豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

丹羽文雄「ひと我を非情の作家と呼ぶ」

2024年12月19日 | 本と雑誌
 
 丹羽文雄「ひと我を非情の作家と呼ぶーー親鸞への道」(光文社、1984年、昭和59年)を読んだ。初出は月刊「宝石」昭和58年8月号~59年10月号の連載で、単行本のあとがきは「1984年夏 軽井沢山荘にて」とある。
 昭和40、50年代の夏の軽井沢では、朝の中軽井沢駅改札口で遠藤周作、芥川也寸志を見かけ、夕暮れ時の中軽井沢駅ホームに停車するあさま号の車中で壷井栄、繁治夫妻を見かけたことは以前に書いた。ところが本書のあとがきを見て、旧軽井沢の中華料理 “栄林” で丹羽文雄を見かけたような記憶がよみがえってきた。「あれ丹羽文雄じゃない?」と小声で母が言ったことがあったような気がする。中学生か高校生だった当時のぼくにとって丹羽は無縁の作家だったので印象に残らなかったのだが。

 丹羽はデビュー作「鮎」以来、実母が旅芸人と出奔したことや、その原因となった実父(丹羽の祖父母の養子になった)と養母(丹羽の祖母)との不倫関係、丹羽の言葉では「生家の庫裡でくりかえされた愛欲地獄の絵巻」(241頁)を書きつづけた。このことを多くの人が批判したようだが、丹羽は小説を書くことは自分の「業」であり書かずにはいられなかったという。そして、自分が「煩悩具足の凡人」であり、「無慚無愧(むざんむぎ)の極悪人」であることを自覚した親鸞の「歎異抄」に救いの道を見出したのだった。
 ーーという要約に自信はない。丹羽は親鸞の教えを信じることができた人のようだが、信仰に無縁のぼくには理解できない心境である。もしぼくに何らかの信仰があるとするなら、それは祖先の霊に対する「信心」だけである。祖先だけはぼくたち子孫を見守ってくれるような気がする。穂積陳重「日本は祖先教の国なり」の祖先教である。

 とくに本書では、実母の出奔の原因が実父と祖母との関係にあったことを知らないまま、実母を恨みつづけてアメリカに逃避した姉に事実を知ってもらいたいと思って執筆した「菩提樹」という小説を読んだ姉の苦しみが記されている。晩年に来日した姉は(おそらく読んだと思われる)この小説について一言も触れることなく、丹羽との軽井沢での再会も一日で切り上げて四日市の生家に去って行ったという。
 ぼくは「鮎」を読んで「オイディプス」的雰囲気を感じたと書いたが、本書によれば、「鮎」の中で丹羽は、幼少期以来自分がまったく経験することができなかった家族の「団欒」を思い描いて実母との架空の会話を書いたのであって(20頁)、「近親相姦を思わせるようなことを書いたわけでもなかった」と書いている(27頁)。このような弁明が書かれたということは、おそらく発表当時そのように読んだ者もいたということだろう。令和になって読んだぼくも「オイディプス的」と婉曲に書いたが、そのような読後感をもった。

 丹羽は「生母もの」と「マダムもの」が二本柱の作家と言われたそうだ。
 その「マダムもの」の原体験になったのが、早稲田の学生時代の下宿屋の娘との関係だった。友人の下宿の窓から見染めた向かいの下宿の娘に手招きすると、その女性は丹羽の指示に従って路地に出てくる。二人で鬼子母神の縁日を歩き、そのまま丹羽の下宿に戻って関係を持つ。丹羽の男前の写真(本書の口絵ページに若き日の丹羽と老齢になった生母の写真が載っている)を見なければ俄かには信じがたい展開である。
 家族を支えるために会社勤めをしていた彼女と丹羽は丹羽の実家の寺で祝言まで上げるが、女は東京に戻り二人は別居生活を送る。大学を卒業した丹羽は四日市の実家に戻って僧侶の仕事を手伝うが、「鮎」の発表を契機に実家から家出して上京する。再上京した丹羽は彼女が借りた部屋で半同棲のような生活をするが、彼女は丹羽をも養うために銀座のバーのマダムになる。ある時丹羽は、彼女の机の中に47人の男の名前の書かれたノートを発見する。その中には丹羽のことを忌み嫌っていた武田麟太郎の名前まであった。売春もしていたのか、丹羽は性病を罹患する。

 結局 4年後に丹羽は別の女性と結婚してこの女と別れることになる。生母に対してはその行状を暴きながらも最後には愛情を示すのだが、この「糟糠の妻」ともいうべき女性に対する丹羽の筆は冷淡である。家族の醜聞を小説に書いたことよりも、この女性に対する態度のほうが、親鸞による救いが必要なようにぼくには思えた。丹羽はやはり「非情」の作家である。
 ただしこの女性には、小津安二郎の「東京の女」だったかに出てきた岡田嘉子のような、一人でも生きていく戦前昭和の女の毅然とした風格を感じた。本書で彼女との出会いを描いた章は「東京の女」と題されている(48頁)。

 2024年12月19日 記
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