「まえがき」
ニューヨーク恋物語、最終章です。
5月から、今日までお付き合いくださって、ありがとうございました。
もう何も言う言葉がありません。
最終章には、51枚の写真を使いました。
最終章の写真は、すべて私が撮ったものです。
上の写真は、私の最も好きなニューヨーク。
1 タイムズ・スクエア
2 エンパイア・ステート・ビル
3 セントラルパーク
では、最終章、お楽しみください。
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ミューヨーク恋物語2008 BGM 愛し君へ(森山直太朗)
ニューヨーク恋物語 最終章
大沢のところに、今日子の父から電話があったのは
10月初旬の土曜日だった。
ニューヨークに来ているから、明日、会いたいとの申し出だった。
今日子の父が勤める会社は、ニューヨークにも支店があって
今日子の父は、年に2~3度渡米していた。
大沢は過去に2度、今日子の父とミッドタウンで、食事をしたことがある。
電話で、待ち合わせる店を指定すると、大沢の自宅へ行きたいと言った。
まもなく今日子との住まいになる、アパートを見ておきたいという親心なのか。
大沢は今日子の父と、午前10時に約束をした。
日曜日の朝が来た。
今日子の父は10時を過ぎると、大沢のアパートを訪れた。
久しぶりに対面する父だった。
海外勤務を長く経験した今日子の父は
大沢にとって人生の先輩であり、よき理解者であった。
かつては色々にアドバイスをしてもらい、心強く思ったものだ。
温厚な父は、どんな時でも、大沢に対して優しかった。
「ご無沙汰しております。
この度はどうしても帰国できず、両親を代理に立て、申し訳ございませんでした。
お父さんには一度きちんと、ご挨拶がしたかったです」
仕事の都合で、大沢はどうしても帰国できず
両親を代理に立て、今日子の実家に出向いてもらった。
そして今日子の両親に、今日子との結婚を承諾してもらったのである。
今日子の父は、優しい眼差しで大沢を見つめた。
目元と口元が今日子に似ている。
今日子が尊敬し、とても愛している父がそこにいた。
「大沢君には、いつも今日子を可愛がってもらって・・・・
家内とも話していました。
今日子の相手は、大沢君のような人でよかった。
今日子は幸せ者だと。」
「僕の方こそ、大切なお嬢さまをニューヨークへさらって行くようで
申し訳なく思っております。
結婚のお許しを頂いて、本当に嬉しかったです。
今日子さんを僕の生涯をかけて、大切にいたします」
今日子の父はコーヒーを飲み終わると
少し時間をおいて、重い口を開いた。
「大沢君、今日は今日子を連れて来ました。
ニューヨークの大沢君の許で、暮らさせてやるのが
今日子にとって、一番の幸せではないかと・・・・」
意味のわからない大沢に
今日子の父は、白い小さな箱を差し出した。
「今日子です。 大沢君に愛された今日子です」
大沢の顔から、血の気が引いた。
大沢は、言葉を失った。
大沢の前に差し出された箱には、今日子の遺骨が入っていた。
「一週間前のことでした。
ウエディングドレスが出来上がりましてね。
今日はもう遅いから、明日にしなさいと言うのに
ニューヨークへ持って行くウエディングドレスだから
一日も早く見たいと申しましてね。
雨の降る夜、南青山まで車で、取りに行ったのですよ。
その帰りに、交差点で事故に遭いましてね。
救急車で病院に運ばれた時は、もうほとんど意識がなくて
それでも最後には、大沢君の名前を呼びながら逝きました」
大沢の目からは、止めどなく涙が流れた。
「大沢君には、お知らせすべきだったけれど
家内とも相談して、別れは辛いし
お互い心残りだろうから、私たちだけで見送ろうと。
そして今日子をニューヨークに、連れて行ってやろうと
話し合いました。
告別式には君のご両親も参列してくださった。
君たちの子供も助からなかった。
寂しがり屋の今日子だから
きっと君との忘れ形見を一緒に、連れていきたかったのだろう」
今日子の父は苦しそうに、ひとつひとつ状況を話してくれた。
「大沢君、哀しいけれど、泣かないでやってください。
泣けば今日子が不憫になる。
やっと仕事を辞める決心をして、ニューヨークで
君と生まれてくる子供と、三人で暮らす夢を見ていました」
「亡くなる三日前に、赤ちゃんの胎動を感じると言いましてね。
大沢君に似て、元気がいいと喜んでいました。
子供も駄目で、君には本当に申し訳なく、残念だ」
今日子の父は、なおも話を続けた。
「外傷はほとんどなく、きれいでした。
別れ際、今日子の友人が薄化粧をしてくれ
真っ白いウエディングドレスを着せて、パスポートを持たせて
荼毘に付しました」
大沢の嗚咽は、やがて号泣に変わった。
「今日子と、君たちの子供を連れて来ました。
今日子が夢にみたニューヨークで、暮らさせてやってください」
「大沢君、泣かないで。
君はどんな時でも、強い青年であると信じています。
だから今日子がこれほどまでに、君を愛したのだと。
今日子をこのニューヨークで、君のそばに、おいてやってください」
今日子の父は、2時間ほど大沢と話をして、ホテルに戻って行った。
大沢はそれからしばらく、抜け殻のような生活をした。
小さなさざ波が、大沢の心の中でゆれていた。
それは、今日子から大沢への無言のメッセージなのか。
けれど残酷な現実が起きても、人は立ち直ろうとする。
指を傷つけて血が出ても、やがてその血が止まるように
どんなに大きな傷口であっても、少しずつ塞いでゆく。
きっとこれが、生きるということなのかと思った。
今日は今日子の四十九日だった。
大沢は今日子を連れて、教会に行った。
神父の話を聞いて、一緒に神に祈った。
そして半日、教会で過ごした。
神の前で祈ると、今日子との思い出ばかりが、脳裏に浮かんだ。
大沢は、手で涙をぬぐい、今日子の遺骨に語りかけた。
夜、大沢はマンハッタンにあるレストランに来ていた。
みなとみらいで最後の夜を過ごした時、今日子は大沢に尋ねた。
「ねぇ・・・ニューヨークの夜景はきれい?」・・・と。
この場所から、マンハッタンの夜景を見せてやりたかった。
摩天楼のビルの真ん中で
この夜景を見たら、きっと今日子は感動するだろう。
エンパイア・ステート・ビル、マンハッタン対岸のブルックリンや
アップタウンの高層ビルのタワーが、放つ光のシャワーを見て
今日子は、いったいどんな表現をするかと、いつも思っていた。
ここは、今日子がニューヨークに来た時、一緒に来たレストラン。
妊娠したことを知らされ
プロポーズした後に来た、思い出のレストランだった。
レストランの支配人は、あの時と同じ席を用意してくれた。
グラスにブランデーを入れた。
「乾杯」と言って、グラスを傾けてくるのは、いつも今日子だった。
その時の今日子は、まるで少女のような悪戯っぽい目をした。
大沢は、今日子の遺骨の入った箱をテーブルの上に置いて
優しく語りかけた。
「ねえ 今日子、今夜は二人の夜に・・・
いや・・・ ベイビーと三人の夜に、乾杯だ」
大沢がそう言って、グラスを傾けた。
二人は、ミレニアムの年に出逢った。
横浜の赤レンガ倉庫でのイベントに参加して
友人から今日子を紹介された。
長い黒髪、目鼻立ちのはっきりした美人だった。
ブルガリの時計に、エルメスのバーキンを持った今日子は
近寄りがたかった。
けれど今日子は、とても気さくに話をしてくれた。
たくさんの写真を撮った大沢は
後日それを今日子に渡すために再会した。
そののち、写真のお礼にと言って
今日子は手作りのケーキを大沢のところに届けた。
大沢はまるで少年のように、体全体で喜びを表現した。
そうしてごく自然な形で、交際が始まっていった。
ユーミンが好きで、車が好きで、海が好きで、映画が好きだった。
二人の共通の趣味は、二人をより一層結びつけた。
春が過ぎ、夏が来て・・・ 秋が過ぎ、冬が来た。
季節はめぐり、二人は青春を謳歌しながら共に生きた。
5月に帰国した時、夢のような一週間だった。
毎朝、夫婦のように、横浜から東京まで通勤した。
行き帰りの楽しかったこと。
今日子はまるで子犬のように、大沢にじゃれてきた。
湘南の海で過ごしたこと。
タコウインナーや、ウサギのりんごが懐かしい。
サンドイッチも、ホットドックも、天むすびも美味しかった。
赤レンガ倉庫で、出逢った日のことを語り合った。
今日子のバーキンを今でも思い出す。
あの頃、「私はバーキンのために、働いているのよ。」と言った今日子。
けれど大沢と付き合い始めると、次第に価値観は変わり
角が取れて、他愛もないことを無性に喜ぶ女に変わっていった。
みなとみらいの夜景を見ながら
ランドマークタワーのラウンジで、お酒を飲んだこと。
部屋では恥じらいながら、全裸の写真を撮らせてくれたこと。
そしてベットでは、いつもしなやかな変身を遂げた。
瑞々しい体は、大沢のためにだけに、開花してくれた。
大沢は今日子を抱く時、男冥利に尽きると思った。
大沢にとって、アダムとイブの世界であった。
禁断の果樹を食べようとする大沢。
自分は神の教えに背いて、アダムになってもいい。
今日子を得られるなら、この先どんな過酷な労働も耐えられると
大沢は、よくそんなことを思ったものだった。
別れの朝・・・
ホテルから見た朝陽と同じほど、今日子の裸体は眩しくてきれいだった。
大沢がニューヨークに立つ日
空港で、「私、泣いてなんていないから」と言いながら
泣いていた今日子。
日本に残してゆくのが、どれだけ切なかったことか。
20日前に、ニューヨークに来た今日子。
妊娠したことを
「メールではなく、直接あなたに伝えたかった」と言った。
「私たちパパとママになるの」と言った時の、今日子の誇らしげな顔。
夕暮れのセントラルパークで、「結婚しよう」とプロポーズした時
泣いていた今日子。
ミッドタウンに行き
ニューヨークを語る大沢の顔をじっと見つめていた今日子。
タイムズ・スクエアのレストランでは、オレンジジュースで乾杯した。
せっかくの5日間の休暇だったのに、どこへも行かず
公園のベンチや街角のカフェで、未来のことばかり語り合った。
新居になるアパートのカーテンを替え、生活用品を買い揃えた。
その時の今日子は、とても楽しそうだった。
「今日子、君はあと1ヶ月待っていてねと言った。
今日子には、ずいぶん待たされたから、1ヶ月なんてすぐだよ。
そんなことを言った僕なのに、僕は永遠に君を待つことになった」
「あなたの今日子は、きっとまたニューヨークに来ると言ったのに・・・。
今日子は、こんなに小さくなって・・・・ そして旅だった」
「今日子は僕に、嘘などついたことがなかったのに」
大沢は今日子の遺骨に語りかけながら、ブランデーを飲んだ。
大沢は今、「蒼い時代」が終わったと思った。
セントラルパークの西にある、ウエストサイドの一画に
大沢は今日子の墓を建てた。
ハドソン川に面した、清閑な住宅街の外れである。
かつては、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダコタ・アパート。
ブロードウェイや、ストロベリー・フィールドがある。
ここは大沢がニューヨークで一番好きな場所である。
大沢は今日子の墓標に、こう記した。
Here lies Kyoko Osawa, beloved wife.
R.I.P.
She gave me much love and splendid happiness.
Oh her black eyes, gentle voice and soft lip.
There will not be the person who can continue
strongly loving her than me.
She lives forever in my heart.
そして今日子の大好きなバラの花が手向けられた。
大沢は一人佇み、静かに祈りを捧げた。
見上げると、眩いばかりの秋晴れであった。
横浜ではなく・・・・
今は、空のむこうに今日子がいる。
大沢は空を見上げて言った。
「今日子・・・・
僕はニューヨークから、いつも今日子に恋をしているよ」
大沢はゆっくりと歩き始めた。
ニューヨークの秋は、これから一気に深まってゆく。
完
PS.
少し先になりますが・・・・
次回は、「ニューヨーク恋物語スペシャル・パリ追憶編」をお届けします。
パリの街から、大沢の今日子へのメッセージです。