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一年前、三陸沖を震源とした「マグネチュード9.0、最大震度7の激震」が、東北地方に甚大な被害をもたらしました。
家々の崩壊・巨大津波・原発事故・放射能汚染等で、多くの人々の命を奪い、街並みを変貌させ、生活の場所を奪ってしまいました。
家々の崩壊・巨大津波・原発事故・放射能汚染等で、多くの人々の命を奪い、街並みを変貌させ、生活の場所を奪ってしまいました。
被災地にある新聞社として、「被災者に寄り添いながらの報道」をしてきた「河北新報社」の刊行した本、「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」 それでも新聞をつくり続けた・・・です。
2011年度新聞協会賞受賞した本です。
2011年度新聞協会賞受賞した本です。
その日から「地元紙」としての役割を果すべく様々な角度からの取材記事、企画をしてきた「河北新報社」。
電気も通信も途絶え情報のまったく入らない被災地の人々にとって、「新聞」は、ただひとつの情報をもたらしてくれるものとして「待たれ」「感謝され」て大きな役割を果たしていたのです。
電気も通信も途絶え情報のまったく入らない被災地の人々にとって、「新聞」は、ただひとつの情報をもたらしてくれるものとして「待たれ」「感謝され」て大きな役割を果たしていたのです。
震災発生以来、肉親を失った記者、自らも被災した記者や、避難所から出勤しながらも「新聞を作り届ける」という使命に燃えて記事を書き続けた記者。避難命令で一時的にで
も福島を離れてしまいそのことを悔やむ記者・・・、
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また紙面づくりや印刷・輸送に携わった人々、販売店の行動、後方で食料やガソリンの調達に苦労したひとたち・・・、本当にたくさんの人たちの「団結」と、「被災者に寄り添う」という想いで新聞をつくり続けてきた人たちの記録です。
ヘリから被災地を空撮したカメラマンの目に飛び込んできたのは、屋上に、紙でSOSの文字を描き助けを求める人の姿・・・が、何もできないもどかしさと、申し訳なさで「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を流しながらカメラを回し続けていたという話のところでは、胸が痛くなりました・・・。
あの時私も、TVで報道ヘリの飛ぶ映像を見て、「どうして助けてあげられないの!」と、思ったものでしたが・・・無理なことだったんですね・・・。
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あの時私も、TVで報道ヘリの飛ぶ映像を見て、「どうして助けてあげられないの!」と、思ったものでしたが・・・無理なことだったんですね・・・。
まだまだ復興までの道のりは長いけど、「再生へ 心ひとつに」と読者に呼びかけ、共に歩むことを誓っている「河北新報社」
私たちも、これからず~~と「被災者の人たち」のことを忘れてはいけないのだと思います・・・。いつも何が出来るか・・・心を寄せていたいですね・・・。
そういえば、愚息②は今朝から何度目かの「がれき撤去」のボランティアに出かけています。昨年の5月頃から、毎月一回は週末を利用して出かけています。
微力でも長く続けることの大切さを、いつも忘れていないよと、身をもって示してくれる彼を「息子として」誇りに思っています。
お時間のある方には、ぜひ読んで欲しい一冊です!