神奈川県・湯河原町では、毎年4月の第一日曜日に、「武者パレード」が行われます。
この「武者パレード」は、史実にもとづき、伊豆韮山より土肥郷へ、更に石橋山合戦へ出陣する「頼朝挙兵」の再現です。
今年は、今日4日がお祭りの日でした~~♪
武者行列は、一昨年じっくり見させて頂きましたので。
(その様子は、
町内や隣町の同じ宗派のお寺から、たくさんのご住職様が集まっての法要でした。
もちろん、衆議院議員、県会議員、町長をはじめ議会議長、姉妹都市の議長さん・・・多くの来賓の方や地元の方が参列されていたのにビックリ~~(もっと、小さな催しかと思っていたので・・・苦笑)。
約830年前、湯河原は豪族「土肥次郎実平」の荘園だったそうです。photo by harusan
↑土肥次郎実平とその妻の像ですが・・・後姿です~~~きゃははは
館のあった場所と言われる「JR湯河原駅前」に立っています。
伊豆で挙兵し鎌倉を目指す頼朝が、石橋山の合戦で敗れ、土肥の地に退去しました。
その頼朝を匿い助けたのが土肥次郎実平。
その後、隣町の真鶴の港から安房に向かった頼朝と実平は、四ヵ月後に三万の軍勢となり鎌倉入り、幕府樹立となりました。
日本の歴史の中で、この土肥郷での10日間が、中世の武家政治発祥の機縁になったので、まさに「その時歴史が動いた!」といえると、郷土史研究家は書いています。
その後に、信長、秀吉、家康…連綿と続く歴史の元なんだと思ったら、ちょっと神妙な気持ちになりました(苦笑)。
この「成願寺」には、土肥次郎実平が植えたと伝えられる樹齢900年の「びゃくしん」が、その特徴である「ねじり」を見せて堂々とそびえています!
それに「土肥一族の墓」は、たくさんの墓石が立っているのですが、それぞれが様
々な形をしており、一同にいろいろな形の墓石が集まっている墓ということも、関東地方ではめずらしいものだとか・・・。
いろいろ学びながら、楽しませていただいた一日でした。
→「実平」が舞ったといわれる「焼亡の舞=じょうもうの舞」も、保存会の方たちが奉納されました。