金持ちや神父が悪で、反逆者の山賊が善かというとそうでもなく、どうかするとタイトル通り、どっちがどっちだかわからなくなる。
聖ジョルジュ(ジョージ)に退治される者、ということでアントニオはドラゴンになぞらえているのだろう。ここでは反逆者の制圧に出かけるから体制側かというと、およそそういう感じではなく、限定された役割からどんどんはみだしてくる。白い悪魔、なのかどうかも曖昧になるくらい。あまりに混沌としていて理解に苦しむところも多い。
最近、イザベル・アジェンデの「精霊たちの家」を読んでいるのだが、空中浮遊とかいったオカルト的現象が平気で起きる世界がそのままチリの政変のリアルな描写に横滑りするあたりの振幅の広さと共通するものはあるのかもしれない。
ギターの弾き語りで場面がつむがれていく、フォークロア的な語り口。
背後にはブラジル(それから南米)の圧倒的な貧困と富裕層のコントラストがあるわけで、製作時の1964年とは比べものにならないくらい経済成長していても、貧困層がどの程度変わったのか疑問。
変わったのはライフルから「シティ・オブ・ゴッド」のようにサブマシンガンになったことかもしれない。
デジタル上映だったが、コントラストの強い画になると質感がとんでソラリゼーションみたいになるのは、やや不満。
本ホームページ
黒い神と白い悪魔 - goo 映画
聖ジョルジュ(ジョージ)に退治される者、ということでアントニオはドラゴンになぞらえているのだろう。ここでは反逆者の制圧に出かけるから体制側かというと、およそそういう感じではなく、限定された役割からどんどんはみだしてくる。白い悪魔、なのかどうかも曖昧になるくらい。あまりに混沌としていて理解に苦しむところも多い。
最近、イザベル・アジェンデの「精霊たちの家」を読んでいるのだが、空中浮遊とかいったオカルト的現象が平気で起きる世界がそのままチリの政変のリアルな描写に横滑りするあたりの振幅の広さと共通するものはあるのかもしれない。
ギターの弾き語りで場面がつむがれていく、フォークロア的な語り口。
背後にはブラジル(それから南米)の圧倒的な貧困と富裕層のコントラストがあるわけで、製作時の1964年とは比べものにならないくらい経済成長していても、貧困層がどの程度変わったのか疑問。
変わったのはライフルから「シティ・オブ・ゴッド」のようにサブマシンガンになったことかもしれない。
デジタル上映だったが、コントラストの強い画になると質感がとんでソラリゼーションみたいになるのは、やや不満。
本ホームページ
黒い神と白い悪魔 - goo 映画