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この秋、東京の美術展で雑誌でも大きく取り上げられているのが「民藝の100年」です。東京駒場の「日本民藝館」の所蔵品を広い会場で余すとこなく見せてくれるというものです。「日本民藝館」はこじんまりとしたスペースですのでその時その時で展示物が入れ替わります。今回の上京の目的は「川瀬巴水」の木版画でした。時間的に余裕があるので「民藝の100年」のチケットも予約しました。
私の住むこの家は父母から譲り受けたものです。古い日本家屋、玄関を開けて一歩入れば、家具も重々しい「松本民芸家具」ばかり。食器といえば土もので重苦しいと子供心に感じていました。磁器のご飯茶碗やお湯呑みが一つもありませんでした。そんなこの家が嫌いでした。白い生地の磁器のお茶碗でご飯を食べてみたいと、ホームドラマを見ては思っていました。
父母は口にはしませんでしたが柳宗悦が言い出した「民藝」と呼ばれるものを家に集めていたのです。本棚には「民藝」関係の本が並んでいました。民陶の大きな壺が家のここかしこに飾られていました。上京すれば銀座の「たくみ」という民藝を扱う店に必ず足を運んでいました。今更改めて「民藝」展示を見る必要もないほど身に染み付いた「民藝」です。
「民藝の100年」を見て改めて身近のある「民藝」を認識します。この家の整理の時、残したのは家具と大きな焼き物だけでした。良いものとわかっていても欠けや傷みが激しいものは捨てました。「民藝の100年」を見ながら捨てたものの大きさを思い知ります。
この家の家具はほとんど全て「松本家具」です。 受け継いだものもありますが、結婚して私たちが買った家具は「松本民藝家具」でした。結婚当初は磁器の焼き物を食器に数求めました。念願でした。染付、絵付けの軽いお茶碗やお皿です。それがどうしたことか40歳を越した頃から私もまた土ものの食器に目が向き始めました。手に持った時の温かみが違います。テーブルに置いた時の底深い迫力が違います。今の我が家の食卓は洋の東西の土もの、磁器が並びます。
「民藝の100年」私にとっては展示物を見るというより、父母から私に流れて来た太い意思を改めて見直す機会となりました。美術館を出て小春日和の青い空を見上げました。ふっと「来てよかった。」と胸に湧き上がるものがありました。
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