私の人生に胸を張って誇れることなどひとつもないけれど
もしも神様からひとつだけ答えてごらんと言われたら
私は自分の「母性」と答えるだろう。
この話は何から書けばいいのかと思ってしまう。
今から25年前の夏休み
秋に第2子誕生の身重の体で娘を連れて実家に帰っていた。
8月のお盆であった。
ある朝娘が熱を出した。
娘は扁桃腺が弱くて、子供の頃よく熱を出した。
それも半端な熱ではなく、オロオロするような高熱。
その日も朝からとても暑い日だった。
庭ではその暑さをよけい暑く感じさせるような蝉時雨。
明日からお盆休みに入るという医院へかろうじて駆け込み
娘を診てもらった。
熱は39度だった。私は冷静でいられるはずがない。
ドクターは見覚えのある抗生物質と解熱剤を出してくれた。
こんな薬は家にあった。
もっと他によく効く薬はないものかと思った。
それを飲ませると少し熱は下がるが、またすぐに高熱。
そのうちひきつけを起こし、私を仰天させた。
それが治まっても高熱は続きうなされる娘。
こんな時、親は生きた心地がしない。
医院はすべてお盆休みに入り、救急病院へ行く。
そうでもして診てもらわなきゃ気持ちが落ち着かなかった。
そうして三日目にようやく熱は下がった。
三日間神様に手を合わし続けた。
そんな私を見て、私の母は言った。
「神様にお願いするなら、本気でしなさい」と。
「本気?」 ・・・・そう思った。
「この子を丈夫な子供に育てたいなら、本気で祈りなさい」
「自分の一番好きなものを断って、神様に祈りなさい」
その時私は口先だけの祈りではなく、この子を丈夫にするために
本気で祈ろうと思った。
母としての自覚が初めて芽生えたような気がする。
「母さん、私この子のためにコーヒーを断つわ」
その時の私はこの世で一番好きだと言ってもいいくらい
コーヒーが好きだった。
朝の1杯、午前中の1杯、ランチタイムの後の1杯
おやつの1杯、夕方の1杯、夕食後の1杯、夜遅くの1杯・・・
一日何杯コーヒーを飲んでいたことか。
けれどそれを断つくらい娘の高熱におびえ狼狽する自分がいた。
「あなたが一人でコーヒーを断つのは辛いだろうから
母さんも一緒に断つから、二人で神様に祈ろう」
母はそんなことを言ってきた。
母もまたその頃コーヒーが大好きだった。
母の楽しみはコーヒーだと言っても過言ではなかった。
そんな母が私に自分も身をもって体験するという
実地の教育をした。
そんな母を今ではとても偉大だったと思う。
2年経ち、3年経ち・・・娘はとても元気になっていった。
小学校に入る頃にはもうあまり高熱を出さなくなった。
私は母に「元気になったから、コーヒーを飲もうよ」と依頼した。
母は「まだまだダメだ」と言った。
5年経ち10年経った。
それでも母のお許しが出なかった。
母が飲まないと言うのに、どうして私がコーヒーを飲めるでしょう。
そして15年経ち20年経った。
それでも母は許してくれなかった。
「神様との約束ごとはそんなに簡単なものではない」
そう言って取り付く島がないほど毅然とした態度だった。
今でこそコース料理の後はコーヒーか紅茶を選択できるが
昔はフレンチのコースのあとは必ずコーヒーが出た。
友人とお茶する時でも、私一人が紅茶。
お持て成しで友人宅を訪問してコーヒーを出されると辛い。
「胃の調子が悪くて」と言い訳をする。
ずいぶん苦労してきた。
母は依然コーヒーを飲むことを許してくれなかった。
もちろん自分も断ったままだ。
仲のいい友人は私がコーヒーを飲まない理由を知っている。
そして母のことも知っている。
そんな友人に私は笑い話のように言って来た。
「母が亡くなったら、お通夜の夜にコーヒーを飲むわ。
母に供養のコーヒーを入れて一緒に飲むわ」
そんな笑い話をした。
母は今入院している。
体はずいぶん衰えているが、頭は私より冴えている。
そんな母が最近気弱になって私にポツンと言った。
「母さん、コーヒーが飲みたいよ」・・・・と。
「飲もうよ。一緒に飲もうよ。もういいよ。
神様に十分気持ちが届いたから」
母は元気な頃、信仰していた神様がいた。
私は「その神様のところへ娘と行ってお礼を言ってくるから
この夏からコーヒーを飲もう」と母に言った。
コーヒーを断ったあの夏の日から今年でちょうど25年。
今日は娘を連れて茨木にあるその神様のところへ行って来た。
炎天下のもとでお礼参りのお百度を二人で踏んだ。
そして本堂へ行って心ばかりのお礼のお賽銭を入れて来た。
これで母としての役目を果たしたと思った。
娘は心身ともに健康な女性に育ってくれた。
明日、病院へ見舞いに行ったら母に報告するつもりだ。
来月の終わりに娘のバースデーが来る。
その次の日、私はコーヒーを飲もうと思っている。
25年ぶりのコーヒーだ。
もうすっかり味を忘れている。何だかドキドキしてくる。
私の人生に胸を張って誇れることなどひとつもないけれど
もしも神様からひとつだけ答えてごらんと言われたら
私は25年間コーヒーを断って来た母としての自分を誇りたい。
そしてそれに付き合ってくれた最愛の母がいることを誇りたい。
神様と向き合うということは簡単なことではないのだと。
「祈り」とはとても深いものなのだと。
25年かけて母は私に「親としての姿」を教えてくれた。
有難い導きの感謝の25年だったと思っている。