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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私.
日々の出来事、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

利尻・礼文の旅・・・③

2005-06-22 | インポート
稚内~~♪

利尻島・礼文島への起点は「稚内」です。
日本のてっぺんの北の果てです(笑)。

最北端の宗谷岬・・・北緯45度31分。

私がこの地に立つのは2度目です。
前回は、3年前の9月の下旬でした・・・ちょうど宗谷岬に着いた時は、夕日が水平線に沈む寸前で、徐々に暗くなる海岸、ビュービューと吹く風・・・まるで地の果てに来てしまった~~って、ちょっと恐い感じでした(苦笑)。

今回は、晴れの日中・・・運良く、遠く「サハリン」の島影が見えました~~~♪

サハリンは稚内から直線距離で43㌔、サハリン州・コルサコフと、稚内は、フェリーで5時間30分の旅です。
(ただしフェリーの就航は4月から11月までだそうです)
ちょっと行ってみたい気がしてきました(笑)

サハリン(樺太)の一部は、日本の領土でしたが1945年の終戦と同時にソ連領になってしまいました。
1945年8月20日、旧ソ連軍の侵攻を受けた樺太で、最後まで任務を果たし、自ら命を絶った真岡郵便局の9人の女性交換手の
最後の言葉を刻んだ碑が立つ「稚内公園」。
「皆さん、これが最後です。さようなら。さようなら」・・と。

この公園を訪れ、彼女達の話を聞かれた現天皇・皇后両陛下が、そのときの心境を詠まれた御歌が刻まれた「行幸記念碑」もあります。

また樺太で亡くなった多くの日本人を慰霊するために建立されたモニュメント「氷雪の門」・・・氷雪に耐えたくましく生きた人を象徴する像が立っていますが、涙を流すまいと顔を上に向けている姿には、胸を打たれます・・・遠く樺太の島影を見ながら、悲しい歴史のあることを思いました。

「樺太犬供養塔」・・・
思い出してください・・南極に置き去りにされた22頭の樺太犬たちを・・・
昭和31年、南極観測探検隊の現地輸送のソリを引くために派遣された樺太犬でしたが、悪天候のため、泣く泣く南極に置いてきぼりにされたのでした。
一年後、再び訪れた探検隊が見つけたのは、奇跡的に生き延びていた「タロ・ジロ」の2頭でした!
日本中の人たちが、どんなに喜び涙したことでしょう・・・

「南極物語」って題名で映画も作られました。
息子達が小さかった頃、いっしょに見た記憶があります。
その樺太犬たちの記念碑と供養塔が建てられているのです。
ジロをモデルにしたりりしい犬の像です。

稚内の港、フェリーターミナルのある北埠頭には「防波堤ドーム」があります。
強風と荒波を防ぐために作られた、全長427メートルの半ドーム型のものですが、70本の太い円柱と半アーチ型の回廊は、とても重厚な感じがします。
古代ローマの建物を連想させてくれます~~。

そうそう、鉄道も、稚内が「終着駅」ですね。
宗谷本線の線路はここで終り・・・もう先にはないんです。
駅を訪ねたのが夜だったので、ホームに上がって確認できなかったのが残念でした。

稚内・・・ここより先に日本の土地や町はないんです・・・だから、ゆっくりしていくといいですよ・・・って、町のパンフに書いてありました・・・
本当にそうしたかったです。