今日のフォト。
12月は、寒いけれど良いお天気が続きました。
空が、真っ青です。
2024年12月11日のウォーキングです。
12月のウォーキングは、2日間でした。
寒いのと、バタバタしていたのと
体調を労わってのウォーキング調整です。
それにしてもたった2日とは、呆れます。(笑)
この日も著名人の石碑を訪ねて
テクテクしました。
電車通りに出て、熊野街道を北へ歩く。
2024年12月11日=7117歩
万歩計の数値は、1日の歩数ではなく
ウォーキングの時だけのもの。
写真は全て、スマホ撮り。
熊野街道には、こんな長くて細い抜け道があります。
地元人間でなければ、知らない道。
向こうで、阪堺電車が通過しています。
細くて長い道を抜けると
風車を付けてもらっている地蔵尊。
真っすぐ北へ進んで、東天下茶屋駅で西へ曲がる。
上写真=西を見る。
下写真=東を見る。
ここに「伊東静雄の文学碑」があります。
伊東静雄は、明治39年、長崎に生まれ
京都大学卒業後、旧住吉中学校の国語の教師として就職。
以来、戦後まで20数年、大阪で教師と詩作を歩みます。
静雄は、共立通に下宿したこともあり
丸山通、松虫通、聖天山付近が好きで
好んで散歩したという。
碑文にある「百千の」の詩は、
「文学界」の昭和15年12月号に発表されたもので
静雄34歳の時の作品。
昭和18年に刊行された詩集におさめられていて
簡潔で強く、円熟した作風を感じさせる詩と
高く評価されました。
静雄46歳の時、肺結核を発病し
短い生涯を閉じました。
参考文献
「もうちょっと知っとく? 私たちの阿倍野」
難波りんご著
伊東静雄文学碑から少し西へ行くと正圓寺参道。
「正圓寺地蔵尊」
大阪市阿倍野区松虫通3-2-32
鳥居の右側に地蔵尊があります。
ここは何度も通っているのに
なかなかこのお地蔵さんをアップ出来なくて。
徒然なるままに日暮しと詠み
徒然なるままに
楓(フウ)に添うて
鳥居の左側に、吉田兼好の遺跡があります。
紅葉の盛り、12月11日の美しい光景。
吉田兼好が、藁(わら)を打ったといわれる
「藁打石」は、「大聖歓喜天」の標碑(赤い蔦)の
台石として、今も残っています。
鳥居を潜って、階段のところに行くと見えました。
矢印が吉田兼好の「藁打石」です。
吉田兼好の歌碑。
「兼好の午睡さますな蝉しぐれ」
蔦が、赤いネックレスみたいで素敵です。
左=服部嵐雪の句碑
「兼好もむしろ織りけり花ざかり」
(兼好がむしろを織る姿を詠んだ)
右=吉田兼好の「徒然草」
左矢印・右矢印=兼好の徒然草
雑草が生い茂って、見えません。
草が枯れ始めた、2025年1月。
もう一度行って来ました。
奥に徒然草を刻んだ歌碑が、見えました。
つれづれなるままに
日暮らし 硯にむかひて
心にうつりゆくよしなごとを
そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそものぐるほしけれ
参考文献
「もうちょっと知っとく? 私たちの阿倍野」
難波りんご著
さあ、帰ろう。
松虫通の歴史の散歩道のつたい石を歩いて。
左は、大阪市立中学校。
松虫交差点隣接の踏切。
2025年12月11日。
桜の葉は、すっかり落ちてしまいました。
12月は、体調管理に気を付けました。
でももっと歩かなければ、ダメですね。
阿部野にゆかりある人の歴史めぐりは楽しい。
次は何を目的に、テクテクしようかな。