E・S・ガードナー/新庄哲夫訳『最後の法廷』(早川書房、1959年)を読んだ。上下2巻本だが、不思議なことに表紙、扉、奥付、函などのどこにも「上巻」という表示はまったくない。
※上下2冊本ではなく、正続の2冊本だった。
平成3年5月2日に、水道橋駅前の丸沼書店で、上・下2冊あわせて2000円で買ったレシートが挟んであった。発売時の定価は上巻が270円、下巻が280円だが、平成3年当時でも発売からすでに30年以上たっており、古本屋の店頭でも古書目録でもまったく見かけなくなっていたから、2000円ならお買い得だったので、丸沼の書棚で見つけた時は興奮した記憶がある。
パラパラと読んだ形跡はあるが、買ったままで30年近くほったらかしの状態だったので、今回最初から読むことにした。ただしこの本は断捨離はしないだろう。この本に書かれたガードナーらの活動は、戦後のわが国における松川事件、八海事件などの誤判、冤罪事件を支援した広津和郎や正木ひろしらの活動にもつながる歴史的な活動の記録だとぼくは思う。
ガードナーはカリフォルニア州の弁護士だが、弁護士ペリー・メイスンものなどの法廷小説を書いた推理作家として有名である。
彼は弁護士業務から引退した後に、世の中にあふれる冤罪事件の真相を究明して、無実の受刑者を解放するための団体を立ち上げた。この団体は「最後の法廷」と称し、ガードナーは同志を募って、自らの出費で調査を行った。本書の原題 “ The Court of Last Resort ” はこれに由来する。
ちなみに「最後の法廷」という名前に込められたガードナーの含意は、彼らの活動を活字化した記事を読んだ読者である民衆(原語は people だと思う)ないしは「世論」による判断こそが「最後の法廷」であるということだろう(32頁)。
ガードナーは、このような冤罪による受刑者を救済する団体のメンバーは、読者が信頼するだけの威信のある専門家であり、法の正義を実現するための公共心をもち、個人的な宣伝や金銭的な報酬を求めない経済的に余裕がある者でなければならないとして、知人の有名探偵や、高名な法医学者、元検事その他数名をメンバーとした。
民衆すなわち世論に訴えるための媒体として、ガードナーと親交のあった経営者が発行する「アーゴシ―」誌が選ばれた。同社は、ガードナーの「最後の法廷」に協力して社内に調査委員会を立ち上げ、調査のための旅費を負担しただけでもアメリカ雑誌の歴史に名を残すに値する立派な雑誌である。もちろんガードナーの調査記事が掲載されることで販売部数も伸び利益も得ただろうが。
上巻には「赤毛の男」「モリッツ・ピーターソン事件」「砂漠の中の決闘」「二個の薬莢と一匹の犬」「ヌード死体を訪問した男」「この事件から手を引け!」の6話が収録されている。
第1話「赤毛の男」は1930年代のカリフォルニアで起きた少女暴行殺人事件である。目撃者の「犯人は赤毛の男だった」という証言だけで、付近に住む者の中でただ一人の赤毛の男が容疑者とされ、杜撰な面通しで「この男(容疑者)が犯人です」と目撃者が証言し、陪審は有罪を評決し、被告は死刑判決を受ける。
当時カリフォルニア州知事だったアール・ウォーレン(後に連邦最高裁長官となり、リベラルな判決で有名だが、州知事時代には日系アメリカ人を強制収容するなど問題も多かった)は死刑執行を命ずるが、副知事が執行に反対し、弁護士の要請でガードナーの「最後の法廷」調査委員会の調査が始まる。
すると、「あの赤毛の男が犯人だ」と証言した目撃者の一人が実は色盲で、赤と灰色を識別できないことが発覚する。公判記録を読み込んだガードナーは、現場付近の地図と調書に現われた被告の行動を時系列にたどった時間表を作成し、犯行時刻に被告が犯行現場にいることは物理的に不可能だったこと、すなわち被告のアリバイを証明する。さらに、犯行当時の現場付近には赤毛のホップ採取人が滞在しており、事件翌日に姿を消したことも判明する。
調査結果が「アーゴシー」誌に掲載されると、ウォーレン知事は直ちに死刑を終身刑に減刑し、死刑の執行を差し止める。ガードナーの記事は、被告に対して知事が恩赦を与えるよう要求するところで終わっているが、その後おそらく被告は釈放されたものと思われる。
※訳者は「見証」の危険性を何度も指摘するが(106頁ほか)、「見証」の原語はおそらく “eyewitness” であり、「目撃者」「目撃証人」のことだろう(小山貞夫「英米法律語辞典」研究社、2011年)。本事件などは目撃者の証言の危険性を示す典型例である。
第2話「モリッツ・ピーターソン事件」は、1933年にワシントン州で起きた78歳の老人撲殺事件だが、「最後の法廷」の調査活動の着手から結末までがいちばん具体的に分かるストーリー展開になっている。第1話とともに、ガードナーの「最後の法廷」活動の初心と、刑務所や司法・検察当局との交渉や、経済的な舞台裏を知るのに最も適している。
この事件の被告は(以前にも無実の前科で収監されたことがあり)、その時の同房者の虚偽の証言によって本件で逮捕されるのだが、これも冤罪事件の典型である。また、この事件では事件の地元紙の「シアトル・タイムス」の記者も事件に興味を持ち、真犯人に肉薄していたのだが、ガードナーは地元の事情に精通した地元紙の役割も高く評価している(92頁)。
第4話の「二個の薬莢と一匹の犬」も印象的である。
2人の男が、キャンプ地の寝袋の中で就寝中に、彼らを逮捕にやって来た保安官を射殺したとして起訴され、有罪とされた。しかし、そのような状況で寝込みを襲われた2人がどうやって拳銃を取り出し発砲することができたのか。しかも、検察側は、被告らは6発発砲したと主張するのだが、懸命の捜査にもかかわらず現場からは2発の薬莢しか発見されていない。
さらに現場では、被告の飼い犬が保安官に飛びかかっていたのだが、その事実はなぜか法廷ではまったく触れられていない。保安官は前かがみで祈るような格好で絶命していたのだが、ガードナーは、犬に飛びかかられた保安官が前かがみになったところを背後から(被告ではない)誰かに撃たれたと推測する。読者(ぼく)は、実は真犯人は、被告2人の隣地に住み、被告と近隣紛争を抱えており、保安官に虚偽を申し立てて逮捕に向かわせた男こそが、秘かに背後から保安官を射殺して、罪を隣人になすりつけたのではないかと推理するが、ガードナーはそのような「犯人探し」はしない。ただ杜撰な初動捜査を証拠に基づいて批判するのである。
第5話「ヌード死体を訪問した男」も、杜撰な初動捜査による冤罪である。
数日間の出張の帰りに不倫相手の女性宅に立ち寄った男は、彼女が全裸で死んでいるのを発見する。男は驚いて現場を立ち去ったものの、ほどなく逮捕される。
検屍した医師は、検屍の経験がほとんどなかったにもかかわらず、「死後12時間ないし24時間以内」と推定する。しかし死体を扱った葬儀屋でさえ「これほど腐敗するには80時間以上かかったはずである」と証言するような死体の状態だった。死後80時間なら容疑者の男にはアリバイが成立する。疑問を突きつきつけられた担当検事の不誠実、官僚一般の無関心、政治的圧力などにもかかわらず、ガードナーの調査結果が公表されると、知事は減刑のうえ被告(受刑者)を仮釈放する。
全体を通して印象的だったことの1つは、ガードナーたちの「最後の法廷」委員会が必ずしも常に再審を求めるわけではなく、知事による恩赦や特赦を求め、場合によっては(有罪判決は不問にして)終身刑から短期刑に減刑させ仮釈放させることで妥協する場合もあることである。調査の時点では受刑者となって刑務所に収監されている無実の被告をひとまず自由の身にすることが最優先なのである。刑罰の執行機関である州知事にかなりの裁量権が与えられており、選挙によって選ばれる知事や検事が世論の動向に配慮するなど、日本とは制度も背景も異なるためもあるが、日本の冤罪救済活動が再審無罪判決による完璧な雪冤を求める傾向にあるのと対照的である。
2つは、20世紀のアメリカにおいても、警察、検察による証拠のねつ造や隠滅の事例がいくつも見られることである。例えば、目撃証人が捜査段階で「被告は私が目撃した人物ではない」と捜査官に対して証言していたにもかかわらず、その目撃証人に対して法廷では目撃情報を証言させなかったりする(訴追側の主尋問に関する事項しか被告側は反対尋問することができないというルールがあるらしい)。
第6話の「この事件から手を引け!」などでは、容疑者の無実を主張した捜査担当の警部に対して、上層部が圧力を加え警部を解雇してしまう。ガードナーたちが調査を始めると、公判記録の速記録、警察の事件調書、予備審問における証言速記録など、この事件に関する公的な記録がすべて紛失していることが判明する。冤罪の事実が明らかになることを危惧した何者かが盗み取ったことは間違いない。そのようなことが可能な人物は(事件のあった)ミシガン州のかなり上層部の人間であり、真実が明らかになることを恐れる人物(真犯人)ではないかと読者(ぼく)は想像するが、ガードナーはその手前で筆をとめる。
3つはアメリカ各州の刑事司法手続の非合理性、不正義の指摘である。例えば、一度陪審が有罪を評決すると、原則として被告はもはや事実認定の誤りを理由に上訴することができなくなる(155頁)。陪審が無罪を評決した場合には訴追側が争うことができなくなるので被告にとってきわめて有利だが(二重の危険禁止ないし一事不再理の原則)、誤判による有罪評決の場合に被告はきわめて不利な状況に追い込まれる。
また上訴するには原審の公判記録の写本を取らなければならないが、判決の分量によっては約750ドル(当時の日本円で27万円)も請求されるという。ほとんどの受刑者にとってそのような金額を準備することは不可能であり、彼らはあきらめて刑期の満了か仮釈放を待つしかない。
4つは、第3話「砂漠の中の決闘」の被告が典型的だが、無実の被告の何人かは、生活の糧をすべてみずからの労働で獲得する開拓者時代以来の技術と独立精神をもつ、典型的なアメリカ人であるとガードナーが見なしていることが印象的だった。彼らは、恩赦などによって刑務所から解放されると、再び森林地帯や砂漠にもどって木材の伐採や砂金掘りによって生計を立てる生活に戻るのである。
第3話の主人公ビル・キースは、1920年代にはいまだ人の住まない未開の地だったパームスプリング近郊の谷間に移り住み、周辺を開墾して台地に小屋を建て、材木伐採で生計を立てていた。土地をめぐる紛争から、彼を狙った元保安官をキースは反撃して死に至らせる。被告側の正当防衛による無罪主張に対して、陪審は妥協的に過失致死罪を評決し、彼は収監される。
州下院議員やガードナーの活動にもかかわらず、彼は恩赦、特赦、仮釈放などをすべて拒否し、5年の刑期を満了して出所する。弁護士費用などで財産をほとんど失った70歳の彼は、残ったわずかな土地と小さな家で、木材伐採人として再出発をする。ガードナーは彼に「アメリカ人の独立精神」を見るのである(145頁)。
ちなみに、パームスプリングと言えば、トロイ・ドナヒューだったかエルビス・プレスリー主演の青春映画「パームスプリングの週末」を想起するが、100年前まではそんな土地だったのだ。
2023年10月13日 記