早いですね。
明日からもう師走です。
実は今夜のうちにどうしてもご報告しておきたいことがあります。
何度も日記に書きかけては、今日まで書けずにいました。
ニューヨークから帰国してからの私は
パソコンの不具合もありましたが・・・
それと並行して、哀しいできごとがありました。
11月17日、23時45分
愛猫・リリーが「虹の橋」を渡って天国へ行きました。
16歳半でした。
子どもたちの成長期をともに過ごし暮らした猫でした。
子どもたちの情操教育に、とても貢献してくれた猫でした。
この猫と暮らしたことで、子どもたちに弱者への労りが芽生え
動物に対しての慈愛の心が育ちました。
11月2日
ニューヨークへ出発する朝、とても元気に朝食を食べました。
「リリーちゃんが、一番食欲があるね」なんて言いながら
大好きな缶詰をあげたことが思い出されます。
そして私と娘を3匹の猫たちは元気よく見送ってくれました。
私たちが帰国する3日前から
リリーは食欲もなく、元気がなかったそうです。
主人や息子とは、毎日携帯電話で連絡を取っていましたが
あと3日で帰って来るし、楽しんでいるのに、水をさすのもと思い
主人も息子も私には知らせなかったそうです。
帰国した夜(11日)、食欲もなく、辛そうに歩きました。
その夜は、リビングのホームコタツで、リリーと一緒に寝ました。
それから亡くなるまで、私はとうとう寝室へは行けませんでした。
朝起きたら、どうかなってそうで怖かったのです。
帰国した翌日(12日)動物病院へ診察に行きました。
血液検査、エコー、レントゲン・・・。
その結果、脾臓に腫瘍があり、腎臓障害とのこと。
かなり厳しい(危険な)状態だということでした。
8月に嘔吐するので、血液検査とレントゲンを撮った時には
血液検査の数値も正常だったのに、急に悪くなったようです。
12日から毎日ブドウ糖の注射をしてもらいに行きました。
この注射をしても、もう治らないけれど、1日でも2日でも
延命できるとのことで、通い続けました。
大きな注射器7本分のブドウ糖を体内に入れると
リリーのお腹はタヌキのように膨れ上がり、苦しそうでした。
もうおしっこは、あまり出ないので、お腹は膨れるばかり。
この延命治療はいつまで続けられるかわからないと言われました。
腎臓の機能が衰えているので、限界があると。
そしておしっこがほとんど出なくなりました。
いつ先生から「注射は打ち切りましょう」と言われるかと
ビクビクしながら病院に通い続けました。
そんな治療を6日間続け、17日の夜
リリーは家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。
苦しむことなく、眠るように逝きました。
それからすぐにインターネットで
お葬式をしてくれるところを検索しました。
「もうだめだ」とわかっていても
こういうことは、先に段取りしたくないものですね。
18日の日曜日には、ペット霊園の住職さまが
自宅にお参りに来てくださって、お葬式をしてくださいました。
19日の午後、火葬の車が来て
近くの公園で、車でリリーを火葬してくれました。
2時間で火葬が終わり、その後、リリーのお骨を拾いました。
骨壺いっぱい、拾いました。
真っ白なリリーのお骨でしたが、癌(腫瘍)のところだけは
真っ黒な骨になっていました。
こんなに悪くなっていたのに、気づいてやれなくて。
きっと心細い気持で、娘と私の帰国を待っていたことでしょう。
「ママを許してね」と言いながら・・・
あとからあとから、涙がこぼれ落ちました。
リリーが亡くなったことは、もの凄い喪失感でした。
この二週間、寂しい毎日でした。
あんなに喧嘩ばかりしていた
次女猫のうめと、三女猫のまいが急に仲良くなりました。
寄り添って寝るようになったのです。
不思議ですね。
きっとリリーがうめとまいに遺言したのでしょう。
「私が逝っても、仲良くしなさいね」って。
リリーって、そんなお姉ちゃん猫でした。
私たちもまた、遺骨や遺影には毎日手を合わせています。
来春、暖かくなったらペット霊園へ納骨する予定です。
それまでもう少しだけ一緒に暮らします。
虹の橋を渡って・・・きっと今頃リリーは
天国でお友達と楽しく暮していることでしょう。
写真は
1 元気な頃のリリー
2 元気な頃のリリー
3 3にゃんの食事風景(右奥がリリー、三毛がうめ、手前がまい)
4 亡くなる3日前のリリー(左端)うめ(真ん中)まい(右端)
5 小さくなってしまったリリー