豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

加藤周一『読書術』

2009年05月24日 | 本と雑誌
 
 加藤周一の『高原好日』(ちくま文庫)を読んだ。軽井沢、信濃追分で出会った人々との交流や思い出を語った本である。

 何年か前の夏休みに、軽井沢の国道沿いの平安堂書店で、平積みされたこの本を見たことがあった。
 信濃毎日新聞社から出た単行本だったが、買わないでいるうちに、なくなってしまった。
 その後、見かけることがなかったので、絶版になったのかと思っていた。ところが、最近になって、ちくま文庫から出ていることを知った。

 ぼくが加藤周一をはじめて知ったのは、『頭の回転をよくする読書術』(カッパ・ブックス)を読んだ時である。
 奥付を見ると、「昭和37年10月25日 初版発行」となっているから、その頃、中学1年か2年の時に読んだものと思う。
 
 中学生のぼくは、カッパ・ブックスをけっこう読んだ。

 林高(正しくは「高」+「躁」のつくり)『頭のよくなる本』を信じて、米に麦を混ぜて食べ、食後にはビタミンB1の錠剤を服んだ。
 この本を読んで、安心して自慰ができるようになった。自慰には何の害もない、自慰はいけないことだと思う葛藤こそ有害だ、と書いてあった。「葛藤」という言葉を『広辞林』で調べたが、要領を得なかった。
 でも安心した。
 
 郡司利男『カッパ特製 国語笑字典』を読んで、今日に至る“親父ギャグ”の基礎を築いた。
 【はえ(蠅)】という項目には、「うじより育つ」とあった。
 【ふるさと(郷里)】には、「そこに生まれた人を、いたたまれなくした土地」という語義(?)がついていた。
 皮肉な物言いもこの本で覚えたかもしれない。
 例えば、【自問自答】石原慎太郎著『亡国の徒に問う』 など。

 そのような流れのなかで、加藤周一『読書術』も読んだのだろう。
 昭和30年代は、まだ「読書百遍、意自ずから通る」式の読書が求められていたと思う。そんな時代に、加藤周一『読書術』は、難しい本は読まなくてよい、難しいのは読者の頭が悪いからではない、と言ってくれた。
 
 「読まずにすませる読書術」などという章もあった。読み通した本より、買ってパラパラめくっただけの本が多いのも、彼の影響かもしれない。
 「一人の著者を徹底して読む」と言う項目もある。
 モーム、エド・マクべイン、R・S・ガードナー、シムノン、マイ・シューバル(の翻訳)、初期の川本三郎、亀井俊介など気に入った著者は、出版されたものは(ほぼ)すべて読んだのも、彼の影響だったのだろうか。

 ただし、加藤周一『読書術』で一番印象的なのは、カバーの裏表紙に載っていた彼の写真だった。
 とにかく、怖いのである。
 首をやや傾げて、レンズから視線をそらし、カメラの1メートルくらい右側を睨みつけているのだが、その眼は、人が近づくことを拒絶しているようである。
 
 加藤周一の『高原好日』について書くつもりだったが、到達しないうちに長くなりすぎてしまった。『高原好日』は次回にまわすことにする。

 * 写真は、加藤周一『頭の回転をよくする読書術』(光文社カッパ・ボックス、1962年)の表紙カバー。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モーム「カジュアリーナ・ト... | トップ | 加藤周一『高原好日』 »

本と雑誌」カテゴリの最新記事