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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私.
日々の出来事、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

微笑みの国・旅日記・・・⑦

2002-12-24 | インポート
アユタヤ・・この響は「ロマン」を感じます。
たくさんの遺跡が存在する街・・・ぜひ一度は行ってみたい場所でした。

美しい古代都市、アユタヤは、バンコクから車で1時間半くらいで行かれます。
1351年にアユタヤ王朝が開かれて以来、417年間にわたっての歴史がある街です。
水路に恵まれたアユタヤは、国際貿易都市として繁栄しました。
日本人の「山田長政」が活躍した町としても有名ですね。
しかし、ビルマ軍(現ミャンマー)の侵略も絶え間なく続き、1967年に栄光の幕を閉じました。
今は、奇跡的に戦火を逃れた、寺院や宮殿。朽ち果てた仏像など、たくさんの遺跡が残っていて、ユネスコの世界遺産に指定されています。

「ワット・プラ・スィ・サンペット」
最初の王朝の宮殿跡に建てられたアユタヤで最大規模の王室専用寺院でしたが、ビルマ軍によって破壊され、黄金は全部剥されてしまい、苔むした仏塔が3基だけ残っています。

「ワット・ロカヤ・スタ」
うっそうと生い茂る広大な草原に、悠然と寝そべる巨大な釈迦像です。
寺院も本堂もなく、真っ青な空のしたで、太陽の光を浴びながら、静かな微笑を浮かべている姿は、なんともやさしげで穏やかで、心が安らぎます。

「ヴィハーン・プラ・モンコン・ポピット」
タイ全土から参拝客が後をたたない礼拝堂です。
ビルマとの長い戦いの中で、何度も傷つきながらも信仰心の厚い住民の手によって補修がされ、現在までも奇跡的に残っている仏像があります。
大きな仏像の中から、何百体もの小さな仏像が発見されたりもしているそうです。

「日本人町跡」
最盛期には、日本人が2000~3000人も住んでいたそうです。
当時の日本人は、貿易も営む一方、アユタヤの傭兵としてブルマ軍との戦いにも参戦していたようです。ここでの町長が「山田長政」だったのです。彼の活躍ぶりは、何冊かの本にもなっています。
後の江戸幕府の鎖国で、この町は消滅、荒れ果ては原野となってしまいました。
日タイ友好100年を機に、公園として整備されましたが、隆盛を誇っていた当時の面影はまったくありません。






微笑みの国・旅日記・・・⑥

2002-12-24 | インポート
今回の旅では、いくつものすばらしい体験、ビックリする体験をしました。

タイ人の友人の家庭に泊めて頂いたのですが、そこでの「人生の初体験」は・・・
タイでも、お金持ちの家では、温水の出るシャワーが完備されているようですが、普通は、大きなバケツにためてある水を、身体にかける、いわゆる「水浴び」です。
暑い国だからこそできるんでしょうが、タイ人は朝晩このシャワー(?)をあびるとか。
これはまだいい方で、田舎の方へ行くと、川で「水浴び」をするのが当たり前だと言
どこの家の周りにも、大きな水がめがいくつも置いてありました。
雨水をためるためだそうです。

タイは至る所に、「ノラ犬」がいます。その数やまさに驚きです。
まして、お世辞にもきれいとか、可愛いとかいう犬ではありません。
暑いので昼間はグッタリとなって道端で寝ていますが、夜になるとウロウロし始めます。
最初はドキッとしましたが、慣れると、目にも入らなくなってしまうから不思議ですね。風景の一つみたいに・・・(笑)

今回は、タイ式マッサージも体験してきました。
足マッサージと前身マッサージの2回です。
2日目、あちこち歩き回り、足が疲れてきましたので、知人に紹介してもらった店へ行き、足だけマッサージをしていただきましたが、本当に楽になりました。
それで、日本へ帰る前の日は、旅行の疲れ(?)をとるために、前身をほぐして頂きました。

タイの伝統的なマッサージは、インドのヨガと中国のツボ指圧を科学的根拠に基づき、タイ風にアレンジしたものだそうです。
タップリ2時間・・・気持ちの良さに眠りそうでした。

今度の旅の最高の思い出は・・・
バンコクの大学での「国際交流授業」でした。
たまたま、友人の友人が、その大学で「日本語教師」をしており、前々日、いっしょに食事をしながら、いろいろの話をしている時、「ぜひ、自分のクラスの学生達に、日本のことを、話して上げて欲しい」と依頼されました。
「すごいおもしろそう」と私の好奇心は膨れ上がり、「OK]ということになったのです。

学生達は、今年の6月から日本語を勉強し始めた1年生ですが、「自己紹介」は全員、日本語でしっかりして下さいました。
名前、家族の人数、親の仕事、兄弟姉妹の仕事、自分の趣味、お正月の予定・・・
完璧ではなくとも、一生懸命、「伝えたい」という気持ちがよく分かりました。

日本についての質問も、次から次へと手が上がり、(もちろんタイ語ですから、先生の通訳つきです)2時間が足りなかったほどです。
日本で、中学生、高校生の国際交流授業に、度々おじゃまをしてきましたが、こんなではありませんでした。
日本の生徒・学生は、恥かしいのか、何を聞いていいのか分からないのか、質問が非常に少なく、困ってしまうこともしばしばですから・・・

最後に、せがまれて歌った、私の下手な歌にまで、大きな拍手をもらって、楽しい笑いに包まれた授業が終わりました。
その後、校内の食堂で、いっしょに食事をする機会もあり、もう感謝、感激の一日でした!
こんなすばらしい体験をさせて下さった、友人達には何度「ありがとう」とお礼を言っても言い足りません!




微笑みの国・旅日記・・・⑤

2002-12-24 | インポート
今回はバンコクでの「食」について書きます。

一言で言えば「同じ名前の料理でも、2度と同じ味に出会えないのでは?」と言っていいと思います。
つまり、調味料と食材の豊富さが、人それぞれの味を作り出すということです。

ナム・プラー(魚醤)、プリック(唐辛子)、パクチー(香菜)、マナオ(ライム)をミックスしたり、また、ココナッツ・ミルクやこぶみかんの葉、砂糖をいれることもあり、独特の味ができています。

食べる時に、テーブルの上で、これらの調味料を自分流に合わせて食べる・・・
タイ料理は辛いというイメージは間違っていました。
辛いのが好きな人は、それなりに、甘いのが好きな人はそれなりに、自由に味付けできますから。

今回の旅で食べた場所は、
町中いたる所にある、庶民的の味の代表というべき屋台。
デリケートな味わいと優雅な一時を提供してくれたホテルのレストラン。
チャオプラヤ川の心地よい川風を受けながら、ライトアップされた数々のワットやホテル、オフィスのイルミネーションを楽しんだ船上レストラン。
先に金権を購入し、好きなものを選びながら、冷房の聞いた中で、ショッピング、観光の合間に一休みできるデパートやショッピングモールのフードコート。

基本的に「タイ米ごはん」に鳥、アヒル、豚、シーフード、野菜類等を合わせて、好きな味付けをしながら食べるのが普通のようです。
麺も種類が多く、一度「アヒル入りラーメン」を注文しました。
醤油味にもやしが入っていて、まあまあでした。
その中に奇妙なものを二つ見つけました。
こんにゃくのような黒っぽい色をした、やわらかい物です。
口に入れて見ると、プリンのようにつるっとした舌触りで、まずくはありませんでしたが、「これ何?」とお店の方に聞いたところ「血を固めたもの」という返事・・・!
知ってしまった以上、もう食べられそうもありません(苦笑)。

タイのフルーツの種類の多さにはビックリします。
日本ではないものもたくさんあり、そのままでもジュースにしてもおいしい!
「スイカジュース」「マンゴジュース」「グアバジュース」「ココナッツジュース」「パインジュース」「マンゴジュース」・・・たくさんのフルーツジュースを飲みました。
暑いタイだからこそですね。

ちょっと青い固めのパパイヤを、5ミリくらいにスライスし、甘いジャムをつけてたべるデザートは、大のお気に入りになりました!

奥深いタイの食文化に驚きの連続でした。



落ち着かない・・・

2002-12-24 | インポート
今月の初めから、我が家では、キッチンの簡単な改造と外壁の塗りなおしが始まっています。
旅行の予定を先に入れてしまっていましたので、留守の間は外だけをしていただくようにお願いしてありました。
帰ってきたらきれいになっているかと、期待していたのですが、まだ終わっていませんでした。(苦笑)
小さな家でも結構時間がかるものですね。

昨日、オーダーしていた食器ケースが届きましたが、まだ回りとかを多少いじるので、並べられません。
家の中は、ダンボールがいっぱいだし、ペンキの匂いはするし、ほこりっぽいし・・・・なんだか落ち着かない感じです。

クリスマスツリーの電球と、ダンシングサンタの歌声が、余計に年の瀬を強調しているみたい・・・(笑)
今年中に整理できるのかしら?

そうそう、今、TVで放映中の「NTT DoCoMo」のカメラつき携帯「504is」のCMは私の町で撮影されたものです。
坂口憲二さんの「ふるさと」という設定です。
港を囲む町並みを高台から写したシーンがあるのですが、これは我が家のすぐ側から見た場面です。
小学校、小さな床屋さん、細い路地・・・一つ、一つ、切り離して見ると不思議に知らない町のように思えます。

もしcafeの仲間の皆さんの目に留まったら「あっ、harusanはこんな町に住んでいるんだ」と思って下さると嬉しいなあと、ここに書いてみました(笑)。