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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私.
日々の出来事、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

空中都市・マチュピチュ

2005-06-02 | インポート
私は、死ぬまでに絶対行きたいと思っている場所がまだ三つあります。
(2年くらい前の日記にも書いてますが・・・苦笑)

その一つが、ペルーのアンデス山中にある、インカ帝国時代に作られた「マチュピチュ」です!

昨日は6月1日、ボランティア先のカレンダーを新しい月にめくったら、なんとその「マチュピチュ」の写真だったのです~~。
「わ~~い」と喜んで、デジカメでパチリ(笑)

偶然にも、今日、「世界遺産」を紹介するNHKの番組で「マチュピチュ」を放映することを知り、早速見ました~~。

NHKのアナウンサーが、その空中都市・マチュピチュを見下ろせる場所に立ったときのコメントは・・・
「なんとも言いがたいすごいものです。
鳥肌が立って、震えがきました。日本から50時間以上かけて来たかいがありました」・・でした。
ますます「行きたく」なりました!

「世界遺産」はいま、700ヶ所以上が登録されていますが、このマチュピチュは、「自然遺産」「文化遺産」の両方を含む、めずらしいかけがえのない「複合遺産」なのです。

インカ帝国がスペイン人に滅ぼされたときにも、高い場所にあったため発見されず、破壊を免れた遺跡ですが、20世紀になって、アメリカ人の歴史化によって発見され、注目を浴びるようになったのです。

「何のために作られた都市なのか?」

諸説ふんぷんのようですが・・・
発掘された品々から、「万物の長に対する感謝の祈りをささげた場所」であるらしいというのが一番新しい説だそうです。
万物の長とは「太陽」であり、その太陽をあがめる人たちを集め、その儀礼を行った場所であるということが、残された遺跡や掘り出された遺品からわかってきたのです。

そういえば・・・
「インカ」とは「太陽の子」という意味だとどこかで読んだような気がします。

石造りの建物、石垣で作られた階段状の畑、太陽を利用して暦を作ったと思われる石の塔、太陽の使いといわれるコンドルを形どった石・・・これらの石は、すぐ隣の「岩山」から、細工され運ばれたと思われます。
マチュピチュのすぐ横にある岩山の石にその痕跡が残されていました。

このマチュピチュで暮らした人たちは、自然に囲まれて、豊かで平和な暮らしをしていたとか・・・
それは、遺跡の中から、まったく戦いの道具が発見されないこと、発掘された人骨にも、まったく傷がないことから、証明できるのだそうです。
いいですね~~~。
そんな「静かでのんびりした生活」があったとは・・・

そんな意味でも「マチュピチュ」に立って、遠い15世紀の時間を空想してみたいです~~♪