豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

碧空(あおぞら)

2021年05月11日 | 東京を歩く
 
 5月10日の昼下がり。
 散歩の上空をヘリコプターがプロペラ(?)音をとどろかせて飛んで行った。見上げたけれど、姿は見えなかった。

 碧天に 姿は見えず ヘリコプター
  →初夏の空 姿は見えず ヘリコプタ


 同時に、子どもの頃(昭和28年か29年頃か)、風邪で臥せっている寝床からガラス窓越しに見上げた冬の青空に、占領軍の双葉機が飛んでいるのを眺めた記憶がよみがえってきた。
 青い空だけは当時も今も変わっていない。

 青空に 銀翼きらり 双葉機
  →冬晴れに 銀翼きらり 双葉機

 もう一つ、小学2年生になった孫がまだ2、3歳だった頃、彼ははるか上空を飛ぶ豆粒のような飛行機を見つける天才(!)だった。

 「ヒコーキ!」と 幼き孫の 歓声(こえ)、碧空(そら)に
 「ヒコーキ!」と 孫の指先 青い空 
  →「ヒコーキ!」と 空さす孫の 息白く
  → →と改めたものの、やっぱり「青空」に意味があるので、もとどおりで行こう。もともと「俳句」を作るつもりではなく、散歩していてヘリコプターの轟音に青空を眺めたら、ふと幼かった頃の孫の思い出が五・七・五で出てきたのでそのまま詠んだのであって、「青空」では季節がわからないと言われても、ぼくのこの思い出に季節は関係ないから季語などなくても構わない。(2021年5月15日追記)

 と青空を詠った3首(俳句の数え方は「首」でいいのだろうか)が浮かんだ。帰宅して、さっそく書きとめた。「青空」が季語なのかどうか、季語だとしたらどの季節なのかも分からないけど。
 ※ ネットで調べると、「青空」も「碧空」も「碧天」も季語ではないようなので、→のように修正してみた。(2021年5月12日追記)

 ぼくの祖父は、学生時代から俳句を詠んでいて、古稀か米寿の折に教え子が1000句の中から300句を選んで句集『パーソンズ 讀みながら 梅の実を囓る』というおしゃれな和綴じ本を作って贈ってくれた。
 絵心もあって、散歩から帰ると、色紙にサインペンで素描して水彩絵の具で色付けした風景画を描いていた。時には俳句を書き添えることもあった。
 そのような俳句のついた色紙を探したが見つからなかったので、風景画を2点だけ。いずれも軽井沢を描いたもの、上は落葉松の背丈からして1980年代初頭だろうが、あのころは千ヶ滝の随所で浅間山を眺めることができたから場所は分からない。下は「中軽井沢駅の近く 1981年8月9日」と裏に書いてあるが、中軽井沢駅のどのへんだろうか。
                    
                    
                    

 俳句つきの色紙は見つからなかったが、
 「葉牡丹に 客なき部屋の 紫煙かな」
 という句の書かれた色紙がみつかった。祖父は若いころはかなりのヘビー・スモーカーだったが老人になってからは何度か禁煙を試みていた。煙草の代わりに飴やチョコを勉強机の引き出しに入れてあった。時おり祖父の目を盗んでそのお菓子を食べたりした。上の句の「紫煙」は来客が残したものではなく、祖父が吐きだした煙かもしれない。

                    

「ミモザ」と言う言葉の入った俳句が書き添えられた色紙があったはずなのだが、見つからなかったので、ヨーロッパ旅行の折に描いたと思われるものを1つ。年代、場所は不明。
  ※ 祖父の句は、「ミモザ咲く 石段は白く 滑らかに」という句であることが分かったが、どんな色紙絵だったかはわからない。ミモザはアカシアの別名で、イタリアでは3月8日は「女性の日」で、「ミモザの日」と呼ばれているそうだ。
 
 ぼくは絵が下手なので、せめて写真に俳句か短歌を添えてみたい。ぼくの目標は、俳句なら「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」(中村草田男)のように、過ぎ去った昭和を詠嘆すること、短歌なら「信濃路は いつ春にならむ 夕月日(ゆうづくひ) 入りて暫らく(しまらく) 黄なる空の色」(誰の作?中学の国語教科書に載っていた)のように風景を詠み、「万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らのいて (ああ?)神奈川県立橋本高校」とように日常生活を詠むこと。ーーと言うことにしておこう。
 まずは、このブログで練習して、NHK「昼のいこい」の文芸通信にでも投稿するか。

 2021年5月10日 記


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水田洋訳/アダム・スミス『... | トップ | 『野球の手帳』(昭和37年) »

東京を歩く」カテゴリの最新記事