論は分かりませんが、彼の絵は「やさしく、穏やかな」感じがするものばかりでした。
特に「農家のある風景」「山間」「森と花」に使われているブルーが好きです。
明るく澄んだんだ海を思わせる色・・・
太陽にキラキラ輝いている水のような色・・・
深く静かに眠りにつく空気の色・・・
どのブルーも引き込まれそうでした。
二人の画家の作風は、油彩と日本画という分野の違いも含めて大きく違うように思います。
が、書きたいという内面の思いを一気に画面にぶつけている生命感とか、実在感とかでは共通する部分があるようです。
中川画伯が「画の見方」というのを書いております。
「画をきゅうくつに考えないでみること。きめずに見ること。分からないものは分からないとしておいて、分かるものを先ず味わっていけばよい。自分の分かる程度で見てゆくこと。理屈攻めにして見てゆかぬこと。自分が成長すれば分かるだろうと思い、成長することを考えること。」
私は、絵にしろ、陶芸にしろ、手芸品、花・・・何でもこの気持ちで見に行きます。
自分の感じるままに、その作品に入り込めるかどうかを、基準に「好き・嫌い」を決めてしまいます。
持ち味の違った二人の画家の絵と接し、ほんわか気分になった秋の一日でした。
原生林の中に静かに建つ美術館で、「吉田五十八賞(建築設計)」「公共建築百選(建設省)」を受賞している程の落ち着いた品のいい建物です。
今「中川一政と高山辰雄」展~その深遠な世界~を開催中です。
今日は、昨日とは打って変った秋晴れになりましたので、散歩がてら行ってきました。
中川画伯の絵は「自由奔放」といわれ、激しい情熱をぶつけた作品が多いのです。
また、創作活動も多方面に渡り、油彩・岩彩(日本画)・書・陶芸・・・・等数多くの作品が残されています。
常設展にも何回か足を運びましたが、その都度、違う作品を見ることができ興味のつきない画家です。
高山辰雄画伯は、基本的には「日本画」を描かれています。
しかし、その画風はポール・ゴーギャンに影響を受けてから変化し、後には、独自の作風が確立されました。
パンフレットによると、「西洋美術の造形性、写実性の中に、東洋絵画の精神性、空間処理の仕方を取り入れている。従来の日本画を超え、画家自身の内面を注視したその作風はまるで東洋絵画の幽玄世界を感じさせます」と書かれてありました。
理屈や、理論は分かりませんが、彼の絵は「やさしく、穏やかな」感じがするものばかりでした。
特に「農家のある風景」「山間」「森と花」に使われているブルーが好きです。
明るく澄んだんだ海を思わせる色・・・
太陽にキラキラ輝いている水のような色・・・
深く静かに眠りにつく空気の色・・・
どのブルーも引き込まれそうでした。
二人の画家の作風は、油彩と日本画という分野の違いも含めて大きく違うように思います。
が、書きたいという内面の思いを一気に画面にぶつけている生命感とか、実在感とかでは共通する部分があるようです。
中川画伯が「画の見方」というのを書いております。
「画をきゅうくつに考えないでみること。きめずに見ること。分からないものは分からないとしておいて、分かるものを先ず味わっていけばよい。自分の分かる程度で見てゆくこと。理屈攻めにして見てゆかぬこと。自分が成長すれば分かるだろうと思い、成長することを考えること。」
私は、絵にしろ、陶芸にしろ、手芸品、花・・・何でもこの気持ちで見に行きます。
自分の感じるままに、その作品に入り込めるかどうかを、基準に「好き・嫌い」を決めてしまいます。
持ち味の違った二人の画家の絵と接し、ほんわか気分になった秋の一日でした。