prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「父と暮せば」

2006年08月11日 | 映画
宮沢りえの柔らかいブラウスと長い丈のスカート姿は、小津映画の原節子のよう。
生き延びているのをすまながる感覚、というのは割と普遍的なものではないか思うし、反戦好戦といった分類に回収できないもの。
井上ひさしの戯曲そのまんまの構成で、映画として見ると如何せん手足を縛られている感じ。
稲光が原爆のピカを連想させるというのは、コトバの世界のことで、映像にしてみるととうぜん別物。
美術は木村威夫だが、ぽんと幽霊の原田芳雄があちこちに飛躍して現れるあたり、鈴木清順作品ばり。
(☆☆☆★)



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「踊る騎士」

2006年08月08日 | 映画
フレッド・アステア主演。ジョージ・ガーシュウィン音楽、ジョージ・スティーブンス監督。1937年作品。

現代ながらお城に住むような深窓の令嬢(ジョーン・フォンテーン)と、女たらしの噂を冗談で流されているダンサー・アステアとのボーイ・ミーツ・ガールもの。

車の通る路上のタップ、遊園地の動く歩道やマジック・ミラーを生かした三人揃い踏み、そして足で床ならぬドラム・セットを叩いてまわるクライマックスなど、アステアならではの映画的工夫を凝らした見せ場があれこれ詰め込まれ、そういうところは見事に古くならない。
足でドラムを蹴って叩くなんて真似をしてもエレガント。



allcinema 踊る騎士

「大山倍達正伝」 小島一志  塚本桂子

2006年08月07日 | 
大山倍達正伝
小島 一志,塚本 佳子
新潮社

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徹底した調査と取材で明かされる大山倍達の「伝説」に対する「正伝」。
出自が韓国人・崔永宜(チェ・ヨンイ)であることはすでに知られているが、韓国在住の家族のインタビューを収録したのは初めてだろう。
日本にももちろん妻子がいるわけだが、なぜ二重国籍が可能になったかというと、戦後の混乱で戸籍が焼失し、自己申告で戸籍が作られたせいだ。

梶原一騎の「空手バカ一伝」がほとんど創作といっていいのは知られているが、それ以前の大山自身の多くの発言や記述の間にやたら矛盾や飛躍があるのを、徹底した裏取り取材で埋めている。

拓殖大学に在籍したことは大学の記録にはなく、戦後初の1947年に全国武術大会で優勝したこともなく(当時はGHQの命令で武道は禁じられている)、大会は演武を見せる会で所属していた韓国系団体の資金稼ぎとしたものと推測される。

MPと争っての清澄山の山ごもりはむしろ先輩たちのやった話を流用したもの、そして争いの相手はMPであるよりは北朝鮮系の団体、といった調子で、そこからすっぽりと抜けているのはつまるところ韓国系の師や兄弟子との関係であり、代わりに自らを日本人的に見せようとする意図がとってかわっていると著者は分析する。
身延山や清澄山など日蓮ゆかりの山にこもった、という主張は、石原莞爾の東亜連盟に加盟していたという主張を裏付けさせるためではないか。

「日本人」として生きていく上で、そうした韓国にまつわる部分を隠して行ったのが、そういう記述の矛盾につながっているわけだが、同じ韓国人で日本人として日本で成功した力道山の出自の隠蔽の徹底ぶりに比べると、満州開拓を目的とした拓大出、特攻隊帰りという主張、など、時期がだぶりそうなのに無頓着で、ずいぶん場当たり的に見える。

アメリカでのプロレスラーたちとの対戦記録が確認できる限り残っていない、というのはプロレスはボクシングと違って競技とはみなされておらず、力自慢や危険術を見せ時に客と相手するAT(アスレチック)ショーといういわば見世物とごっちゃになっていた、という事情から来ている。
そう考えると大山の自然石割りや氷柱割り、後年の牛との対戦などわかりやすい形で空手の威力をアピールするアイデアを多く出したのともつながってくる。

あんまり伝説と正伝との違いが多いので、ほとんどめまいをおぼえる。


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「モデル連続殺人!」

2006年08月06日 | 映画
1963年製作 マリオ・バーヴァ監督。

出演者がマネキンと一緒にポーズをとっているところにキャスト名がかぶさるタイトル・デザインが洒落ている。

大胆な原色の使い方、光と影の強調、女の園での連続殺人、ミステリ的趣向、など、イタリア製ホラーとして「サスペリア」に先立つ感じ。

殺人シーンは今見るとあまりどぎつくない。
ナイフなどの凶器をあまり使わないからで、火掻き棒を持っていたのにわざわざ素手になって襲いかかる。
鉄製の鎧の爪で女の顔をひっかくという趣向があるのに、突然失念したみたい。
(☆☆☆)



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