豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

佐藤忠男『完本・小津安二郎の芸術』

2010年10月05日 | 映画
 
 佐藤忠男『完本・小津安二郎の芸術』(朝日文庫)、全653頁をようやく読み終わった。
 余計な脱線も何か所かあったが、圧倒的にすごかった。
 鉄道講習所に学ぶ17歳の映画好きの青年が、新潟でひたすら映画館に通って観客とともに小津安二郎の映画を見つづけてきて、さらに映画雑誌の編集者になってからは過去の作品を見る機会を得て、書き上げた大作である。

 一番印象的だったのは、小津の映画のユーモアについての記述で、佐藤は、具体的なシーンを特定して「ここで観客が笑う」と書いている。ぼくのように、一人でDVDを見ている人間には分からないことである。
 「映画というものは、映画館でみんなで見ていたのだな」と当然のことを改めて発見した。
 ただし、普通の勤労青年なら映画の向こうに「夢」を見てしまいそうだが、佐藤忠男は映画のスクリーンにしっかり「映画」を見ている。毎回映画を見るたびに「映画ノート」をとっていたらしく、自身の「映画ノート」からの引用もある。
 
 「視線の交叉」などといった難しいことは理解できなかったが、小津は家庭主義者だから家庭映画を撮ったのではなく、構図の安定性という様式を守るためには家庭映画しか撮ることができなかったという指摘は面白い(90頁)。
 ぼくはそれだけではなく、やはり小津には「家族」を撮らなければならない内的な必然性があったと思う。佐藤も何か所かで指摘しているように、妻の不貞を宥恕しようと思いつつ、それができない夫というテーマは繰り返し登場するし、「麦秋」、「晩春」、「東京物語」などが、構図のための映画とはとても思えないのである。
 ぼくの一番好きな「父ありき」なども、これが戦時中の国威発揚映画にはまったく見えない。むしろ、よくこんな映画が検閲を通ったものだと感心する。

 作品の内容について、佐藤は小津映画に見られる「甘え」をしばしば指摘する(318頁以下など)。執筆当時は土居健郎の「甘えの構造」が全盛の時代だったのだろう。
 厳しい父とは離れて生活し、やさしい母に生涯守られつづけたという小津の成育歴に照応させながら、小津作品のなかの「甘え」を指摘されると、確かにその通りと思わされるのだが、ぼくは10数本見ていて、「甘え」を感じたことはなかった。
 小津自身が言うほど「輪廻」も感じなかったが。

 本書にも、「風の中の牝雞」のなかで、田中絹代が階段から転げ落ちるあのシーンについての記述がある。
 多くの批評家たちから酷評を受けた「風の中の牝雞」をただ一人(?)、いち早く評価したのが佐藤忠男だったらしい。その点では、あの作品を好きなぼくとしてもうれしいのだが、佐藤によれば、残念ながらあのシーンは田中絹代ではなく「アクロバットの吹き替えの女」を使って撮影されたという(403頁)。

                   
         
 小津がシンガポールでイギリス軍から接収した「風と共に去りぬ」の、ビビアン・リーが階段を転げ落ちるシーンをスタントマンを使わないで自ら転げ落ちていることを確認して感動したというエピソードから、田中絹代自身が転げ落ちていると信じていたのだが。 
 もう一度あのシーンをコマ落としで確認したが、言われてみると落ちてくる女は田中絹代よりは丸顔に見える。必死の形相なのではっきりとは分からないが、そう書いてあるのだから、田中ではないのだろう。
 ただし、小津は、編集の際にあのシーンを15回も見直したという。やっぱり、小津にとって不貞はなぜか重要なテーマだったのだろう。尊敬する志賀直哉の「暗夜行路」を映画化したかったというだけの理由とは思えない。

 もう、この本で、小津安二郎「論」は打ち止めにしていいだろう。浜野保樹「小津安二郎」が高橋治「絢爛たる影絵」の盗用かどうかなどは吹っ飛んでしまう。
 ずっと映画青年として小津映画を見つづけてきた佐藤には、たまたま1作だけ助監督を務めた者や、メディア論の一端として小津映画を取り上げた者にはない説得力があった。

 * 佐藤忠男『完本・小津安二郎の芸術』(朝日文庫、2000年)。

 2010/10/5

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