雨、11度、74%
日本を離れて30年近くになりました。今では、日本のあらゆるものが手に入るようになった香港ですが、来た当初は、ないものだらけ、たとえあっても、日本のそれとは似ても似つかぬものでした。カボチャなんか一番いい例です。そうそう、大根一つ美味しくなかった時代でした。
実家の母たちが送ってくれる小包は、寶の山。開けると緩衝剤代わりにはいっている新聞ですら懐かしく思いました。あの頃、日本の朝刊は夕方に届けられました。飛行機に乗ってやって来るのです。今やデジタル印刷、朝の6時には配達されます。
母たちの小包の他にも、友人がカボチャとサツマイモをご主人の出張の荷物に入れてくれたり、懐かしく思い出します。主人の仕事上のお付き合いの方達からは、デパートの地下に並ぶ有名店のものをよく頂戴します。デパートの地下も年々地方色がなくなっているのか、東京の方から金沢の銘菓を頂戴することもあります。日本にいたらお客様の時にしか使わないようないいお茶を普段に飲んでいることもあります。贅沢なことです。時折、食卓に上がったものを、これは誰それからの頂き物と指差しながらご飯にすると、主人、「我が家は頂き物で食べているようだね。」とまでおっしゃいます。選んでくださる、運んでくださる、郵便代もかなりのものなのに送ってくださる、ほんとに沢山の方に感謝しています。
母は逝き、義母ももうここ数年は荷物を送ろうとはいわなくなりました。荷造りして送る小包は、いろいろなものを買い出し、箱に詰め、よいしょっと郵便局まで運びます。そして、時には中身と変わらないくらいの値段の切手を貼ってくれました。その上、欲しいものがネットで買え、海外にまで配達してくれるこんな時代がやって来るとは思ってもいませんでした。
年末に頂戴した小包、まるで実家の母たちの荷物のように、細々と入っています。いつものように床に座り込んで荷物を開ける私の周りに、一つ一つ、箱から出され、モモさんの点検を受けます。目の前のお正月のことを考えてくれてのことでしょう、お餅も入っています。初めて食べる玄米のお餅でした。
土地によって、いくら全国均一になったとはいえ食べ物は違います。お米一つ、銘柄は同じでも土地の水や土が違います。ましてや選んでくれる人の食べ物の好み、育った土地柄によっても違うはずです。ぐるっと私の周りに並んだ箱の中のもの、少しずつ、私のお腹に入って行きました。
お餅に始まり、新米、あごのだしの素、お海苔、全部彼女が一つ一つ選んでくれたものです。口に入れ、お腹に入って、もう底をつきましたが、決して派手でないこれらの食べ物から何か感じます。お餅も新米もお海苔もお出汁も今や香港で手に入るものですが、何か違うものを感じました。
実は、この違いを考え始めていったい何だろうと、それを表現できずにいたのです。やっと分かったような気がしました。まじめに台所に向かっている彼女が選んだまじめな食べ物だということです。選ばれたお餅やお米がまじめというのではなく、選んだ彼女が日頃、まじめに台所に立っている証だと思いました。
銘菓や銘茶も嬉しいものです。包装を解くのももったいないくらいの日本のお菓子、丁寧に作られた日本の食べ物、海外にいるとその事を痛切に感じます。
贈り物、頂き物、海外にいるというだけで、ほんとに皆さんのお世話になりました。そして、いつも感謝して殆ど私のお腹に消えて行っています。ありがとうございます。
年末の一つの小包は、その送り手の台所を私に垣間見せてくれました。