マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

ウォーキング(2024.1121 北畠顕家墓碑)

2024年12月19日 | ウォーキング

 

今日のフォト。

あべの筋の沿道の家の前に

鉢植えのお花が並んでいます。

この家の人は、お花が好きなんだなあと

思いながら歩きます。

 

この日も史跡巡りで、「北畠顕家の墓碑」です。

16歳の若さで、陸奥国(東北)の

陸奥守(むつのかみ)に任ぜられ、数々の功績を挙げ

文武両道にすぐれ、才知抜群の貴公子でした。

 

見目麗しく「花将軍」とも呼ばれながら

享年21歳の若さで散った北畠顕家です。(討ち死に)

 

北畠顕家公の像は、阿部野神社に建立してあります。

 

 

そして墓碑は、北畠公園内にあります。

 

後醍醐天皇への上奏文には、政治を憂い

国の平和と、民・百姓の幸せを望んだ文面は

後世に高く評価され、政治の参考とされました。

 

 

2024年11月21日=3928歩。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

写真は全て、スマホ撮り。

 

 

 

            

 

 

 

 

あべの筋を北に歩いています。

 

 

 

 

 

ここが北畠公園。

反対側の歩道を歩いていたので

横断歩道を渡ります。

 

桜のきれいな公園で

桜の紅葉が、今が盛りのようです(11月21日)

 

北畠顕家の墓碑は、公園内にあります。

 

 

 

 

 

信号が赤になった時、車道から1枚。

 

 

 

 

「北畠顕家卿之墓」の石碑、三方面から。

 

 

 

 

北畠顕家公の由緒記。

 

 

 

 

公園にはベンチもあります。

 

 

 

 

「北畠顕家公墓」

大阪市阿倍野区王子町3-8-3

 

「大阪府指定史跡」になっています。

 

 

 

 

北畠顕家の由緒記と石碑。

 

 

 

 

 

石碑、三方面から。

 

 

 

 

 

由緒記

 

 

 

 

 

北畠顕家の墓碑の中へは入れません。

もとは「大名塚」と呼ばれた古墳群のひとつ。

 

墓は、二重台石に伏亀を置き、その上に竿石。

とても立派なものです。

 

 

 

 

 

顕家会館は、閉まっていました。

その横に、石碑があるのですが

何と書いてあるのか、分かりません。

 

 

 

 

 

散りゆくも

民の心に

刻まれて

花愛でる春

葉(よう)愛でる秋

 

 

阿倍野区北畠の地名は

北畠顕家や、父・親房にちなんだものです。

顕家の名前を地名に入れるということは

顕家らに対する、地元の人々の絶大な人気を物語ります。

 

地元の有志により建立された阿部野神社の

北畠顕家公像、毎年顕家の命日の5月22日に

恒例神事として「春季大祭」が行われています。

 

 

 

 

 

北畠公園には、桜の木があるので

春はお花見が楽しめます。

 

 

 

 

歩道を北へてくてく。

バラの花にも、出会いました。

 

 

 

 

 

北畠顕家墓碑の北畠公園から200m北へ進むと

向かい側に、阿倍王子神社の東の鳥居。

前の道路は、あべの筋。

 

ここから商店街に入り、てくてく。

商店街は、自転車も通らないので安全です。

 

 

 

 

商店街には、今でも「荒物屋さん」があります。

家庭用雑貨類のお店。

 

ちょこちょこ来るので

店主の叔母ちゃんと仲良くなりました。

ご夫婦で営まれています。

この日、叔父ちゃんは珈琲を飲んでいました。

 

ここでちょこっと、買い物をしました。

年末まであと何度来るかな?

大手ホームセンターより、便利な時があり

お宝が隠れているのです。

叔母ちゃんとの一言二言の会話も楽しい。

 

 

 


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ウォーキング(2024.1120 安倍晴明神社)

2024年12月18日 | ウォーキング

 

今日のフォト。

朝陽が気持ちいい朝のウォーキング。

時計の上に、月齢17.6の寝待月。

この日の月の入りは、午前11時3分。

お月さまに、こんなところでお目にかかりました。

 

歴史の散歩道

阿部野の史跡巡りに欠かせないのは

「陰陽師」で有名な「安倍晴明神社」

 

熊野街道沿いにあり、阿倍王子神社から

北へ50mのところにあります。

 

境内に一歩入ると、不思議な力を

感じずにはいられません。

ここはパワースポットです。

 

大河ドラマ「光る君へ」では

俳優のユースケ・サンタマリアさんが

安倍晴明を怪演しましたね。

 

また、安倍晴明のブームのキッカケは

岡野玲子さんの漫画「陰陽師」が始まりで

多くのファンを魅了し、人気を博しました。

 

ミステリアスな安倍晴明。

伝説も数多くあります。

 

 

2024年11月20日=4718歩。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

写真は全て、スマホ撮り。

 

 

 

            

 

 

 

 

電車通りに出ると、黄金糖に出会う。

熊野街道をてくてく北へ。

 

 

 

 

 

「安倍晴明神社」

大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16

 

 

 

 

鳥居の左側に

「安倍晴明生誕伝承地」の碑があります。

 

 

 

 

鳥居をくぐると右手に「泰名稲荷神社」

 

 

 

 

手水舎には、龍神さまがいます。

昔、安倍晴明が雨乞いのご祈禱をして

この五龍神に祈って、大雨を降らせたと

伝えられています。

 

古来、真清水は神として祀られ、この井戸の水は

「晴明水」と呼ばれ、人々に大切にされています。

 

 

 

 

 

泰名稲荷神社の横には

大きなクスノキがあります。

 

 

 

 

 

右にあるのは、鎮石(しずみいし)です。

孕み石(はらみいし)とも言います。

安産を祈る石とされています。

 

左にあるのは「安倍晴明誕生の地」の碑。

 

 

 

 

「安倍晴明の産湯井の跡」です。

 

そして七夕の句碑。

七夕を  文(あや)に晴明 神の杜(清居)

 

 

 

 

 

こじんまりとした神社です。

ご本殿です。

 

 

 

 

合掌。

 

 

 

 

狛犬。

 

 

 

 

昔、阿倍野に

「安倍保名(あべやすな)」という男がいました。

ある日のこと、保名は和泉(和泉市)にある

「信太森葛葉稲荷」へお参りに行きました。

 

その時、狩人に追われた1匹の白狐を助けました

けれど保名は、大けがをしてしまいました。

 

白狐は、「葛の葉」という女に化け

保名を介抱しました。

そして2人は結婚して

安倍晴明神社の辺りに住んでいました。

 

やがて子供が生まれ

「安倍童子(あべどうじ)」と名付けました。

幸せな月日が流れましたが、ある日、葛の葉は

きつねの体の一部を見られてしまいました。

葛の葉は、泣く泣く森へ帰って行きました。

 

葛の葉は障子に想いを書き残して出ていきます。

 

恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる

信田の森の うらみ葛の葉

 

「子別れ葛の葉伝説」は、有名。

 

(参考=もうちょっと知っとく?私たちの阿倍野 難波りんご著)

 

 

 

 

信太山 恋し恋しと 尋ねゆく

吾狐童子の 陰陽師

 

 

 

 

童子が母に会いたがるので

保名は信太の森に、連れて行きます。

葛の葉は、童子に「霊力」を授けました。

 

やがて成人した安倍晴明は、天才的な

知能と才能を持ち、天皇の病気も治します。

 

都で起こる怪事件も見事に解決し

予知能力に優れ、占いは神のように

当たったと言い伝えられています。

 

 

 

クスノキが生い茂り、静かな佇まい。

安倍晴明像と白狐が、なぜかもの悲しい。

 

 

 

 

熊野街道にある郵便局は「阿倍野保名郵便局」

 

安倍晴明の父は、「安倍保名(あべやすな)」

名残りです。

 

 

 

 

 

熊野街道を歩いて、松虫交差点へ。

 

 

 

 

そして王子町へ。

可愛いサンドイッチ屋さんを見つけました。

今度、買いに行こう。

 

 

 

 

通りすがりに見っけ。

うちにある名前が覚えられない植物

「ハエマンス・コッキネウス」

南アフリカ原産の子。

 

うちはオレンジの花が咲くけれど、こちらは白。

葉も同じ。

たくさん分球させて、増やしている。

凄い、凄い。

遠まわりすると、こんな出会いもあります。

 

 

 


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ウォーキング(2024.1119 地蔵尊60・61)

2024年12月15日 | ウォーキング

 

今日のフォト。 

阪堺電車「松虫駅」近く。

11月19日は、天王寺までてくてく。

 

今日のブログも、2体の地蔵尊です。

今日2体のお地蔵さんをブログにアップすると

地蔵尊めぐりが61ヶ所になります。

 

私の歩ける圏内に、こんなにたくさんある地蔵尊。

人は合掌しながら、生きているのだと思う。

合掌するから、生きてゆけるのかもしれません。

 

秋の心地よい季節は短くて、私のウォーキングも

12月に入って、全然行けていません。

それでも久しぶりにウォーキングをして

目的地でスマホをかざす時、ワクワクします。

 

そして今まで拝んだあちらこちらの

印象深いお地蔵さんのお顔が浮かぶ。

私を守ってくれているのかもしれません。

 

 

2024年11月19日=9718歩。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

 

 

 

            

 

 

 

 

 

ひたすら天王寺に向かって歩く。

11月19日。

歩道の脇に、オシロイバナが咲いている。

 

花たちも長く咲いて、紅葉も遅れて

そして12月は、イッキに真冬の気温となりました。

 

 

 

 

あべの交差点です。

高架は、阪神高速松原線。

 

 

 

 

あべの交差点から東へ入る。

裏通りをくねくね&てくてく。

 

 

 

 

 

「松崎町地蔵尊」

大阪市阿倍野区松崎町2-3-17

 

民家のお玄関に、君臨しています。

そして祠の扉が開いています。

 

 

 

 

午前10時22分。

朝陽に照らされて

気持ちよさそうな表情をされています。

拝顔できて、嬉しかったです。

 

 

 

 

 

次の地蔵尊までてくてく。

住所は違いますが、すぐ近くです。

 

歩道に描かれた児童啓発絵画。

放置自転車、ごみポイ捨て、歩きスマホ。

子供たちからの注意呼びかけです。

 

 

 

 

 

ペタペタの建物。

 

 

 

 

大都会

ビルに埋もれた

地蔵さま

お耳達者で

叶えてくれる

 

あべのハルカス、ファッションビル、ラブホ

飲食店、駐車場、駐輪場に囲まれた地蔵尊。

BGMは24時間、車の走行音。

 

でも願いごとは、聞いてくれる。

話せば、唱えれば、心が楽になる。

 

 

 

 

 

「阿倍野筋2丁目地蔵尊」

大阪市阿倍野区阿倍野筋2-1-17

 

 

 

 

 

水、お供え花。

いつもきれいに、お掃除されて。

 

 

 

 

 

祠の扉が開いていて、よい風が通る。

提灯もぶら下げられています。

お地蔵さんのお顔を見ながらお参りできました。

 

 

 

 

 

帰り道。

あべの筋を南へてくてく。

 

 

 

 

あべの筋に、焼き芋の美味しいお店があります。

「嶋屋」は、創業70年以上。

行列のできる焼き芋屋さんです。

 

 

 

 

あべの筋のパン屋さん。

「ブーランジェリーShow」

パン、買いましたよ。

 

 

 

 

 

あべの筋の鶏肉屋さん。

「鳥豊」

手羽先(唐揚げ)、買いましたよ。

 

 

 

 

 

あべの筋の花屋さん。

11月19日なのに、ズラリとポインセチア。

 

 

 

 

パンと手羽先、美味しかったです。

ウォーキングすると、お腹が空く。

 

無理せず、歩いています。

師走は、風邪にも注意。

ちょっとブルッと来たら、ウォーキングはお休み。

ブルッと来なくても、風が強いとお休み。

安全第一(笑)

 

 

 


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ウォーキング(2024.1118 地蔵尊58・59)

2024年12月14日 | ウォーキング

 

今日のフォト。 

11月18日、晴れとの予報なのに、曇り空。

傘を持って出ようか迷う時。

姫松の交差点を西へ歩く。

 

ウォーキング中に、電車の写真を撮るのが面白い。

それは地元だから、どこが電車の写真スポットか

熟知しているからだと思う。

 

どの電車も少し待つとやってくる。

レアなものは別として。

 

この日は幾つもの電車が絡んでくれました。

スマホ撮影だから、大したものは撮れないのですが。

この日も楽しいウォーキングをしてきました。

 

 

2024年11月18日=10140歩。

ウォーキングを始めて、2回目の1万歩越え。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

 

 

 

            

 

 

 

 

 

南港通を西に歩いて、帝塚山橋の上から

南海電車高野線。

少し雲が取れてきました。

 

 

 

 

塚西の交差点を左折して、南へ歩く。

空も明るくなってきました。

空の変化も、面白いです。

天気予報、当たりとかハズレとか。

 

 

 

 

 

以前ブログにも載せた、「道安地蔵尊」を通過。

 

 

 

 

 

こんもりとした森は、住吉大社です。

ここで西へ進みます。(右折)

 

阪堺電車の上町線。

「住吉駅」で、上町線と阪堺線に分かれる。

 

 

 

 

 

起きてたの?

徹夜でしたか

朝の月

五線譜の上

タランテラ舞う

 

 

満月も十六夜の月も見えなかった11月。

翌朝、十六夜の月が見えました。

南海電車とコラボして。

 

撮影、11月18日・午前7時14分。

この日の月の入りは、午前9時11分。

偶然見つけた嬉しいフォト。

 

 

 

 

ここは以前、南海本線高架下のお地蔵さんを訪れた時

目と鼻の先にあるのに、見逃したものです。

水子地蔵尊とあります。

 

 

 

 

「親子地蔵尊」

大阪市住吉区東粉浜3-30

 

祠には鍵が掛かっています。

他の文献では、少なくとも9体の

お地蔵さんが祀られていると書かれていました。

瓦葺の屋根、立派な祠です。

 

 

 

 

 

赤いお召しもの。

お帽子は、抱っこした子供とお揃いです。

 

 

 

 

この通りは、紀州街道といいます。

 

上電車=阪堺電車・上町線。(天王寺駅前=浜寺駅前)

下写真=阪堺電車・阪堺線。(恵美須町=浜寺駅前)

 

 

 

 

南海高野線、住𠮷東駅近くの踏切を渡り

市営住𠮷住宅の間を進むと・・・。

 

 

 

 

祠が見えてきます。

 

 

 

 

「神ノ木地蔵尊」

大阪市住吉区帝塚山東5-6-1

 

 

 

 

 

大家族でお暮しです。

両脇のガス灯がハイカラです。

みんなお揃いのお衣装です。

 

こんなにたくさんのお地蔵さんに会えて

しかも祠の扉も開いている。

御利益ある、ある。

 

 

 

 

 

正面を南海電車が走っています。(矢印)

すぐ近くが南海高野線の「住𠮷東駅」です。

 

 

 

 

踏切まで来ると、特急こうや

そして泉北高速鉄道の「せんぼくん」に出会う。

 

 

 

 

見上げれば、阪堺電車が神ノ木駅へ。

 

 

 

 

帝塚山4丁目駅。

緑のおじさん&おばさんは、旗を持って

登校中の児童の交通安全を見守っています。

 

 

 

 

一歩入って、しばらく万代池公園を歩く。

11月18日の桜の紅葉です。

 

 

 

 

並ぶ阪堺電車と、左にちょこっとあべのハルカス。

 

 

 

 

中学生の標語カルタ、またこの前に来てしまう。

お見事、上手いです。

 

お地蔵さんにワクワクして、電車にワクワクして

ウォーキングは、ワクワクの連続です。

 

 

 


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ウォーキング(2024.1112 播磨塚・小町塚 松虫塚 経塚)

2024年12月12日 | ウォーキング

 

今日のフォト。

2024年は紅葉が遅く、11月12日のこの日

桜の葉は、少し色づき始めたところでした。

 

気持ちの良い秋晴れの中を歩く。

私の街の歴史を訪ねて。

 

散歩道の圏内に、幾つかの「塚」があります。

今まで通り過ぎるだけで、「由緒」なども

ゆっくりと読んだことがありませんでした。

ウォーキングで訪ねて行くと

風流優雅な昔話を知ることができます。

 

この日は三ヶ所訪ねて、5千歩余。

体に優しいお散歩でした。

 

2024年11月12日=5637歩。

万歩計の数値は、1日の歩数ではなく

ウォーキングの時だけのもの。

 

 

 

            

 

 

 

 

 

阿倍野区には、美味しい焼肉屋さんがあります。

この日の最初の目的地は、焼肉屋さんのすぐ近く。

 

 

 

 

 

左写真、ポストの前の道路はあべの筋。

こんなところに歴史の散歩道の「新つたい石」

つたい石から東に進んで突き当り。

 

 

 

 

 

「播磨塚・小町塚」

大阪市阿倍野区王子町4-3

 

民家に囲まれた場所にあります。

 

 

 

 

もともと別々のところ(畑の中)にあったもので

昭和4年に、この場所に移動されたようです。

 

 

 

 

 

播磨塚は南北朝の頃、住吉の合戦で

南朝の忠臣・楠正行に、山名・細川両将軍が率いる

北朝軍が敗れました。

 

敗軍の中には、播磨の太守・赤松円心の子

貞範の率いる播磨の武者が、多く戦死しました。

 

赤松円心は将兵の遺骨を納め、塚を築き

「播磨塚」と名付け、部下の冥福を祈りました。

 

 

小町塚は古書「芦分船」には

小野小町の塚であると説明していますが

小野小町がこの地で死んだという記録はありません。

 

この塚は、小町の美貌や才能に

あやかりたいとの念願から、信仰などの目的のために

造られたものと思われます。

 

 

 

 

播磨塚・小町塚から北へ歩くと、松虫交差点。

松虫交差点を左折(西へ)

松虫の踏切を渡って、進むとこんもりと緑(矢印)

 

 

 

 

 

ここがこの日の2つ目の目的地。

囲いの中は、「松虫塚」

 

 

 

 

「松虫塚」

大阪市阿倍野区松虫通1-11-5

 

松虫通の歩道には

歴史の散歩道のつたい石が長く続きます。

そして松虫塚の入り口に、つたい石。

 

 

 

 

中に入ると、幾つもの石碑があります。

 

 

 

 

昔この辺りは見渡す限りの野原で

秋には虫の声が聞こえ

特に松虫(今の鈴虫)の音色が美しく

松虫の名所とされていました。

 

 

 

 

歌碑。

秋の野に 人まつ虫の声すなり

わかれと行きて いざとむらわん

 

 

 

 

 

松虫塚の由来については、いくつかの説があり

古書「芦分船」には、後鳥羽上皇に仕えた

美しい姉妹の官女松虫と鈴虫が、法然上人の念仏に発心し

上皇が熊野詣の旅に出かけた留守中

宮中を抜け出して尼になります。

 

松虫塚は、姉妹が庵を結び隠棲した場所であると

伝えられています。

 

 

 

 

松虫塚の伝説は、他にもあります。

 

 

 

 

松虫塚には、藤棚があります。

かつては石碑の後ろに、樹齢800年の

エノキの御神木がありました。

 

その御神木は、2019年10月6日の台風で

折れてしまったのです。

 

 

 

 

「もうちょっと知っとく?私たちの阿倍野 難波りんご著」には

樹齢800年のエノキのある、松虫塚の写真がありました。

今はもう藤棚だけです。

 

 

 

 

台風から5年以上経ちましたが、枯れたエノキの幹が

「松虫塚」の石碑の後ろに残っています。

 

 

 

 

松虫塚から、東天下茶屋駅に来ました。

朝の通学時間帯です。

阪堺電車は、小学生にも人気もの。

 

 

 

 

中学生3人が通学路を歩く。

赤い幕は、線路沿いのお地蔵さん。

 

 

 

 

お地蔵さんの横を阪堺電車が通過します。

 

 

 

 

 

熊野かいどうを歩いて、「晴明丘公園」へ。

公園の入り口に石碑があります。

 

 

陽だまりに

忘れものして

駆けてった

あの子どこの子

探してウォーリー

 

 

「お~い、鉄棒の上、忘れもので~す」

 

 

 

 

「経塚」

大阪市阿倍野区阿倍野元町15

 

経塚には、聖徳太子説と空海説があります。

 

聖徳太子が諸経の文字を一石に一字ずつ書いて

納めたとするものと

 

空海が疫病流行に際し(826年)

阿倍王子神社で一千部の薬師経を書写し

祈願して納めたものとするもの。

 

経塚は昔は、畑にありましたが

1995年にここに移転してきました。

(参考=もうちょっと知っとく?私たちの阿倍野 難波りんご著)

 

 

 

 

熊野かいどうを南へ歩く。

忘れものにしては、デカすぎる。

 

 

 

 

源正寺桜門が見えてきました。

 

 

 

 

 

そして浜寺駅前ゆきの阪堺電車、パンダ号。

左上、ちょこっとあべのハルカス。

 

上町台地にはたくさんの遺跡が残っています。

てくてくしながら訪れるのには

距離に限界があり、残念な思いをしています。

 

 

 


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