マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

我が家のぬか床 パート2

2005年07月31日 | 料理
tukemono050801

今日は我が家のお漬物のお話。
以前「我が家のぬか床」というタイトルで
ぬか床を紹介したことがある。(6月15日)
朝夕かき混ぜて愛情いっぱいのぬか床である。

夏野菜が安くなるとお漬物の漬ける量が増える。
そしてまた食べる量も増える。

我が家のお漬物を漬ける容器がとうとう一回り大きくなった。
いえ・・二回り大きくなったと言った方がいい。
とにかく大きくなって、この暑さだからよく漬かる。
茄子で24時間、胡瓜で12時間が食べごろだ。

6月15日のブログのぬか床へさらに入れ足した。
友人はニンニクを入れるといいと言った。
だからニンニクを少し入れてみた。
お漬物にコクが出てきたように思うのは気のせい?
でもニンニクを入れたお陰で、かき混ぜる時が大変。
普通でも臭いのに、ニンニクのにおいが部屋に充満する。
これには参ったって感じ。

焼きみょうばんをまた追加して入れた。
胡瓜や茄子がとても色鮮やかに漬かる。
食卓に出すと、思わずお箸がお漬物に行ってしまう。
そしてお茶漬けが食べたくなる。

1日2回のかき混ぜ。
外泊する時はこの容器を冷蔵庫へいれる。
だから冷蔵庫へもかろうじて入る大きさの容器だ。

お漬物の古漬けを食べたことがありますか?
胡瓜や茄子を10日くらい漬ける。
先ずは各5本くらい。

一日で漬かるお漬物を10日も漬けるとかなり古漬けになる。
それを取り出して、細かい千切りにする。
その千切りを水にさらして、何度か水を交換して
お漬物の塩辛さを抜く。
力いっぱいしっかりと布巾で絞り切る。
それに生姜を摩り下ろしてたっぷり入れる。
そして今度は炒りゴマを入れ混ぜ合わす。
食べる時は醤油をつけて食べる。
好みによっては味の素少々・・・。

我が家は古漬けが全員好きだ。
作ると早い者勝ちになるから、これは配給制で食べる。
胡瓜や茄子の値段が安くなった今頃が
この古漬けを作る最高の時期なのだけれど
この容器では少し小さい。
せいぜい各3本ずつが精いっぱい。
その間も毎日のお漬物は漬ける訳だから。

たかがお漬物、されどお漬物の我が家のお漬物。

ダーリンがお付け物があれば何もいらないというくらい好きな人。
そこまで言われると漬けたくなるのが女房というもの。
かき混ぜた時、少し伸ばした爪の間にぬかみそが入る。
ネイルアートしていると泣けてくる。
文句ばかり言いながらも
1日2回かき混ぜて大切にしているぬか床。

今日もとっても美味しいお漬物を食べることが出来た。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神様と向き合うということ

2005年07月30日 | 私の想い
benten1

私の人生に胸を張って誇れることなどひとつもないけれど
もしも神様からひとつだけ答えてごらんと言われたら
私は自分の「母性」と答えるだろう。


この話は何から書けばいいのかと思ってしまう。


今から25年前の夏休み
秋に第2子誕生の身重の体で娘を連れて実家に帰っていた。
8月のお盆であった。


ある朝娘が熱を出した。
娘は扁桃腺が弱くて、子供の頃よく熱を出した。
それも半端な熱ではなく、オロオロするような高熱。
その日も朝からとても暑い日だった。
庭ではその暑さをよけい暑く感じさせるような蝉時雨。


明日からお盆休みに入るという医院へかろうじて駆け込み
娘を診てもらった。
熱は39度だった。私は冷静でいられるはずがない。
ドクターは見覚えのある抗生物質と解熱剤を出してくれた。
こんな薬は家にあった。
もっと他によく効く薬はないものかと思った。


それを飲ませると少し熱は下がるが、またすぐに高熱。
そのうちひきつけを起こし、私を仰天させた。
それが治まっても高熱は続きうなされる娘。
こんな時、親は生きた心地がしない。
医院はすべてお盆休みに入り、救急病院へ行く。
そうでもして診てもらわなきゃ気持ちが落ち着かなかった。
そうして三日目にようやく熱は下がった。


三日間神様に手を合わし続けた。
そんな私を見て、私の母は言った。
「神様にお願いするなら、本気でしなさい」と。
「本気?」   ・・・・そう思った。
「この子を丈夫な子供に育てたいなら、本気で祈りなさい」
「自分の一番好きなものを断って、神様に祈りなさい」


その時私は口先だけの祈りではなく、この子を丈夫にするために
本気で祈ろうと思った。
母としての自覚が初めて芽生えたような気がする。


「母さん、私この子のためにコーヒーを断つわ」
その時の私はこの世で一番好きだと言ってもいいくらい
コーヒーが好きだった。
朝の1杯、午前中の1杯、ランチタイムの後の1杯
おやつの1杯、夕方の1杯、夕食後の1杯、夜遅くの1杯・・・
一日何杯コーヒーを飲んでいたことか。


けれどそれを断つくらい娘の高熱におびえ狼狽する自分がいた。


「あなたが一人でコーヒーを断つのは辛いだろうから
 母さんも一緒に断つから、二人で神様に祈ろう」


母はそんなことを言ってきた。
母もまたその頃コーヒーが大好きだった。
母の楽しみはコーヒーだと言っても過言ではなかった。


そんな母が私に自分も身をもって体験するという
実地の教育をした。
そんな母を今ではとても偉大だったと思う。


2年経ち、3年経ち・・・娘はとても元気になっていった。
小学校に入る頃にはもうあまり高熱を出さなくなった。
私は母に「元気になったから、コーヒーを飲もうよ」と依頼した。
母は「まだまだダメだ」と言った。


benten2

5年経ち10年経った。
それでも母のお許しが出なかった。
母が飲まないと言うのに、どうして私がコーヒーを飲めるでしょう。
そして15年経ち20年経った。
それでも母は許してくれなかった。


「神様との約束ごとはそんなに簡単なものではない」


そう言って取り付く島がないほど毅然とした態度だった。


今でこそコース料理の後はコーヒーか紅茶を選択できるが
昔はフレンチのコースのあとは必ずコーヒーが出た。
友人とお茶する時でも、私一人が紅茶。
お持て成しで友人宅を訪問してコーヒーを出されると辛い。
「胃の調子が悪くて」と言い訳をする。
ずいぶん苦労してきた。


母は依然コーヒーを飲むことを許してくれなかった。
もちろん自分も断ったままだ。


仲のいい友人は私がコーヒーを飲まない理由を知っている。
そして母のことも知っている。
そんな友人に私は笑い話のように言って来た。


「母が亡くなったら、お通夜の夜にコーヒーを飲むわ。
 母に供養のコーヒーを入れて一緒に飲むわ」
そんな笑い話をした。


母は今入院している。
体はずいぶん衰えているが、頭は私より冴えている。
そんな母が最近気弱になって私にポツンと言った。


「母さん、コーヒーが飲みたいよ」・・・・と。
「飲もうよ。一緒に飲もうよ。もういいよ。
 神様に十分気持ちが届いたから」


母は元気な頃、信仰していた神様がいた。
私は「その神様のところへ娘と行ってお礼を言ってくるから
この夏からコーヒーを飲もう」と母に言った。


コーヒーを断ったあの夏の日から今年でちょうど25年。


今日は娘を連れて茨木にあるその神様のところへ行って来た。
炎天下のもとでお礼参りのお百度を二人で踏んだ。
そして本堂へ行って心ばかりのお礼のお賽銭を入れて来た。
これで母としての役目を果たしたと思った。
娘は心身ともに健康な女性に育ってくれた。


明日、病院へ見舞いに行ったら母に報告するつもりだ。
来月の終わりに娘のバースデーが来る。
その次の日、私はコーヒーを飲もうと思っている。
25年ぶりのコーヒーだ。
もうすっかり味を忘れている。何だかドキドキしてくる。


私の人生に胸を張って誇れることなどひとつもないけれど
もしも神様からひとつだけ答えてごらんと言われたら
私は25年間コーヒーを断って来た母としての自分を誇りたい。
そしてそれに付き合ってくれた最愛の母がいることを誇りたい。


神様と向き合うということは簡単なことではないのだと。
「祈り」とはとても深いものなのだと。


25年かけて母は私に「親としての姿」を教えてくれた。
有難い導きの感謝の25年だったと思っている。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大沢と今日子

2005年07月29日 | 私の想い
「Thank_You.mid」をダウンロード

megami

土曜日に更新するブログ(金曜日付け)は
この2ヶ月半「ニューヨーク恋物語の裏話」だった。
それが今日からそのタイトルのブログは存在しない。
私としてはちょっと寂しい気持ちだ。

衝撃の「ニューヨーク恋物語」最終章を更新して
今日で一週間が経つ。
たくさんの人がメールで、またBBSで感想を書いてくださった。
ここまで「大沢と今日子」に気持ちを注いでくださるとは
思ってもみなかった。
「大沢と今日子」をまるでノンフィクションの世界のように
支持してくださった読者には感謝の気持ちでいっぱいだ。

さてさて・・・
もうすっかり「ニューヨーク恋物語」も過去のものとなりました。
「大沢と今日子」の気持ちを自由に操作しながら書いていた頃が
とても懐かしく感じられる。

つい3~4日前にネットサーフィンしていて
「大沢と今日子」でYahoo!検索してみた。
まさかの検索である。
驚きました。7件も出て来たではないですか。
その内訳は

HPの第6章横浜編。
HPの第2章東京編
マドンナの夢掲示板。
マドンナのナイショ話(ブログ)の第2章東京編。
マドンナのナイショ話(ブログ)のニューヨーク恋物語の裏話。
AandMさんのブログでの私のカキコとAandMさんのレス。
はるかさんの掲示板「晴れたらいいね」での私のカキコ。

この7件が「大沢と今日子」に関するYahooの検索だった。
ちょっと嬉しくて舞い上がってしまった。
物語が終わった後もなおこうしてYahoo!の中に残っていることが
私を有頂天にさせた。

次に「ニューヨーク恋物語」で検索してみると
本や田村正和主演のテレビドラマの「ニューヨーク恋物語」が
数多く検索され、それに押されて
やっと2ページ目の20件の中にこのナイショ話のブログが登場。
そして4ページ目の20件に私のBBSが登場する。
どうやら「ニューヨーク恋物語」より
「大沢と今日子」の方がヒットのようである。

実はこの名前にはとても思い入れがあって
以前から独り言のように書いていた物語の主人公は
未公開ながらすべて「大沢と今日子」と言う名前で通して来た。

人妻であったり、また妻子のある男性だったり・・・・
私の書くラブストーリーはいつも訳ありの二人。
つまり「禁断の愛」を書くのが好きである。
「失楽園」的物語が好きという訳だ。

HPで公開する処女作に失楽園はないだろうと思い
今回の設定は若い男女の爽やかなカップルにしたが
最後には結ばれることはなかった。

Yahoo!検索にも載ったことだし
これから先も「大沢と今日子」は切ってもきれない
永遠のカップルになるだろう。

最終章の公開から一週間。
やはり「大沢と今日子」は私にとって永遠である。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土用の丑の日

2005年07月28日 | 料理
unagi050728

今日は土用の丑の日。
ほとんどの家庭でうなぎを食べたことでしょう。
我が家も今夜は「うなぎ丼」でした。
夏の疲れが吹っ飛んだような気がする。

土用の丑の日にうなぎを食べる風習は
江戸時代に平賀源内が広めたと言われている。
鰻屋の依頼で看板を書いた時、たまたま土用の丑の日で
「本日土用の丑の日」と書いて店頭に掲げたところ
たちまち大評判になった。

それにうなぎはビタミンの宝庫。
ビタミンAやEは牛肉や豚肉の10倍前後も含まれている。
ビタミンAは成長促進、視力を正常に保ち
ビタミンEは老化を防ぎ、コレステロールを抑え
血液の流れをよくする働きもある。
いずれにしても子供からお年寄りまで安心して食べられる
栄養価の高い食品。

夏本番を迎え、体がバテ気味なこの季節にはうなぎを食べて
暑気払いをということだ。

夕方デパ地下に行くと、うなぎが飛ぶように売れていた。
うなぎの特設コーナーがいたるところにあって盛り上がっている。
どこのうなぎを買おうか吟味しながら歩く。
日本産のうなぎであっても値段はピンキリだ。
太くて大き目のうなぎを2本買った。
少し前からうなぎを食べたかったが我慢して
土用の丑の日を待っていた。

他にも今夜のメニューとして
お吸い物はじゅんさいと卵と三つ葉であっさりと。
それにゴーヤチャンプルとサーモンのマリネ。

美味しいうなぎに食欲をそそられて
今日もすっかり平らげた食いしん坊家族である。

goya050728

marine050728




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝顔

2005年07月27日 | 
asagaoten050727

今日から花と緑と自然の情報センターで始まった
「あさがお展」に行って来た。
「あさがお展」に行くのは久しぶり。
丹精込めて育てられた朝顔がたくさん並んでいた。

青や紫やピンクの花が手を広げたように咲いている。
午後には花が閉じてしまうから開催は午前中。
「なるほど!」と納得した。

一粒の小さな種からどうしてこんなにきれいな花が育つのだろう。
種をまく時、発芽しやすいように一晩水に浸ける。
土の中へ種を植える時
確か人差し指の第一関節の深さほど穴を掘り種を植えた。

しばらくすると芽が出て双葉が出て本葉が出る。
ツルが伸びると支柱を立ててやりツルを絡ませていく。
やがてそのツルの間から蕾が出来て花を咲かせる。
子供の頃から育てた馴染みの花だ。

それに娘や息子が小学1年生の1学期の保護者懇談の時
子供が育てた朝顔を父兄に手渡してくれた。
それを夏休みに家庭で育てて、「朝顔の観察日記」を書いた。
夏休みになると朝顔は主役だ。

サザンオールスターズの桑田佳祐と原由子夫妻に
まだ子供がいなかった頃、道端の泥の中から顔を出している
朝顔の双葉を見つけ家に持ち帰って育てたら
待望の赤ちゃんが授かったという。
その時採れた種をサザンのファンクラブの会員が里親となって育て
人から人へと受け継がれていった。
今年で確か20代目だったような気がする。

この朝顔の種を譲り受け育てた人の中には、妊娠した人が多く
子宝伝説になっている。
「原坊の幸せを呼ぶ朝顔の種」として、この話はあまりにも有名。
                         (原坊=原由子)
今では子宝グッズとしてオークションで販売しているらしい。

どんな人でも一度や二度は朝顔を育てた経験があると思う。
東京・入谷のあさがお市、大阪は新大阪あさがお市が有名。
いずれも夏の風物詩だ。

春に気持ちに余裕がなくて、種を植えなかった。
来年は小さな鉢に、朝顔の種を植えてみよう。
そして儚い半日花を育ててみよう。

朝顔の花言葉  「儚い恋」

asagao2

asagao1




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする