豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小説家になる!

2009年06月01日 | 本と雑誌
 
 高校生のときに、映画 “ティファニーで朝食を”で、ジョージ・ペパードの格好いい小説家姿を見て以来、僕は「作家になりたい」と思うようになった。
 それも、ただの作家ではなく、タイプライターで小説を書く作家でなければならない。

 よく作家の展覧会などで、直筆の原稿が展示されている。
 色褪せた400字詰め原稿用紙に、太字の万年筆で書かれた作家の原稿がガラス箱の中に展示されていたりするが、あれではだめなのである。
 
 高校か大学のころには、本当に、オリベッティの“レッテラ・ブラック”という、つや消しの黒いタイプライターを買ってしまったこともある。今でも実家の物置の片隅にあるだろう。
 何を書くあてもなかったので、O・ヘンリーの英文を、ただなぞって打ったりした。
 当時は、日本語をタイプで打つことはできなかったので(和文タイプはあったけれど格好悪すぎた)、タイプライターで小説を書く作家は断念するしかなかった。

 その後、編集者になって間もなくのころ、ワード・プロセッサーなるものが発売された。ワード・プロセッサーで書かれた『ワード・プロセッサー入門』といった本が出版されたので、さっそく読んでみた。
 どうやら僕にも使えそうな気がしたので、ワード・プロセッサーを購入した。まわりよりだいぶ早かったと思う。
 本体は14インチのテレビくらいの大きさ。それでいながら、画面はタテ20センチ程度のモノクロだった。ドット数も少なく、今と比べるとずいぶん粗い文字が打ち出された。キーボードはひらがな入力だった。

 それでも、ワープロの開発によって、タイプライターで小説を書く作家になるという僕の夢は前進した。
 ただし、その直後に僕は脱サラして研究者を目ざすことになったので、作家への道は先送りになってしまった。

 和文をタイプで打つことができなかった時代にも、僕は何度か作家になりたいと思って、小説(もどき)を書き始めたことがあった。

 最初は、庄司薫の『赤頭巾ちゃん、気をつけて』を読んだ、高3か浪人のときだった。毎月父親のところに「中央公論」が送られていて、それに載っていたこの小説を読んで、ぼくは、同じ歳でも日比谷にはこんな凄いやつがいるのかと焦った。
 しかし、どうあがいても、石坂洋次郎の青春小説ほどのものさえ書くことができなかった。

 それ以前、高校生だった頃にも、『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞をとった五木寛之のファンだったぼくは、上智のロシア語学科を本気で受験しようかと思った。結局法学部に進学したが、当時はやっていた“海外小説”ものを書く作家になりたいと思ったこともあった。

 そういえば、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』に感動したときも、やはり「作家になりたい」と思ったような気がする。
 エド・マクベインの“87分署”のときも、マイ・シューバル“マルティン・ベック”のときも、ニコラス・フリーリングのときも、メグレ警部のときもそうだった。

 要するに、気に入った小説、好きな作家に出会うたびに、ぼくは小説家になりたくなったのである。そして時おり実際に書き出したりもしたのだが、すべて未完のままに終わってしまった。

 ところが、5月の中旬から、また“作家になりたい”病が再発したのである。

 きっかけは、5月の連休明けに、書店に散歩に行ったときだった。

 別にお目当ての本があったわけではなったので、ぶらぶらと書棚を眺めていると、森村誠一の『小説の書き方』と『作家とは何か』(角川oneテーマ21新書)という2冊の本が、並んで大量に平積みしてあった。
 手にとって見ると、かつて読んだ丹羽文雄『小説作法』(角川文庫)などより、はるかに実践的でわかりやすそうな印象である。

 それでも、そのときは買わずに帰ったのだが、やっぱり気になって、翌日出かけると森村の本がおいてあった場所にはぜんぜん違う“角川oneテーマ21”が置いてあるではないか。
 そうなると、昨今の村上春樹の新刊本ではないが、“ハングリー・マーケット商法”に自ら陥ってしまった。慌てて、近所の本屋をまわって、ようやく2冊をそろえることができた。

 その後も、これに類する本がたくさん出版されていることを知り、つぎつぎに購入することになった。
 その日から今日まで、「小説家になるための本」を読書する日々が続くことになったのである。

 * 写真は、森村誠一『小説の書き方--小説道場・実践編』と『作家とは何か--小説道場・総論』(いずれも、角川oneテーマ21新書、2009年)

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