「睡蓮の長いまどろみ」 宮本 輝 著
先日、図書館でこの本のタイトルを見たとき「あっ~~因果倶時の本~~」と思い出しました(苦笑)。
物語の全容は忘れていましたが、この「因果倶時」というお釈迦様の言葉が妙に印象に残っていましたので、「春のお彼岸でもあるし・・・もう一度読むのもいいかな」と、借りてきました(笑)。
この「因果倶時」という言葉は、
『現在の自分は、過去の積み重ねの中にあり、将来の自分は、今現在の行動の延長にある。 だから一日一日、一分一秒を真剣に全力で大切に生きよう。その上に、自分の未来はあるのだから~~』
という意味です。
「睡蓮の長いまどろみ」というタイトル、私なりの解釈ですが・・・、
「蓮の花は、咲いたときにすでに実をつけている。
つまり、原因が生じたときは同じように結果もすでに生じている=因果倶時」なのだということを知ったある女性が、「自分で良い原因をつくれば、将来の結果も良くなる」のだと決心をして実行。
その後の彼女の生きてきた日々を、その息子を通して明らかにしていく物語の中で、
「自分の中にある何百人、何千人の人間として生きる」というその女性の強い生き方のすごさに、「硬い心」を感じていたのですが、「睡蓮」と「蓮」は同じものだと信じていたことのおかしさの中で、なんだかその強さが、柔らかく美しくほんわかと感じてしまったことからの「まどろみ」かなぁ~~。
何万年の時を経ても、環境さえ与えてあげれば花が咲くそうですから~~。
睡蓮は、大きな鉢に「泥」を入れて種をまけば、ベランダでも玄関でも「花を咲かせる」ことはできますが、蓮は「深い泥がある池」でなければダメなようです。
(つまり、泥の量がちがうということのようです)
仏教用語に使われているということは、その蓮のように「深くドロドロした中で生きる人間の一生を例えて」いるのでしょうか・・・。
二度目でも、最後までいやにならずに読めた本でした~~♪