豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ボナンザ” 2 スペインの所有権

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 懐かしい思いがものの見事に裏切られた“ボナンザ 第1話 殺し屋兄弟”だったが、“第2話 スペインの所有権”は期待を裏切らなかった。
 確かに、“真昼の決闘”などとは比べるべくもないが、50分弱のテレビ・ドラマとしては、まずまずではないか。

 テーマは、西部開拓を奨励するために、開拓民に農地を無償で与えることを定めたホームステッド法のもとで土地を開拓した農民たちと、従来からの所有権を主張するスペイン貴族の末裔との争いの物語である。
 カートライト一家もこのホームステッド法によって土地を得た農民であるが、それ以前からの所有権を主張するスペイン人貴族の相続人と称する者がやって来て、周囲の開拓農民を追い払おうとする。抵抗する農民は用心棒に撃ち殺されてしまう。

 旧来のスペイン人の所有権は、メキシコ政府もカリフォルニア政府も承認していると、話のなかでカートライトの親父さんが言っていた(ただし“ボナンザ”の舞台はネバダ州だが)。問題は、追い立てにやって来た女が本当にスペイン貴族の相続人かどうかということである。
 カートライトの二男と三男が、モントレーまで調べに行くが、裁判が始まる直前まで戻ってこない。いっぽう、長男は女に近づいて、真実を聞き出そうとするが、結局聞き出せないまま裁判当日を迎えてしまう。
 その裁判の結末は、ハッピー・エンディングが定例であるはずのアメリカのテレビドラマの結末としては、結構意外なことになっている。

 1960年2月6日放映とあるから、ぼくは10歳、小学校4年生である。こんな複雑な時代および法的な背景など分かっていたはずもない。それでも西部劇であるだけで満足して見ていたのだろうか。

 * 写真は、DVD版“ボナンザ 第2話 スペインの所有権”から、開拓農民とスペイン貴族の相続人の間の所有権をめぐる法廷シーン。

“ボナンザ BONANZA”

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 昨日の昼下がり、炎天下をお茶の水、駿河台下の三省堂に行った。

 探していた本はなかったのだが、三省堂の入り口で、廉価版のDVDを売っているのを見かけた。
 何となく眺めると、“ボナンザ”のDVDが目にとまった。1枚に2話はいっていて500円ならと、第1巻と第2巻を買って帰った。
 第1巻には「スペインの所有権」という題名の話が入っているし、第2巻には「土地争い」と「荒野の正義」というのが入っている。なにやら、西部劇時代のアメリカ法のお勉強にもなりそうである。 
 
 さっそく、第1話の「殺し屋兄弟」(1960年1月23日放映と書いてある。)を見た。
 あ然とした。子どもの頃に見て、記憶の中に残っていたイメージと全然違うのである。まっとうな西部劇かと思っていたのに、どう見てもコメディである。こんな番組を毎週楽しみにして見ていたのだろうか・・・。

 “ボナンザ”は“カートライト兄弟”という邦題で放映されていたこともあった。いずれにしても、ロン・グリーン(“グリーン・ベレー”♪の)演ずるアメリカ的厳格で実直なお父さんを中心とする仲良し3兄弟のファミリー・ドラマのような記憶はあったが、第1話「殺し屋兄弟」はあまりにも記憶と違いすぎる内容であった。

 “ボナンザ”は当時としては唯一のカラー版テレビ西部劇だったとケースに紹介があるが、カラーの画面はそれほど劣化しておらず、きれいだった。
 せいぜい、“大草原の小さな家”のお父さん、マイケル・ランドンの若い頃が見られたのが収穫か。と言っても、“大草原の~”ももう30年以上前のドラマで、M・ランドンももういない。

 * 写真は、DVD版(CLASSICAL WESTERN MOVIE)“ボナンザ BONANZA 第1巻”のケース。

“メグレ警視 聖歌隊の少年” 3

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 DVD版“メグレ警視 聖歌隊の少年”の訂正。

 この作品は、『サン・フィアクルの事件』の一部(『サン・フィアクル殺人事件』[創元推理文庫]の第3章)と以前のコラムに書いた。

 ところが、またまた長島良三編『名探偵読本2 メグレ警視』(パシフィカ)のメグレ警視もの全作品のリストを眺めていたら、なんと、「聖歌隊少年の証言」という作品がちゃんと存在していることを発見した。
 同書では「児童聖歌隊員の証言」という邦題になっているが、原題は“La temoignage de l'enfant de choeur”。1946年5月の執筆で、シムノンのメグレ警部ものの第51作とある。シムノンはメグレ警部ものを102作書いているから、ちょうど折り返し点(前半最後の作品)にあたる、ある意味で記念すべき作品である。

 ただし、このコラムはぼくの思い出を書いているので、DVDの“メグレ警視 聖歌隊の少年”を見たときに、『サン・フィアクル殺人事件』の、メグレの聖歌隊少年時代の思い出の部分がよみがえってきたことは、ぼくにとっては事実である。
 おそらく、メグレの思い出はシムノン自身の思い出でもあり、シムノンは冬の早朝の教会に向かう少年のことを、1931年執筆の『サン・フィアクル殺人事件』で書き、さらに1946年の『聖歌隊少年の証言』で再び描いたのだろう。
 ・・・と言い訳まで。

 * 写真は、DVD版“メグレ警視 聖歌隊の少年”から、犯人宅を包囲するメグレ警視と部下たち。
 フロント・グリルに大きな二重歯車マークのついたシトロエンのパトカー(フランスでは「パトカー」というのかどうか分からないが)がとまっている。