バルザックの『結婚の生理学』を読み始めた。正確には「読み始める」だが。
東京創元社のバルザック全集、第2巻(昭和48年初版、昭和50年再版)である。
定年になったら、講義や研究のための読書はやめよう、趣味として好きな本を読もうと思っていたのだが、定年になって最初に読んだ本は、定年のその日(3月31日)に送られてきた『日米親権法の比較研究』であり、その後も「教育」(親の教育権)つながりで、『エミール』(岩波文庫)を読み(ただし上巻と下巻の一部(エミールの結婚のあたりまで)だけ)、「ハマータウンの野郎ども(lads)」(ちくま学芸文庫)を読んだ。
どうも家族法の周辺から完全に脱却することができない。
末弘厳太郎『嘘の効用(上)』(冨山房文庫、川島武宜編)も読んだが、これも法律の勉強のようなものである。
『嘘の効用』は、以前に日本評論社版の末弘厳太郎選集で読んだが、川島武宜編で読むと、いかにも川島らしい配列になっていて初めて読んだような印象であった。
ちなみに、法律学が「嘘」の学問であるというのは、法学部生になったかなり早い段階で、ぼくが体感したところであった。不特定物売買に瑕疵担保責任規定が適用される「特定」の基準である(とされる)「履行として認容して受領したか否か」の判断をめぐって「嘘の効用」の実例を知った。当時は(今でも・・・)ただの「嘘」としか思えなかった。
しかし、やっぱり法律から離れられない、これではいけないと思い、とうとう今日に至って30歳の頃から抱いていた定年後の読書の予定通り、バルザックを読むことにした。
そのつもりで、東京創元社版のバルザック全集は昭和50年ころに買っておいたのである。
第11、12巻『幻滅(上・下)』、13巻『浮かれ女盛衰記(上)』、18巻『農民』、21巻『村の司祭』が欠けている。当時品切れだったのだろう。ただし、「農民」は河出書房の世界文学全集版をもっている。
第1巻から読もうかと思ったが、第1巻の「ふくろう党」という題名は触手が動かなかったので、第2巻「結婚の生理学」から始めることにした。
『結婚の生理学』の原書は1829年刊行だが、当初は1826年にバルザック自らが経営する印刷所から「夫の法典ーーまたは妻を貞淑にする法」という題名で1部(!)印刷されただけで放置され、その後29年になって「結婚の生理学」と改題し改めて出版されたという(巻末の安士正夫氏の解説)。
テーマは姦通であり、バルザックは法科の学生の時に講義で「姦通」という言葉を聞き、感銘を受けたのが本書執筆の契機になったと本人が語っているという(月報に載っていた平岡篤頼氏の随筆による)。
「夫婦の幸福と不幸に関する折衷哲学的考察」という副題がついており、あまり「生理学」的ではない内容を予感させるが、姦通もまたフランスでは「結婚の生理」現象なのかもしれない。
家族法は、「家族の病理学」のような学問であるから、「結婚の生理学」という題名には惹かれるが、生理学的に順調な家族はどのように描かれているか、などと期待しないで読んだ方が良さそうである。
そもそも、この題名に改題したのは、出版の前年にサヴァランの「味覚の生理学」という本がベストセラーになったため、バルザックがこれに便乗しようとしたからだという(安士解説)。
などと講釈を書いているが、まだ1ページも読んではいないのである。
本を読む前に書き込みをするのは初めてではないかと思う。
2020年5月20日 記