うえの写真は、“望郷篇”のラストシーン。
「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら身体に悪いじゃないか」という寅さんの台詞が登場する場面である。
『男はつらいよ寅さんDVDマガジン』鑑賞のつづき。
観た順番は忘れてしまったけれど、公開年の順で行くと、まずは“男はつらいよ望郷篇”(1970年、第5作)。
マドンナは長山藍子。役名は「節子」で、これが小津安二郎“東京物語”の原節子だと島田裕巳『映画は父を殺すためにある』(ちくま文庫)はいうが、そうとは思えない。
あえて小津映画で言えば、“彼岸花”の有馬稲子だろうか。
いずれにしろ、長山藍子は好きな女優だった。この映画の頃よりもう少し歳がいってからのほうが良かったけれど。
舞台は浦安で、節子の前に井川比佐志が現れ、そして長山藍子が愁いをおびた表情になったときには、山本周五郎の「青べか物語」のような展開にでもなるのかと思ったが、そのようなことにはならなかった。
“寅さん”なら当然の展開か。
惚れた節子に振られ、結局は堅気になれず再び旅に出た寅さんは、旅先で舎弟の登に再会する。
「額に汗して、油まみれになって働かなくちゃいけない」と言って、舎弟の登を田舎に追い返した寅さんだったが、結局二人とも元通りのままである。
「ちっとも変ってないじゃないか」と詰る登に、寅さんは「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら身体に悪いじゃないか」と答える。
このセリフはいい。今までの“寅さん”シリーズの中で一番いい。
1970年には寅さんなんかにまったく興味のなかったぼくも、いつのまにか、そして徐々に変わったのだろう。だからこうして1か月たらずの間に10本近くも“寅さん”シリーズを観たのだ。
島田裕巳は、「変わらない」寅さん、通過儀礼に失敗し続け、成長しない寅さんの映画がなぜ日本人にこれほど人気があるのかを考える(203頁)。
そして、江藤淳の≪寅さん=坊ちゃん説≫なるものを紹介している。
ぼくには寅さんと坊ちゃんは、山の手と下町という点だけでも決定的に違うような気がするのだが。
次は“柴又慕情”(1972年、第9作)。
マドンナは、吉永小百合で、舞台は金沢、ぼくの母方の祖父の故郷である。
祖父は曽祖父の仕事の関係で、台湾の台北市で生まれたが、本籍は石川県金沢市穴水町にあった。
金沢の東馬場小学校、満州の大連、撫順、遼陽小学校と転々とし、金沢に戻って長町小学校を卒業している。
裕福とはいえない家庭で育ったため、加賀百万石、金持ち商人の保守的、封建的な町である金沢には複雑な思いを抱いていたと聞かされた。
一昨年の秋、金沢での学会の帰りに、長町小学校にもほど近い武家屋敷街を歩いたが、その街並みは今でも住む人たちの経済的な豊かさを感じさせた。
その武家屋敷街を歩く吉永小百合は、1972年当時は、まだ“キューポラのある町”の吉永小百合である(左端)。
最後が、“葛飾立志編”(1975年、第16作)。
マドンナは樫山文枝だが、寅さんの「落とし胤」(?と間違われた)山形から来た田舎娘の役で、わが桜田淳子が出てくる。
まだ15、6歳だろうか。初々しい姿である。
いつの間にか、そして徐々に映画の好みも変わったので、今このようにして“寅さん”シリーズをせっせと観ている。
ただし、スクリーンの中で(当然ながら昔のまま)変わらずにほほ笑んでいる大原麗子や桜田淳子や吉永小百合や長山藍子をみて懐かしむというのはどういう心境なのだろうか。
2012/7/2 記